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何と中国が、旧満蒙開拓団の慰霊碑を取り除いてしまいました。

あなたのご意見を募集します。

★反日教育のつけ 中国、旧満蒙開拓団慰霊碑撤去
産経新聞 8月6日(土)22時10分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110806-00000569-san-int

【北京=矢板明夫】中国の黒龍江省方正県が建てた旧満蒙開拓団の慰霊碑が、国内世論の反発と過激派による破壊行為を受けて撤去されたことは、江沢民時代に実施した反日教育をうけた世代が中国の世論を形成する主流となりつつあることをうかがわせたと同時に、民族感情を法律より優先する中国の一面を露呈している。

1945年夏のソ連軍の参戦によって、黒竜江省各地の旧満蒙開拓団員は難民と化し、逃げる途中に方正県で足止めされ、混乱の中に大勢が死亡した。1963年に周恩来首相(当時)の指示で同県内に日本人公墓が造られた当時は、中国政府も国民も「戦争の責任は軍国主義者にあり、日本人民は中国人と同じく被害者だった」という見方を示し、強い反対はなかった。

しかし、1989年に発足した江沢民政権は、反日教育を徹底的に実施し、「日本人民はみな加害者」という価値観が形成された。慰霊碑建設にネット上で反発する人も、過激行動を取る人も反日教育を受けた世代が中心だ。当局が慰霊碑を撤去したのは、国民の批判の矛先が政府に向けられることを警戒したためであり、反日教育のつけが回ってきたともいえる。

また、公的財産の慰霊碑を破壊した5人を放任した上に、政府系メディアまでが「5壮士」とその行動をたたえたことについて、現地の日本人には「法律に基づいて彼らを処罰しなければ、日本製自動車の破壊や日本レストランの襲撃までもみな正当化されてしまう」(大手企業駐在員)と懸念する声がある。
★わたしは(「日本人民はみな加害者」なんて恐ろしい思想だわ。だから日本に来る中国人は日本人に復習するような気持ちで来日するから、中国人の犯罪が絶えないんだわ。これでは中国人の評判が日本で落ち、中国人自身の為にもならないのに。「戦争の責任は軍国主義者にあり、日本人民は中国人と同じく被害者だった」という、昔の寛大な中国に戻ってほしい)と強く思います。

  • 質問者:堀江ホリエ
  • 質問日時:2011-08-07 06:03:35
  • 0

回答してくれたみんなへのお礼

みなさん、ご回答ありがとうございました。

大日本帝国は満州(中国東北部)の農民から、土地を安い金額で半強制的に同意させ買収しました。このため敗戦後現地の中国人から、残忍な仕返しを受けます。


日本の入植者の中には、半強制的に安い値段で取り上げた土地だという事を知らない人もいました。

また自力で荒地を開拓して入植した方々もおられた事を、日本人の名誉のために付け加えておきます。

しかし満州国崩壊後は、荒地を開拓した日本の入植者たちも、中国人たちに殺されています。

この辺の事情は731部隊の告発で有名な左翼の作家・森村誠一さんの「夕映えの殺意」に描写されています。


「(だまして)武装解除させた裸の開拓民に(中国人の)暴徒は襲いかかった。飢狼(がろう)
の群れに襲われた羊のようだった。石を投げ、木槍で渡り合う抵抗も束の間、押し寄せる暴徒の前にもみ潰(つぶ)された。

暴徒は無抵抗の女子供の区別なく、まるでニワトリでも絞めるように殺していった。

鎌が草でも刈るように子供の首を切り落とす。鉈(なた)が女の頭に振り下ろされる。あまりに突きまくったために先端が丸くなった木槍を、今度は棍棒(こんぼう)にして振り回している暴徒。

いずれも返り血に染まって、まさに悪鬼のようであった。虐殺の後には根こそぎの掠奪(りゃくだつ)が始まった。


(逃げ出した日本人たちは、中国人暴徒の執拗な追撃に)ついに私たちは川岸に追いつめられた。食糧も武器もなかった。

全員体力の限界に達して、とても逃げ切れられないから、ここでみんな自決しようということに決まった。

せめて死体を辱(はずかし)められないように、女たちは川の中で死ぬことにした。家族に死ぬための時間を稼いでやるために、男たちは最後の力を振り絞って、暴徒に抵抗した。

