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江戸時代で、よく、大名の名の「〇〇守」のような旧国名・地名がありますが、名前の付け方は、役職、自分の所有・所領地、統治、出身地、などですか?
それとも「〇〇守」というのは、その「〇〇守」さんの幕府の置ける転任先、地位でしょうか。

  • 質問者:教えてください
  • 質問日時:2012-04-21 11:19:50
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どちらでもないです。
○○守というのは朝廷から貰う役職です。幕府から許されているつまり実質的に支配している領国と一致することもありますが、そうでない場合も普通です。単なる官位で実質的な意味はありません。
江戸時代の場合、事実上の日本の支配者である徳川将軍があえて低い官位にしていたので、
武士はみなあまり高い官位を貰いません。ですから大名でも精精中下流貴族相当の国司の長官程度です

  • 回答者:匿名 (質問から11分後)
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どこどこ出身ということからつけられた屋号みたいなものです。もともとはそうだったのかもしれませんが実質的な役職ではなくなっています

  • 回答者:匿名希望 (質問から4時間後)
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11分後の匿名さんの補足です。
江戸時代も18世紀頃になると家康の官位が低いままであったため(秀吉のせいだったり、禁中並公家諸法度の施行によるものだったりしますね)、武家官位を授けられなかった小大名にも寛文印知により肩書きを得られるようになります。徳川家宣により叙爵というかたちで完成を見るわけです。家督継承時に叙爵されてゆきます。
お尋ねの「〜守」「〜頭」などの官途名乗りは官職とはされずに、「叙爵された者」が「称している」モノとされてます。ただ、中には何かしらの理由で勅許を得ることができた者は口宣案に官途名が記載され、いわゆるお墨付きを得ることになり、単なる自称より重みを持ったようですね。
官途名乗りは朝廷でなくとも幕府の許可は必要とされてましたが、原則的には名乗る当人の希望が重視されたようです。(名乗れない名前などの禁則次項も多々あります。このヘン調べると面白いですよ)
つまり土地の名前がついていても縁もゆかりもなかったりその地に赴いたことさえない人たちもいたというわけです。

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