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琴奨菊関の学生時代の意外な秘話を、恩師が語りました。

【大相撲】恩師が語る、新大関・琴奨菊の知られざる素顔
webスポルティーバ 9月30日(金)12時51分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110930-00000301-sportiva-fight

「大関の地位を汚さぬよう、万理一空(ばんりいっくう)の境地を求めて、日々努力精進いたします」

 緊張感を漂わせながら、大関昇進伝達式で口上を述べた琴奨菊。相撲界に入門して10年。2年で十両昇進を果たし、“大器”を予感させる活躍を見せていたことを思えば、長い道のりだった。

 そんな、07年の琴光喜以来となる待望の“日本人大関”誕生を「あいつの努力が実ったね」と、感慨深げに見つめていた人物がいる。琴奨菊の恩師、明徳義塾中・高相撲部時代の監督である濱村敏之氏だ。

 濱村氏が琴奨菊こと菊次一弘(きくつぎ・かずひろ)少年と出会ったのは、小学校6年生の彼が、明徳義塾相撲部の見学に来たときだった。

 「わんぱく相撲でそれなりに活躍していたけど、色が白くてぽっちゃりしたお坊ちゃまタイプ。最初は正直、『大丈夫かなぁ』と思いましたね。でも、『明徳で一緒に相撲をやるか?』と聞いたら、『ハイ』と即答した。だから、その場で新しいまわしをプレゼントしたんです」

 それから、生まれ育った福岡県を離れ、高知県の明徳義塾相撲部寮での生活をスタートさせた菊次を、濱村氏はずっと見守ってきた。

 菊次の資質の高さは早々に感じたという。
「稽古をし出してすぐに『おッ』と思った。それは、ウチの稽古場で一番いい四股(しこ)を踏んでいたからです。四股は相撲の基本です。腰の回し方、体重の移動、すべてが基本に忠実で無理がなかった」

 そして、菊次が頭角を現し始めたのは、中学校2年生のときだった。モンゴルからの留学生、ダグワドルジとダシニャム、のちの朝青龍と朝赤龍が、高校の相撲部に入部したことがきっかけだった。

 「かなり刺激を受けたと思う」と濱村氏は語る。中学生と高校生とでは稽古時間が若干異なるものの、同じ土俵でダグワドルジの稽古を見た菊次は目を丸くしていた。

 圧倒的な存在感とスピード。何番でも相手に食らい付いていく気持ちの強さに「僕もあんなふうになりたい」と憧れ、いつも熱の帯びた稽古を繰り広げていたそうだ。そして、中学校3年生になった菊次は、ついに全国中学校相撲選手権で優勝を果たした。

 高校生でもさらなる活躍が期待されたが、最初は濱村氏が思い描いていたタイトルにはなぜか手が届かなかった。

 「本人も苦しかったと思いますよ。でも、『つらい』とか『家に帰りたい』などという言葉は一度も聞いたことがない。言ってはいけないと思っていたんでしょう。黙々と稽古を続けていました。要するに、心が備わっている子だったんです」

 そんな真面目な生活ぶりは、学内でも共感を生んでいたという。高校2年のときには生徒会長に推薦されたのである。

 「自分から立候補したとかではなくて、周りの生徒たちが『頼むから、菊次にやってもらいたい』と言ってきたんです。何事もまじめに取り組む子でしたから、ウチの女房なんかは反対していましたけどね。『生徒会長などになってしまったら、相撲の稽古がおろそかになる』と……」

 しかし、相撲と生徒会長という“二足のわらじ”は、意外にも好結果を生んだ。秋の全国選抜宇佐大会で念願のタイトルを手にすると、それからは各大会で無類の強さを発揮。数々の栄冠を獲得して、6年間の明徳義塾での相撲生活に花を添えた。

 明徳義塾高を卒業し、かねてからの希望どおりプロ入りした菊次の動向にも、濱村氏は気を配っていた。2年で関取・琴奨菊となり、プロ入りしてから身につけた『がぶり寄り』を代名詞とする相撲には賛辞を送る。

 「大型外国人力士が上位を占めるプロの世界では、どうしても小さい部類。そこで、相手を起こして攻めるという手法を取り入れたわけです。ガムシャラさが前に出ているし、体に合っていると思いますよ」

 時を経て、今年の名古屋場所(7月場所)。琴奨菊の大関がかかった場所でも、濱村氏の姿があった。現在の住まいのある大阪から愛知県内の佐渡ヶ嶽部屋宿舎へ頻繁(ひんぱん)に足を運んだ。

 「大関昇進には3場所で33勝というラインがある。今年は春場所の開催中止などもあり、半年以上緊張感を持続しなければ、大関への道はつながりません。そこで一番大切なのは、途中で気持ちが切れてしまわないこと。だから私は、背後から『がんばれ!』という気持ちを送り続けようと思っていたのです」

 結局、同場所での大関昇進はならなかったが、濱村氏の声援は翌秋場所(9月場所)になって届いた。

 13日目の白鵬戦。大関昇進がかかる大一番。両国国技館1階の最後列に陣取った濱村氏は、時間いっぱいになると、詰め掛けた観客たちの声援をかき消すほどの大きさで声を張り上げた。「カズヒロ~!!」

 「これ、意外と聞こえるらしいよ」とにっこり笑う濱村氏のかけ声に応えるように、琴奨菊は白鵬を撃破。翌14日目の日馬富士戦も白星を飾って大関を確実にした。

 取り組み後、ガッチリと握手をかわす師弟の姿があった。

武田葉月○文 text by Takeda Hazuki

●朝青龍らと同じ高校なのは知ってたけど、生徒会長をやっていた事までは私も知りませんでした。

思った事をお聞かせください。

  • 質問者:柳川市のムクドリ
  • 質問日時:2011-10-12 13:10:33
  • 0

回答してくれたみんなへのお礼

事奨菊は人格も優れた力士なんですね。ますます好きになりました。

生徒会長もやるなんて人望の厚い方なんですね。
しかも立候補でなく推薦だなんて。

こういう誠実な人が相撲界をリードしていってほしいですね。

  • 回答者:匿名 (質問から6時間後)
  • 2
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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おじいさんが大好きなのは、優しく素直な性格なんだろうとは思っていましたが・・・

初めて聞くエピソードですが、イイ話です

  • 回答者:匿名希望 (質問から3日後)
  • 1
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

相撲の練習だけでも大変なのに生徒会の会長まで務めるのはきっと努力家なんでしょう。
そして人望がそれだけあったと言う事です。
これからの活躍にも期待したいですね。

  • 回答者:匿名希望 (質問から9時間後)
  • 1
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

人間性がとても素晴らしいと思いますね。

  • 回答者:匿名 (質問から7時間後)
  • 1
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

人間性がとても素晴らしいと思いますね。

  • 回答者:匿名 (質問から7時間後)
  • 1
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回答ありがとうございました。

つらい稽古でも、弱気なことは言わなかったんですね。
しかも生徒会長もしていたとは。人間性がすぐれていたから選ばれたのでしょう。
相撲には強さだけでなく、精神的な力が非常に要求されますね。

  • 回答者:匿名 (質問から2時間後)
  • 1
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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