その間、幼な児たちは母親によって首を絞められて川に投げ込まれた。子供たちも、泳げないように後ろ手に縛って次々に川へ放り込んだ。

子供の始末をつけた女や老人たちが、子供の後を追って川へ飛び込んだ。その女を追って、暴徒が川の中まで入り込み、陵辱(りょうじょく)するために岸に引きずり上げようとする。

彼らの流す血の色によって川水は赤く染まった。この世の眺めではなかった」

森村誠一著「夕映えの殺意」より抜粋


・・・満州に入植した日本の開拓者たちは、ほとんどが満州国の発展に身を捧げようとした罪のない人たちです。

「侵略であることを言い聞かせて説得し、財産を没収して日本に強制送還すればそれですむものを」と、非常にやり切れない気持ちです。

左翼の人たちは大日本帝国の戦争悪を強調するために、こうした悲劇には知らん顔です。


ただ「中国人とて色々います。全部が全部日本人憎しだったら残留孤児なぞ生き残り得ません。」と指摘された回答者がいらっしゃいますが、これはその通りだと思います。満州(中国東北部)の人たちの中には、日本人孤児を育てて下さった方もいらっしゃいました。

その内容は、自分の子供と変わらないほどの愛情を注いで下さった方もおられますし、単に召使としてこき使った者、育ててはくれたけど成長すると愛人にしてしまった者、老後自分たちの世話をしてくれることを期待した者とさまざまです。


また漫画家のちばてつやさんの家族のように、満州人の友人に匿(かくま)われ、無事日本に帰国できた幸運な方もおられます。ちばてつやさんは外に遊びに出ることが出来ないため、室内で漫画ばかり描いており、とうとう本職の漫画家になられました。

「あしたのジョー」「ハリスの旋風」「ちかいの魔球」「島っ子」「1・2・3と4・5・ロク」「おれは鉄平」「のたり松太郎」「みそっかす=『あかねちゃん』としてテレビアニメ化」「紫電改のタカ」「あした天気になあれ」「少年よラケットを抱け」などの諸作品は、みなさんもお読みになったことがあると思います。

もちろん弟の漫画家・ちばあきおさん(三男・「キャプテン」「プレイボール」で有名)や、漫画原作者の七三太朗(四男)もいました。

ちばてつや・ウィキペディアより抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%81%A6%E3%81%A4%E3%82%84

1939年(昭和14年)東京築地生まれ。生後すぐに日本を離れ、2歳の時に、旧満州・奉天(現中国・遼寧省瀋陽)に渡る。

印刷会社に勤めていた父親が暖房用にと貰ってきた紙の切れ端に絵を書いて寒い冬を過ごしていた。

1945年(昭和20年)、同地で終戦を迎え、敗戦に伴い、暴動や略奪などが相次ぐ社会的混乱の中、生と死が隣り合わせの過酷な幼少時代をすごした

中国は未だに貧富の差も激しいし、教育の差も大きい程度の低い国です。
経済的に世界のトップクラスになりましたが、民度は低いです。
中国共産党を打倒するしかありませんね。
そうしないといつまで経っても日本に対する反日教育は終わらないでしょう。
世界がもっと中国を教育すべきです。
まだまだ最低の国です。

  • 回答者:匿名希望 (質問から18時間後)
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お礼コメント

今年ももうすぐ終戦記念日です。

こうした日本人開拓民の悲惨な最期に思いをはせると、この旧満蒙開拓団の慰霊碑が撤去 されたことは残念でなりません。

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酷いですね。
シナの行為は非常識で最低です。

  • 回答者:匿名 (質問から7日後)
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最悪です。卑劣。
だからきらい。

  • 回答者:匿名 (質問から11時間後)
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最悪です。
さすが中国人という感じです。

  • 回答者:匿名 (質問から8時間後)
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中国人とて色々います。全部が全部日本人憎しだったら残留孤児なぞ生き残り得ません。
れっきとしたモノが撤去されたなら神経疑いますが、何者かに破壊されたモノを撤去したなら話は変わってくる。作ってもまた同じように破壊されたらカネがいくらあっても足りない。四六時中警備するわけにも行かない。政情が変わって安心して置けるようになったらまた再建すれば良いんじゃないかな。

  • 回答者:ぐーたら (質問から7時間後)
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中国なら、やりそうですね。あまり驚きません。

しかし最低な国だと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から6時間後)
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酷いですね。
慰霊碑を破壊するなど言語道断です。
本当に中国人は最低な民族だと思います。

  • 回答者:匿名希望 (質問から5時間後)
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中国の常識は世界の非常識。
世界の常識は中国の非常識。
反日教育の大きな成果です。

