すべてのカテゴリ » 知識・教養・学問 » 知識・学問 » 歴史・地理

質問

終了

昨日の八重の桜を見ていたんですが、山川大蔵の「彼岸獅子による鶴ヶ城入場」という場面があったのですが、実際の史実でもあったということを知ってびっくりしました。
何であんな奇策が成功したんでしょうか?

新政府軍は何故止めなかったのでしょうか?。

  • 質問者:匿名
  • 質問日時:2013-07-08 08:34:17
  • 0
ソーシャルブックマークに登録する:

並び替え:

どこの藩なのかわからないから手が出せなかったのでしょう
すごい奇策だと思いました

  • 回答者:sooda (質問から1日後)
  • 0
この回答の満足度
  

今と違い、当時の日本の各地方は、各藩による藩政をおこなっていて、藩内の人の出入りも制限されており、とくに武士による他藩の出入りは非常に厳しく制限されていたので、そのため地元・地方の風習・祭典・伝統芸など隣の藩であっても各藩お互いの認知度が極めて低いもので、薩摩・土佐・長州などほとんど日本の西側地方の各藩で編成されている新政府軍側には彼岸獅子を知っている者はおらず、山川はその盲点を利用して彼岸獅子による行軍を行いました。
テレビの時代劇や大河ドラマなどでは、ほとんど語られることのない内容として、新政府軍は各藩による連合軍であり、装備・軍装・兵法などがバラバラで統一されておらず、新政府軍側の藩の中には戦国時代からの伝統として太鼓・銅鑼・笛・鼓などの楽器を演奏したり、彼岸獅子みたいな伝統芸を演じながら行軍をしておりました。
しかも、鶴ヶ城を包囲攻撃している状況下で、まさか会津藩士がそんなことをすることは誰も予想はせず、山川の部隊も彼岸獅子を先頭に堂々と敵前行軍をしていたこともあり、彼岸獅子を知らない新政府軍は味方の藩の行軍だと思い、行軍を制止することもなく、ただその様子を見ていたのでしょう。
そして、山川の部隊が入城して初めて会津藩の部隊だと分かり、さらに彼岸獅子による行軍によって、新政府軍と会津軍両軍は虚を突かれ攻撃を止めていたこともあり、山川の部隊は容易に入城することができました。

  • 回答者:匿名 (質問から14時間後)
  • 10
この回答の満足度
  

あのなかでどこの藩だといっていました。どこかわからないようにしたのが成功したのでしょう

  • 回答者:匿名 (質問から7時間後)
  • 0
この回答の満足度
  

とくネタ総合ランキング

すべてを見る

トクネタを投稿する

Sooda!からのお知らせ

一覧を見る