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質問

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♪♬ 詩の質問です ♬♪ 

  お題 :「夢」…ひらがな or 漢字?? 

中原中也「朝の歌」という詩の中に「ゆめ」と「夢」(第3連2行目、第4連3行目)の、ひらがなと漢字があります。
質問その①:
この平仮名と漢字の「ゆめ」と「夢」、それぞれどんなふうにイメージしますか。
その②:
また、皆さんが普段"夢"という言葉を使うとき、ひらがなの「ゆめ」or 漢字の「夢」、どっちのイメージで使っておりますか??

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

┃ 朝の歌

┃  天井に 朱(あか)きいろいで
┃   戸の隙を 洩れ入る光、
┃  鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)い
┃   手にてなす なにごともなし。

┃  小鳥らの うたはきこえず
┃   空は今日 はなだ色らし、
┃  うんじてし 人のこころを
┃   諫めする なにものもなし、

┃  樹脂の香に 朝は悩まし
┃   うしないし さまざまのゆめ、
┃  森並は 風に鳴るかな

┃  ひろごりて たいらかの空
┃   土手づたい きえてゆくかな
┃  うつくしき さまざまの夢。

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

  • 質問者:富士山麓鸚鵡啼く
  • 質問日時:2010-03-26 01:10:41
  • 3

回答してくれたみんなへのお礼

回答有難う御座いました。お礼が遅くなりましてすみません。

「ゆめ」だと、未完成・輪郭が与えられてない・ふわふわしている…というイメージ、逆に「夢」だと、現実・明確化されたイメージ、「ゆめ」━子ども、「夢」━大人、というご意見など、面白く読ませていただきました。

映画になった"ライラの冒険"シリーズの"ダイモン(守護精霊)"、みたいなかんじかな?(^^?
(子供の頃はダイモンは、いろんな動物に変化できるけど、ある時点から(大人になったら)、動物の姿が固定されてしまう、という…。)

今回の質問きっかけに、私も何故「ゆめ」と「夢」なんだろう、と考えてみましたが、「ゆめ」は当て字OK(読み手の想像次第)で、…対して「夢」のほうは中也自身のもの(読み手の手の届かないもの)なのかなぁ…という考えが、ふと浮かびました。

ゆめ:幽夢、憂夢、遊夢、・・・・当て字イロイロ楽しむ「ゆめ」を見る♬(*^^*)♬

①中也の世界観とは全くかけ離れたイメージだとは思いますが・・・
三段落目、風に鳴る朝の森ってとこで、うっかりトトロの森をイメージしてしまいました^^;

こどもは無知であるがゆえに現実世界を想像力で補完し、
大人とは違った景色を見ているようなところがありますよね。
メルヘンだったり、お化けがいたり、魔法が存在したり・・・
「ゆめ」はそういった空想・幻想・ファンタジーの類で、
こどもが見ているふわふわした「夢のような現実」のイメージです。
うしなった「ゆめ」について語っているので、主人公は大人(サツキとメイのお父さん?^^;)
もうトトロもまっくろくろすけも見えなくなってしまった大人が、
こどもたちの姿に、「ゆめ」を見て生きていた幼いころの自分を重ねて、
せつなくもいとおしい思い出にひたっている感じです。

一方、四段落目で空にきえてゆく「夢」は、単に現実の対義語としての夢で、
ここでは眠っていたときに見ていた夢だと思いました。
もしかしたら、主人公は「ゆめ」の「夢」を見ていたのかもしれません。
うつくしい「夢」が消えて現れた現実は、大人が見るちゃんとした現実で、
トトロはもう見えない、こどもには戻れない、
でも現実には、「夢」の中にはいなかったサツキとメイがいて、
それはそれで悪くない・・・という感じの終わり方に思えました。
中也の詩、曲解しすぎ?^^;

