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類人猿などはボノボ、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンなど数種類が生存しているのに、人類だけはホモサピエンス一種しか残りませんでした。ネアンデルタール人や北京原人、その他多種の猿人や原人は生き残れませんでした。チンパンジーなどはごく近い仲間としてボノボがいるのに、私たちに一番近い種であるネアンデルタール人は何故絶えてしまったのでしょうか。環境に適応できなかったといわれればそれまでですが、具体的にはどんな事だったのでしょう。もし、二種類の人類が存在していたら想像できない世の中になっているだろうと、一番身近で絶えてしまった種族に思いを馳せることがあります。もめ事も多くあるはずだと思いますが、それを乗り越えた後の世界は今の世と比べてどうであったか。結局は乗り越えられず、ホモサピエンスの手で絶滅させてしまっていたのか。不思議が終わりません。皆さんはどう思いますか。

  • 質問者:ひとりぼっち
  • 質問日時:2008-09-16 07:07:02
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http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=53365326

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa846983.html

http://okwave.jp/qa3373387.html?rel=innerHtml

確かに不思議ですね。
生き残った者=勝者という意識があるのか、
敗者への贖罪の意識も少し感じられる説もあったりして、興味深いです。

二者択一だったのか、共存もありえたのか。
本来の道筋と違うことがあって二種類の人類が存在しえたとしても、
やっぱり生存競争が原則なので、それなりにこういう世の中になってると思います。
ホモサピエンスもこのままいくと自滅っぽいですが、この先また新しい知能を持った種が誕生したりしても共存はできそうにないと思いますね・・・

  • 回答者:悲観的? (質問から5時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

回答ありがとうございます。
私はホモサピエンスの自滅がもしかしたら、もう一種の人類の存在によって防げるのではないかと考えているのです。多くの種が互いに影響し合うようにです。でも人間は一人だけ走りすぎてしまった。それも度を抜いて、しかも自律できずにです。

かつては猿人も数種存在し、原人も数種存在していました。その頃は猿人同士・原人同士で戦っていたようです。結果、1種類の原人が生き残り、それがホモサピエンスに進化しました。
もし複数のホモ属が進化してきたならば、棲み分けをしていたと思います。そして独自の文明・文化をそれぞれ創り、お互いに交流などあったかもしれません。それともやはりと言いましょうか、戦争ばかりの世界になっていたでしょうか。もしそうであったなら、結局は1種のホモ属が生き残っていたかもしれません。
ホモサピエンスのこれからの進化によっては、複数の種に分化するかもしれませんね。

  • 回答者:選ろう (質問から2時間後)
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

回答ありがとうございます。
何とかこの一種を絶やしたくないと思っています。

適応能力に欠けてたのでは?

  • 回答者:隕石 (質問から15分後)
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回答ありがとうございました。
お礼コメント

その通りです。

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