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日本では、子供の教育費が高額になりやすいことが、ときに問題視されることがあると思います。

 義務教育を受けさせるにあたって、教科書や学用品などにお金がかかるというのであれば、教育費が「かかる」という表現がピッタリだと思います。

 しかし日本の場合、そうではなくて、塾や習い事の費用だったり、大学への進学費用だったりを考慮して教育費が「かかる」と言っている場合が多くて、この場合は、「(意図的に)かけている」というべきではないでしょうか?

 こういった選択肢があって意図的に「かけている」教育費が、日本においては高額になっている傾向があるからといって,問題視されるべき事柄なのでしょうか?

  • 質問者:匿名希望
  • 質問日時:2014-03-11 14:04:48
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教育費が家計の負担になり過ぎて大変だからです。
教育費の負担が軽くなれば生活も変化して余裕が生まれるのではないかと感じています。

  • 回答者:匿名 (質問から9時間後)
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確かにおっしゃる通りだと思います。
ただ塾に通えたり、いい大学に入ったりするにはお金が必要になるわけで、どうしても貧富の差による教育格差が生じてしまいます。
そのことをさして教育費がかかると表現しているのだと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から10時間後)
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教育スパイラルというものから抜け出すために親は必死なのです。この遺伝子を守るために

  • 回答者:匿名 (質問から21時間後)
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教育 ではなく 学歴取得に・・・

現状は 大学出て ラインに入り 何も考えず 楽に生活したい人が多い。

制度を使えば 東京大学 無料で、通える状況無視して・・・

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問題視されるべき事ではないですね。
意図的に塾に通わせているのか、それとも周りの子達が行っているから
自分の子も行かせなければならないと考え通わせていようが
最終的には親の判断で必然的ではなく意図的に行かせているので「かかる」というのは
正しい表現ではないですね。

  • 回答者:匿名 (質問から6日後)
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