うたはきこえず、うしないしゆめ、夢がきえる、などとネガティブな表現を使いながら、
全体的にあまり暗い感じはしません。
過去を懐かしみつつも前向きな優しい詩という印象でした。


②漢字とひらがなの二択なら、漢字の「夢」を使います。
ひらがなだと「ゆめゆめ~なかれ」の方のイメージが強くて、「夢」の意味では使いにくいです。
カタカナなら稀に使いますね。ばかげたユメ、しょせんユメ、のように、
通常の「夢」に特殊なニュアンスを込めるときにだけカタカナになることがあります。
単なる強調表現です。普通は使いません。
夢の表記を日常的に詩的な意味で使い分ける人は、それこそ詩人くらいだと思います・・・。

  • 回答者:ねこバス (質問から2時間後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

おぉ! とても面白い考え方です♪(^^♪ 
お遊びアンケみたいなものなので、こんなふうに自由に発想してくださると、読んでいてとても楽しいです。
"中也の世界観"での解釈は、学者先生方がタブンいろいろ研究してくれているし任せておけばよいかと(笑)

「ゆめ」の「夢」をみるというのは…さらっと凄いことを仰いますね!
ここからひととき、となりのトトロの世界を意識が回遊してしまいましたよ。
夢のトンネルを抜けたら、そこはゆめの中でした……状態に。(…って、これは『千と千尋…』(^^;))

『となりのトトロ』の「ねこバス」は、まさに私の"ゆめ"でした。
(でした、というか…今も頑なに"ゆめ"のままにしていますけどね(笑))
トトロや猫バスは、一度でいいから見たかった…(^^;

不思議でメルヘンチックな世界観をどうもありがとうございました。

*  *  *

> うたはきこえず、うしないしゆめ、夢がきえる、などとネガティブな表現を使いながら、
> 全体的にあまり暗い感じはしません。
> 過去を懐かしみつつも前向きな優しい詩という印象でした。

そうですね。言葉をひとつひとつ解体すると、ネガティブな表現も多いですが、私も全体からは暗い印象を受けないというか…美しさに暗さもかすむという印象を持ちます。うしなわれたゆめ、きえてゆく夢が無くなったというより、空気の中に昇華しているようで、とても好きな詩です。

並び替え:

質問その①:「ユメ」を平仮名と漢字で使い分けたい…ということは、
中原氏のこの詩に、はっきりしたイメージの違いがある訳ですよね。

「ゆめ」…無意識に見る「ユメ」。現実。子供。
「 夢 」…意識して見る「ユメ」。非現実。大人。

現実世界と、現実ではない世界や子供と大人の対比をさせたいのかな…?
と思いました。

大人になると、理論的に物事を考えるようになって、自分の手で叶えられる「ユメ」と、
そうでない「ユメ」がわかって来る。

叶えらそうにない「ユメ」なら、
大人は「○○がないから出来ない、無理だ。」と、自分の手で「ユメ」を消してしまうんですね。
子供は「○○がないから出来ない、無理だ。」っていう考えはなくて、
漠然と「○○がしたい。なりたい。」とずっと思っているから、自分の手で「ユメ」を消したりはしない。
それが、“うしないし”に掛かるのかななんて思いました。

例えば、「~(誰々)を失った。」を使うと、自分の手で殺めたのではなく、
その人の寿命がだから、自分の意識に関与しないで亡くなった。という風に使ったりします。
「消しゴムで間違ったところを消した。」や「ろうそくの火を消した。」
と言うと、自分の意識が関与していることによく使っているような印象があるので、
(全部が全部そう分けられる訳ではないですが^^;)

眠っている時に見る「ユメ」は、自分が意識して、それを見たくて見るものではないので、
「ゆめ」の方であり、
“うしないし さまざまのゆめ、 ”
“きえてゆくかな うつくしき さまざまの夢。”
と使い分けたのかなと思いました。


