すべてのカテゴリ » ニュース・時事 » 国際

質問

終了

遺棄化学兵器は、下記のように引き渡されていたのでしょうか。だとしても、一応贖罪のつもりで兵器処理を請け負っておくのが、礼儀というものでしょうか。その方が、将来の日中関係に希望をともすのでしょうか。

雑誌「正論」より
問題スクープ第5弾【中国“遺棄化学兵器”問題】<私は化学兵器を確かに引き渡した――旧日本軍兵士の証言(聞き手/本誌 喜多由浩)>
【石頭の元予備仕官学校生(軍曹)、二本柳茂さん(81)=新潟市=の証言】
※二本柳さんは昭和19年9月に召集され、北海道・旭川の歩兵第26連隊に入隊(二等兵)。10月、満州へ渡り、佳木斯(チヤムス)の独立歩兵第266大隊へ。20年5月、甲種幹部候補生となり、牡丹江省石頭にあった予備仕官学校で訓練の日々を送っていた。そこは中国全土から最後の幹部候補生をかき集めた事実上の部隊で、3600人の6個中隊で編成されていた。
●終戦前には、満州の石頭にあった予備士官学校にいた。当時すでに、敗色が濃かった南方戦線などでの実戦部隊を作るために、中国全土から3600人がかき集められた。昼は、対ソ戦に備えて戦車攻撃の訓練、夜はジャングルの中での忍者戦術と自爆の訓練を毎日、繰り返していた。訓練を終えると、少尉に昇進して、南方へ行くという話だった。
●昭和20年8月9日のソ連軍の満州侵攻、その日の朝、中隊長からそのことを聞き、ハチの巣をつついたような騒ぎになり、出動準備に追われた。3600人の6個中隊は2つに分けられ、半分は牡丹江へ、我々は東京城へ徒歩で向かうことになった。後に、牡丹江へ行った1800人はソ連との戦闘で、ほぼ全滅したと聞いた。
●我々の行き先は吉林省の敦化だ、と聞かされていた。8月18日ごろ、山中で突然、ソ連軍のトラックに囲まれた。数日前に日本が負けたらしいことを聞き、敦化で武装解除になるということだった。そのころになると、他の部隊と合流して、1万人ぐらいになっていた。
●武装解除はその18日か19日に行われた。場所は敦化の近くだった。上官から全ての鉄砲、弾薬を集めておくようにという指示を受けた。夜通しの行軍で疲れ切っており、兵隊はみんな、武器を差し出して身軽になったことを喜んでいた。みるみるうちに武器は山のように積み上げられて、高さ2~3メートルぐらいになった。
●その時、持っていた毒ガス兵器も含め全ての兵器をソ連軍に引き渡したのは間違いない。上官から、「毒ガス兵器(化学兵器)だけを隠せ」とか「捨てろ」というような指示が出たこともない。そんな暇も余裕もなかった。引き渡した毒ガス兵器だけで、数千発はあったと思う。
●その毒ガス兵器とは、対戦車用、対塹壕攻撃用の通称「ちび」という兵器。液体青酸を野球ボールぐらいの丸い容器に充填したもので、兵隊一人ひとりが袋に入れて、腰にぶら下げていた。小型の対戦車爆雷である「アンパン」(通称)というものも持っていた。
※「ちび」は、致死性の高い「ちゃ(剤)1号」(液体青酸=毒性は血液中毒性ガス)を丸いガラスに詰め込んだ「ちゃ瓶」のこと。致死性が低い「あか剤」(くしゃみ性・嘔吐性ガス)や「みどり剤」(催涙性ガス)とは違って、化学兵器禁止条約の対象となっている、紛れもない毒ガス兵器。
●「ちび」を使用したことは一度もない。犬を使って実験をした。かわいそうなことをした。
●上官から使用についての注意を受けたことは特にないし、武装解除の時も、通常兵器と区別なんてしない。「全ての武器・弾薬を出せ」といわれて、全部を差し出した。
●ソ連軍に引き渡したそれら化学兵器を含む武器・弾薬が、その後どうなったのかは分からない。中国側は、「旧日本軍が化学兵器を遺棄した」と主張しているが、それも私にはよく分からない。少なくとも、私たちは「(化学兵器を)隠せ」とか「捨てろ」という指示は受けなかった。
※ちなみに敦化は、中国側が大量の化学兵器が「遺棄されていた」と主張している場所である。
※二本柳さんは数年前、今回と同じ内容の証言を、政府側の電話による聞き取り調査に対して行っている。その内容は政府の担当部局にも伝えられているとみられるが、その後、二本柳さんに詳しい話を聞きにきた政府の担当者は皆無だという。旧日本軍による化学兵器の引き渡しについて、政府側はこれまで国会答弁などで、「中国やソ連が同意していたことを示す確実な証拠は見つかっていない」という趣旨の主張を繰り返してきた。だが、それをくつがえす証言や資料の存在を知りながら、ある意図を持ってわざと無視を決め込んでいたとすれば、その責任は極めて重い。
※二本柳さんはその後、シベリアに抑留された。復員は昭和23年5月。
【元機動第1連隊中隊長(少尉)、米田誠次郎さん(83)=大阪府堺市=の証言】
※米田さんは、陸士56期。昭和18年5月、少尉に任官し、19年8月、関東軍の機動第1連隊中隊長に。20年6月、旧満州吉林省・杜荒(孔)子付近において、ソ連軍の攻撃に備えて戦闘準備を進めていたが、8月9日の突然の侵攻で、ゲリラ戦を行うために、中隊の約130人を率いて山中へ。しかし、28日ごろ、連隊命令として、停戦の指示を受けた。9月2日、杜荒(孔)子で武装解除に応じ、全ての武器・弾薬をソ連軍に引き渡した。
●8日28日ごろ、戦争が終わったことを知り、武装解除を行うために、ソ連軍が駐屯していた杜荒(孔)子でへ向かった。9月2日に着いたときは、すでに他の中隊は到着しており、我々が最後だった。他の中隊は武装解除され、倉庫に収容されていた。私の中隊の中には、「出ていかない」という人もいたが、満州の気候はとても厳しく、とても山中に冬は越せない。そういって説得し、中隊全員で武装解除に応じた。
●武装解除は極めて整然と行われた。到着後、真っ先に大隊長へ報告。最後の捧げ銃の敬礼を行い、部隊を解散した。そして、各兵隊が携帯していた三八式小銃を、ソ連兵の監視する前に並べて置いた。私は持っていた軍刀(備前長船の銘刀。現在の貨幣価値なら1000万円ぐらいになるかもしれない)やドイツ製の双眼鏡(8倍)まで、一緒に手渡した。武器解除に抵抗する者は、ひとりもいなかった。
●ソ連軍との間で、引継書のような書類は一切取り交わさなかった。ソ連軍から、領収書を受け取ることもなく、我々としても、そういったものを受け取る意思も、必要も認めなかった。満州における武装解除の状況は、おおむねこうしたものだったと思う。
●我々は機動連隊であり、装備は一般の歩兵連隊とほぼ同じだから、いわゆる化学兵器は持っていなかった。ほかの多くの部隊がそうだったと思う。いわゆる化学弾を所持していたのは、我が国では野砲兵連隊、山砲兵連隊、野戦重砲兵連隊など。しかも一会戦分の一個師団の弾薬数は400~500発。もし、中国がいうように、本当に関東軍が200万発も化学兵器を持っていたのなら、降伏はしなかっただろう。
●“遺棄化学兵器”の問題では、発煙筒の一部まで、「化学兵器」とされているが、一般的に発煙筒とは、直径約5センチ、高さ約20センチ程度のもので、殺虫剤のようなものを想像すればいいと思う。戦時には、味方の行動を秘匿するために、煙幕として使用したもの。毒性もなく、これを化学弾と呼ぶのは誤り。
●仮に化学弾であったとしても、武装解除でソ連軍に引き渡している。全ての武器・弾薬を整然と引き渡している。だから所有権は日本にない。武器・弾薬は、ソ連軍の所有になり、その後の国共内戦などで兵器を必要とした毛沢東の共産軍に譲り渡したかもしれない。それは私には分からないが、いずれにしても武器・弾薬の所有権はソ連か中共のいずれかにあるはず。日本ではない。
●中国側の主張は、おかしい。引き渡したはずの武器・弾薬の所有権が日本にあるというのなら、私の備前長船の銘刀はどうなるのか。裁判でも起こしたら、返してもらえるんでしょうかね。現在、外務省がどれほど“売国奴的外交”をやっているか。数え上げれば、キリがない。
※米田さんは、武装解除後、シベリアに抑留された。昭和23年12月に復員。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid140.html

