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日韓併合時代の韓国人は幸せだったと聞きますが、なぜでしょうか。清の属国だったときはうれしくなかったのでしょうか。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111322156

  • 質問者:타케시마는 일본 령
  • 質問日時:2013-06-09 19:23:53
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清の属国だったときはうれしくなかったのでしょうか
→そのとおりうれしくなく、千年の長きにわたって奴隷(約2割のれっきとした由緒正しき身分が存在していた)として扱われていた歴史がある。
そのため恨の根性が抜けきらず今にいたっているが、その恨みを清国(中国)ではなく日本にその矛先が向けられているんです。
併合時は日本は莫大な国家予算を組んで日本国内と同じ生活レベルまで引き上げるべく国内の血税を韓国に投じたことは当時の国家予算の記録を見れば分かります。
単に日本が戦争に負けただけで、本来は敗戦国の一員であるにもかかわらず、戦勝国だと云っています。恩義など一切ありません。

  • 回答者:匿名ちゃん (質問から2時間後)
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やっぱり日本人は親切だからでしょう

  • 回答者:sooda (質問から2分後)
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併合後に半島の人達の生活内容が向上したからでしょう。
ずっと清の属国が続いてたら半島を人達の生活向上は相当遅れていたと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から30分後)
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上辺しか見てないとか又聞きだから幸せに見えたんでしょう

  • 回答者:学べよ (質問から36分後)
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回答ありがとうございました。
お礼コメント

直視しろよ

日本が韓国にいろいろいいことをしたからです。

  • 回答者:匿名希望 (質問から5時間後)
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もっと悲惨な生活を送っていたようですから、それを考えるとマシな生活になったのではないかと想像します。

  • 回答者:匿名 (質問から1日後)
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奴隷のように扱われてきたのですから
嬉しくなかったでしょうね。

ですが日本によって人として扱われ格段に生活が良くなってわけですから
幸せだったと感じます。

  • 回答者:匿名 (質問から6日後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

「日本は韓国を併合化(日本と同等に扱う事)したのであって、植民地化(奴隷として扱う)したのでは有りません。」とのことです。

日本が朝鮮(現在の朝鮮半島)を併合する以前、朝鮮は清国の属国であると国際的にも捉えられていました。
1876年(明治9年)日本は朝鮮国との間に日朝修好条規を締結し朝鮮国の開国を求めました。
日本がこの条約を結んだとのと時を同じくしてドイツ、イギリスも条約を結びました。
清国の属国である朝鮮国と条約を結んだと言う事は、日本やイギリス、ドイツは朝鮮国を独立国と認めた事となり、この条約は朝鮮国が初めて自分で結んだ国際条約でした。
この条約は日本にとっても白人諸国の脅威から逃れる為にも重要な物で、朝鮮半島に触手を伸ばすロシア対して明治政府は相当な危機感を抱いていたのです。
この条約を機会にそれまで鎖国攘夷政策を取っていた朝鮮国は開国派が影響力を持つ様になり、日本もその支援を行っていたのです。
1982年(明治15年)朝鮮政府の政策を清国寄りにしようとした大院君が起したクーデター(壬午政変)が勃発、この政変に清国が軍事介入を行い首謀者の大院君を有ろう事か逮捕してしまったのです。
この結果、朝鮮国は再び清国の属国となりました。
1884年(明治17年)日本の支援を受けた開国派が起したクーデター甲申政変が勃発、しかし、清国が軍事介入、鎮圧しました。
この時、日本大使館は清国側によって焼かれ、被害者は壬午政変を上回るものになりました。
この結果、明治政府はロシア等の白人列強諸国から日本を守る為にどうしても必要な朝鮮国の独立は、清国と戦い勝つ以外にないと考える様になったのです。
(日本の安全保障上の朝鮮半島の位置づけがどれ程重要なのかは、朝鮮戦争の回顧録としてマッカーサー総司令官が記しています。)
日清、日露の両大戦に勝利した日本は1904年(明治37年)の日韓新条約、続く日露戦争後の協約により韓国は日本の保護国となりました。
(1641年以来モナコはフランスの保護国で、このような例はヨーロッパではよく存在しました)
当時、韓国統監となった伊藤博文は韓国の独立を唱え、近代化志向の新政権を確立させその後主権を回復させる考えだったにも拘らず、現在では韓国の英雄とされる”安重根”に暗殺されました。
この大事件によって日本政府が驚愕したのは勿論、韓国政府は震え上がり、日韓両政府から韓国併合の話が上がりました。
当時韓国最大政党である「一進会」も熱烈に併合を求めたのであり、日本が無理矢理併合化したのではありません。
この日韓併合は清国、ロシア、イギリス、フランス、ドイツと言った主要国のなかで反対した国は一つもありませんでした。
アメリカのルーズベルト大統領は「朝鮮半島は日本の物である」と公言、イギリスは「韓国併合こそ我々が以前から望んでいた事である」と大歓迎の姿勢を示しました。
こうして、日韓併合は国際社会で認められたのです。
日本は韓国を併合化(日本と同等に扱う事)したのであって、植民地化(奴隷として扱う)したのでは有りません。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111322156

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