質問その②:「ゆめ」と「夢」の2択なら、「夢」を使います。
漢字の方は、そこに人の意志が入っているようなイメージだからです。

私も文章で何かを表現したい時は、
漢字や平仮名で使い分けますが、
質問①で区別した感じに使い分けます。

でも、ただ、「ユメ」を単体で「ゆめ・夢はこうだ!」と使い分けるのではなくて、
前後に書いた内容によって、意味を含ませ、どんな表記にするかを選びます。


それにしても、詩的な世界は解釈するのが難しいです><

===補足===
一か所訂正致します。

×「ゆめ」…無意識に見る「ユメ」。現実。子供。
「 夢 」…意識して見る「ユメ」。非現実。大人。

○「ゆめ」…無意識に見る「ユメ」。非現実。子供。
「 夢 」…意識して見る「ユメ」。現実。大人。

現実と非現実を逆に書いてました><
混乱させてしまいましたら申し訳ないです。

コメントと評価をありがとうございます!

確かにそうですね。
朝と夜、子供と大人、現実と非現実…同じ次元にありながら、
180度変わってしまう一日の生活スタイルのようですね^^

  • 回答者:海王星りり (質問から12時間後)
  • 1
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

わかりやすく説明してくださってありがとうございます。
夜見る夢(無意識のもの)は子どもの持つ「ゆめ」のようなもの、という考えが面白いです。
起きると同時に現実に引き戻されて「ゆめ」はうしなわれ、大人の自分がみる「夢」へと変貌していくのが、走馬灯のようで…("走馬灯"って言っても死ぬわけじゃないですが(;^ ^;))、詩の一瞬の流れの中に、いろんな人生がつまっているような感じですね。

---

Σ ハッ ほんとだ! はじめは「ゆめ」-現実、「夢」-非現実、だったですね。
私こそ、定義してくださったものと錯綜するような言葉遣いでコメントしてしまいました~(+_+)ごめんなさい。
3行目は「起きると同時に"現在に"引き戻され」と書けばよかったかも…。(+_+)

いやはや、例を挙げて丁寧に説明して頂いていたので、頭の中にすんなり図式
【○「ゆめ」…無意識に見る「ユメ」。非現実。子供。/「夢 」…意識して見る「ユメ」。現実。大人。】が出来上がってしまったというか…あまり逆転が気になりませんでした(混乱はしてないです)。

しかし、こちら【×「ゆめ」…無意識に見る「ユメ」。現実。子供。 /「 夢 」…意識して見る「ユメ」。非現実。大人。】 もまた、表裏一体であるとも感じます。
おしなべて、「ゆめ」―非現実の世界(現実の意識が介入しない)、「夢」―現実の世界(現実の意識が介入する)であったとしても、現実と想像の境界があいまいな子供にとっては、「ユメ(ゆめ)」の世界は、逆にリアリティがあるとも言え、それに対して、現実とユメの境界線がハッキリしている大人にとっては、"「○○がないから出来ない、無理だ。」と自分の手で消してしまう「ユメ(夢)」は、リアリティのないものです。
けれども、その大人にとってリアリティのない「ユメ(夢)」は、彼らの理論的な意識(現実を見るまなざし)が介入しているという点では、限りなくリアル(現実的)であるとも言えます…

…と、転回させていくと言葉遊びのようになってしまって、ちょっとこんがりそうです^ ^;

そもそも、無数に在る概念に対して、それを言い表す言葉(共通の記号)は限られてくるというのが、しんどいときあります。
想像や夢の世界は、色んな方面にも広がり、色んな意味合いを持ちながら何層にも何次元にも存在し得るものなのに、それらを表現する言葉といったら「夢」「希望」「想像」「非現実」etc……というふうに限定されますので、"言葉が追ッつかない"現象も、世界にはたくさんありそうです。
詩(に限らず絵や音楽などの文学とか芸術とか)は、言葉で説明するよりも、そのまま直接に感覚で受け取る(受け取らせる)ほうが、よっぽど楽だし伝達もスムーズかもしれません。でも、それらの印象や解釈を他人と共有するとなったら、やっぱり必要なのは言葉なんですよね…。
解釈することは本当に難しいと私も感じます。

 * * *

ところで、最後の"朝と夜、子供と大人"という言葉から、このナゾナゾを想い出しました♪(^^

【Q、朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。この生き物は、な~んだ】

  ↑これ、スフィンクスの謎かけですなんですが…答えご存知ですか??