  • 質問者:尖閣
  • 質問日時:2011-03-01 17:02:46
  • 0

日本が一番おねだりしやすい国だと思っているだけで、こじきと同じなんです。
そしてそのうち日本列島自体を領土にしたいのかもしれません。
なんでそこまでする必要があるのか理解出来ないんですけど、手始めに遺棄化学兵器の処理をさせて、有り金をすべてむしり取るつもりなんでしょう。
断固として断るしかないのに、今の政府じゃ無理でしょうね。

  • 回答者:匿名希望 (質問から3時間後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

並び替え:

何でもいいから理由をつけて、日本から金を毟り取ろうと、中国は考えている。
アメリカならば、無視するが、
民主党はなぜか、金を垂れ流す。
義務も責任も、日本には無い!
中国には礼儀も感謝も感じていない。
早く民主党をつぶして、無駄金を中国に流さないようにすべきである!

  • 回答者:匿名 (質問から4日後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

捨てたのは中国なので、日本に要求してくるのは筋違いです。

  • 回答者:匿名 (質問から7時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

日本に処理する義務はないでしょう。持ち込んだのは旧日本軍ですが、引き渡したので、日本が捨てたものではないでしょう。

  • 回答者:Beethoven (質問から2時間後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

スッゴイなぁ。
加害者は必死に罪を認めないんだもん。
どう言い逃れしても日本が持ち込んだのは事実だから贖罪はしっかりやらねば。。

  • 回答者:匿名 (質問から49分後)
  • 0
この回答の満足度
  
回答ありがとうございました。
お礼コメント

そうですね。中国軍は捨てておいて罪を認めていないようです。

関連する質問・相談

Sooda!からのお知らせ

一覧を見る