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明治維新には新政府のどのような思惑があったのでしょうか?

明治維新には大政奉還や廃藩置県、四民平等など様々な改革がありますが、
明治新政府はなぜそれを実現させようとしたのでしょうか?
また維新での活躍人物の中に長州藩、薩摩藩の出身者が多いワケも合わせて教えていただけると
うれしいです。

  • 質問者:匿名
  • 質問日時:2012-03-08 21:41:35
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・大政奉還
薩長同盟により倒幕の勢力が強大になったが幕府はフランスの援助を受けて依然として強大な力を持っていた。
一方イギリスは薩英戦争後倒幕勢力に援助するようになった。
薩長と幕府軍が正面衝突したら壮絶な戦争になり清のように西洋の列強の食い物になるのは必然。
正面衝突を防ぐ裁量の策として、幕府が政権を天皇に返上して引き続き天皇の代理で政権維持を図ったのが大政奉還の真の目的。
(薩長は幕府の政権維持をさせないため、新体制をつくり有力諸侯の合議制の確立をした。)

・廃藩置県 
大名を廃し、中央の息のかかった官吏を派遣し天皇中心の中央政権をし易くした。

・四民平等
だれでも努力すれば出世するシステムだと国民の意識あ高まり、国力の向上につながる。
まさに『坂の上の雲』の状態

維新の活躍の人物に薩長が多いわけ
長州は三条実美や岩倉具視など有力公家にコネがあり、薩摩は密貿易で金を持っていたため両藩の同盟は強力な倒幕勢力となった。
この両藩は、外国船打ち払い例で長州の砲撃に対する外国の報復と薩英戦争を通じて西洋列強の強さを認識して富国強兵のためには倒幕をしなければならないと最初に両藩が認識した。
倒幕運動に関しては終始リーダーシップをとったため薩長土肥の藩閥政治のなかでも薩長が常に上位を占めた。
活躍人物の中心として、倒幕の兵隊を民間人から募って寄兵隊を作ったのが高杉晋作、後釜に座ったのが山県有朋、尊王攘夷の思想を尊王倒幕へと転換させ薩長同盟を坂本龍馬の仲介で成しえたのが木戸孝允と西郷隆盛。

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薩摩の大久保利通が西南戦争で西郷隆盛を死なせてしまったのでウラミを買い、薩摩藩士に暗殺されましたが、暗殺されなければ大久保利通が初代の総理大臣になったはずです。
こいつはかなり冷酷な男で異国嫌いの孝明天皇を毒殺したとも坂本龍馬暗殺の黒幕とも言われています。
しかし政治手腕は確かで、彼の愛弟子のようになっていたのが長州の伊藤博文です。
伊藤博文が総理大臣になったため一大派閥ができ昭和にいたるまで長州から多くの総理大臣が誕生しました。

細かいことをいえばきりがないので大分はしょりました。

  • 回答者:龍馬 (質問から4時間後)
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西洋に対する日本の遅れを痛感していた面々は、とにかく西洋の制度を取り入れ、天皇を中心とする中央主権的国家を作って諸外国に対抗できる日本にしようと考えていたと思います。
大政奉還や廃藩置県、四民平等はその流れの中で必要な政策でした。
藩を残したままでは、強い日本は作れませんから。
長州藩・薩摩藩が維新を主導したわけは、もともと外様藩であったこと、藩政改革がうまくいき下級武士でも実力者が登用されたこと、藩財政に余裕があったことなどです。
薩摩は最初幕府側で、あとで長州と同盟を結んだので、それも影響してか明治時代にはだんだん長州出身者が主に幅を利かせるようになってきました。

  • 回答者:匿名 (質問から2時間後)
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