すべてのカテゴリ » 知識・教養・学問 » 知識・学問 » 歴史・地理

質問

終了

日本の戦争で歩兵の主要な兵器が刀から銃に代わったのはいつからですか?

織田信長は火縄銃を3列に分けて効率よく装填して勝利を収めたそうですが、
その当時はまだ刀のほうが主力だったと思います。
戊辰戦争の頃もマシンガンなども登場したようですが、写真などではまだ帯刀しています。
日本の戦争が刀から銃に代わった戦争というと、どの戦争になりますか?

  • 質問者:匿名
  • 質問日時:2011-01-31 10:08:34
  • 0

並び替え:

西南戦争だと認識しています。

  • 回答者:フル・フロンタル (質問から7日後)
  • 0
この回答の満足度
  

戊辰戦争からと解釈するのがいいようです。

  • 回答者:匿名 (質問から3日後)
  • 0
この回答の満足度
  

サーバ不安定で回答出来ないうちアップされちゃいましたね。
下の4時間後の「匿名」さんの回答でOKだと思われます。

なのでおまけの補足分だけきりばり、、、。(てなわけで評価は無評価で良いです。)

長篠の戦い織田の鉄砲三段撃ちは江戸時代に作られた話。と言うのが現在のおおかたの見方になってます。古戦場跡から刀剣武具などの発掘はあるけど銃3000丁分ほどの銃弾が見つかっていません。
「信長公記」にも銃を用いた記載はありますが、三段撃ちの話は記載されていません。
維新後の陸軍の教科書に江戸時代に作られたその話が兵法として有効としてとりあげられひろまったようです。

信長時代の銃だと三段では装填が間に合わず、五段とか六段撃ちにしないとお話道理に間断なく撃てないという実証実験もされてます。

この回答の満足度
  

たぶん、きっかけは下関砲台占領事件あたりからだと思いますね。
その後の第二次長州征伐では銃の性能が勝敗の帰趨を決めていますし。

長篠の合戦は有名ですが、戦国時代の鉄砲の使い方は攻城戦を除けば「狙撃」と「防衛」が目的で(長篠合戦も「防衛」目的で鉄砲を使っています)、突撃に使用することは無かったと思います。

  • 回答者:とくめい (質問から5時間後)
  • 0
この回答の満足度
  

近代戦の先駆になったのは日露戦争ですが、銃や大砲が主要になったのは戊辰戦争です。
戊辰戦争になる前、幕府は西洋式の兵術を採用するになってから、各諸藩も採用するようになり、外国の武器商人を通じて西洋の銃や大砲を購入するようになりました。
鳥羽伏見の戦いでは、幕府よりも先に西洋式兵術を採用していた薩長軍が、旧幕府軍よりも兵力が劣っているにもかかわらず、銃と大砲による火力によって勝利しました。
銃で戦っているにもかかわらず、刀を帯刀としていた利用は、当時の銃は一発ごとに弾を込めるタイプが主流で、弾を込めている間に敵が接近した時の接近戦を考慮して、刀を帯刀をしておりました。
ちなみに、当時は銃に付ける銃剣はありましたが、銃口に弾を込める時に銃剣を付けていると弾込め時の作業が邪魔で早く弾が撃てず、それを嫌って銃に銃剣を付けて戦う兵士は少なく、西南戦争時の薩摩軍兵士もその理由から刀を帯刀して戦いました。
戊辰戦争後期になると、刀や槍による接近戦が少なくなり、鉄と大砲による火力での戦争が主要になっている内容が、多くの文献・記録・書籍に残っております。
明治政府になってからは、軍の近代化が進み、明治7年の台湾出兵時の日本軍は、完全に銃と大砲が主要になっており、指揮官や兵士はサーベルや銃剣を装備しておりました。
明治10年の西南戦争では、薩摩軍や警察から刀による抜刀隊が登場しましたが、政府軍からは抜刀隊は登場しておらず、 最初は薩摩軍の抜刀隊にビビっていた政府軍兵士達も戦っているうちに、銃による一斉射撃や銃に付けた銃剣だけで薩摩軍の抜刀隊を接近させず追い払えることを学んでおり、銃や大砲による火力で政府軍が勝利しております。

  • 回答者:匿名 (質問から4時間後)
  • 1
この回答の満足度
  

あくまで個人的意見ですが、日清戦争ではないでしょうか。
これは初の近代戦争だったと思います。

  • 回答者:匿名希望 (質問から47分後)
  • 0
この回答の満足度
  

関連する質問・相談

Sooda!からのお知らせ

一覧を見る