  • 回答者: 匿名  (質問から5時間後)
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中国の傲慢ぶりは目にあまりますね。
このままでは尖閣から沖縄から自国領土だと平然と、
どんどん侵略してきそうで怖くてたまりません。

  • 回答者:匿名さん (質問から3時間後)
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あの国に常識ってあるんでしょうか?
もしあの国の人達の慰霊碑がよその国で破壊され、撤去されたらどうするつもりなんでしょうね。
あの国の人達はどう思うんだか・・・
死んだ人に罪はないし、それを慰霊するのは当然です、その慰霊碑を破壊するなんて信じられません。

  • 回答者:匿名希望 (質問から3時間後)
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過激なかたでも靖国神社を破壊しろとはいわないでしょうね。参拝云々ならいろいろな意見があるでしょうが・・・

中国政府が包容力がほとんど無い証拠だとおもいます。近づかないようにと言うのではなく破壊したのだからもはやバーミアの仏像爆破の悪夢が思い浮かびます

  • 回答者:秘匿 (質問から2時間後)
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そのように人民の怒りの矛先を日本に向けることで中国政府が安泰を保とうという考えなのでしょうか最近人民も気づいてきています。破綻が近いとかんじます

  • 回答者:匿名希望 (質問から46分後)
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ひどすぎますね。
中国人だからこういう残虐なことするんですよね。

  • 回答者:匿名 (質問から37分後)
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残虐なことするんでね。

  • 回答者:匿名 (質問から3時間後)
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

満蒙開拓団にあてがわれた農地は、中国人の土地を無断で接収して得たものが殆ど。

私が中国人なら、同じことしたかもしれませんね。

===補足===
不正確でした。
「問答無用」という点で、似たようなものだとは思いますが...

  • 回答者:216 (質問から2時間後)
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

「無断で接収」でしたっけ?

わたしの記憶では「安い金額で半強制的に同意させ買収」だったと思いましたが・・・。

追記
「無断で接収」だとタダで取り上げたような印象を与えます。一応お金は安いながらも払っていて、無理やりとはいえ同意させてるんですよね。

もちろん許される事ではありませんし、人権侵害・強奪に近いとは思います。

ただ事実を大げさに誇張するのは、他の閲覧者様のご迷惑になりますので控えて頂ければと思います。

半強制的に土地を取られた農民たちは、日本を憎んだでしょうね。あくまでも買収に同意しなかった満州(中国東北部)の農民がどうなったのか、気がかりです。

ただ日本の入植者の中には、半強制的に安い値段で取り上げた土地だという事を知らない人もいました。

またの自力で荒地を開拓して入植した方々もおられた事を、日本人の名誉のために付け加えておきます。

しかし満州国崩壊後は、荒地を開拓した日本の入植者たちも、中国人たちに殺されてるのです。

この辺の事情は左翼の作家・森村誠一さんの「夕映えの殺意」に描写されています。

「(だまして)武装解除させた裸の開拓民に(中国人の)暴徒は襲いかかった。石を投げ、木槍で渡り合う抵抗も束の間、押し寄せる暴徒の前にもみ潰された。

暴徒は無抵抗の女子供の区別なく、まるでニワトリでも絞めるように殺していった。

鎌が草でも刈るように子供の首を切り落とす。鉈(なた)が女の頭に振り下ろされる。あまりに突きまくったために先端が丸くなった木槍を、今度は棍棒(こんぼう)にして振り回している暴徒。

いずれも返り血に染まって、まさに悪鬼のようであった。虐殺の後には根こそぎの掠奪(りゃくだつ)が始まった。

(逃げ出した日本人たちは、中国人暴徒の執拗な追撃に)とても逃げ切れられないから、ここでみんな自決しようということに決まった。

せめて死体を辱(はずかし)められないように、女たちは川の中で死ぬことにした。家族に死ぬための時間を稼いでやるために、男たちは最後の力を振り絞って、暴徒に抵抗した。

その間、幼な児たちは母親によって首を絞められて川に投げ込まれた。子供たちも、泳げないように後ろ手に縛って次々に川へ放り込んだ。

子供の始末をつけた女や老人たちが、子供の後を追って川へ飛び込んだ。その女を追って、暴徒が川の中まで入り込み、陵辱(りょうじょく)するために岸に引きずり上げようとする。

彼らの流す血の色によって川水は赤く染まった。この世の眺めではなかった」


ご回答有り難うございました。

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