もし、わからなかったら……
スフィンクスに食べられちゃいます。危険!!(笑)

----
補足ありがとうございました。<m(*_ _*)m>

1 ゆめ/頭の中で描く空想の世界ってイメージがあります。
「ゆめ」なんかふわふわしてる感じがします;
 夢/「将来の夢」など、叶えたいもの。夜見る夢。などと思っています;
 漢字だとなんか引き締まってる!って感じがします。
「夜見る夢」はなんかリアリティな感じがします;
 
2 「夢」を使う時が多いです。

  • 回答者:匿名希望 (質問から10時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
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漢字という姿を与えられること(言葉が音だけではなくなること)について、この詩にこめられたメッセージは何なのかというのを考えたくて質問しました^^
"漢字だと引き締まる"という感覚、私もよくわかります。

①:「ゆめ」は叶える気がない感じ、「夢」は叶えたいもの
②: 漢字の「夢」のイメージで使うことが多いです

===補足===
なんとなーく口にしている感じがするからです

  • 回答者:匿名希望 (質問から8時間後)
  • 0
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お礼コメント

「叶える気がない」と平仮名なんですか。
何故でしょう。

1.ひらがなの「ゆめ」はもっと幼心で表現したい時に使いたいイメージ
 漢字の「夢」は大人のイメージの詩を書きたいというイメージ

2.漢字の「夢」です

  • 回答者:匿名希望 (質問から36分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

回答ありがとうございます。
"「大人のイメージ」の詩を書きたいというイメージ"って何でしょうか??
お聞きしたいのはそのイメージなんですけども…。

① (ゆめ) 叶わなくてもいいんだけど~てへ もしくは叶わなさそうな ゆめにゆめみる 初々しいイメージ
  (夢) 強く叶えたい 現実的な願望 実現出来そうな夢 というイメージ

② 気持ちは「ゆめ」で発言したり考えたりしますが、書く時はいつも、「夢」と漢字です。

  • 回答者:燕 (質問から29分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
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漢字になるときに意味を与えられる、ということでしょうか。
(平仮名だとまだぼんやりしているが、そこに何らかの意味付けがなされたとき、はじめて漢字の姿になる。)
②の「書く」という行為も、思考や言葉の原型にハッキリした「言葉」の形を与えることのように思えます。

①第3連2行目の平仮名の「ゆめ」・・・寝ている時にみる「ユメ」をイメージしました
  第4連3行目の漢字の「夢」・・・心の中に思い描く「ユメ(将来の夢など)」をイメージしました

②普段はどちらの意味でも「夢」と漢字を使っていますが、あえて平仮名と漢字で使い分けるなら、平仮名は寝ている時にみる「ユメ」、漢字は心の中に思い描く「ユメ」で使います。

  • 回答者:匿名 (質問から13分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

回答を読むうち、将来の"夢"と寝ているときにみる"夢"が同じ言葉であることに、急に「何故??」と思ったので、検索だけかけてみたら、英語のdreamの意味を日本語に訳したときの影響や、昔は"夜にみる夢"の概念が、"未来の目標"(将来くるべきもの)の概念とそれほど離れていなかったから、などの考え方がヒットしました。
しかしそういった説明を読んでも、夜みる夢と将来の夢が「同じもの」とは私には思えませんが……
言葉がそもそもズレていたのか、それとも言葉を使う人間の意識が次第にズレていったのか、どちらなのでしょうか。

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