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李完用を知っていますか。

 併合に最も貢献した韓国人は併合時の韓国首相李完用である。彼はその剛直な人柄と高邁な学識で、高宗や伊藤博文の信頼を受け、良く閣内をまとめ、難局を処理した。しかし韓国では、日本に韓国を売り渡した五賊の筆頭として非難されている。彼の墓は戦後暴かれ、死体を切り刻まれた。又日本ではロシアの勢力が強いときは親露派で、日本の勢いが強くなると、親日派に転向したオポチュニストとして、必ずしも評価が高くない。しかし単なるオポチュニストでは、二回も家を焼かれ、刺客に襲われ重傷を負っても尚、内閣を率い、併合に導くことが出来たとは思えない。

李完用は安政五年(一八五八年)生まれで、明治一五年科挙に合格した。代理公使等として、アメリカで約三年勤務した。帰国後は親米派の官僚として活躍した。明治二七年年日本全権公使に任じられたが、喪を理由に拝辞した。

 李完用は積年の因縁により、アンチ大院君であった。明治二八年起きた閔妃殺害事件により、政権を握ったのは大院君である。その為身の危険を感じた李完用はアメリカ大使館に逃げ込み、この年任命されたばかりの学部大臣を罷免された。しかし明治二九年、皇帝が露館播遷に成功すると、直ちに呼び出され、外部大臣に任じられた。彼はアメリカ、イギリス、ロシア等、欧米の外交官や宣教師と韓国の政治家で結成した貞洞派のメンバーとして、日本とは一定の距離を置いていた。この会で長い亡命生活を終え、アメリカより帰国した徐戴弼と会ったことが縁となり、徐戴弼と共に独立協会を結成し、自主独立運動の中心人物として活躍した。http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/shazai/1shou.html

  • 質問者:くわっちゃさびたん
  • 質問日時:2013-06-13 22:16:40
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知っています。
評価は様々な人ですが、当時の朝鮮半島は、国家財政は完全に破産して、国土は荒れて政治と行政は腐敗していて、列強からの借金は増える一方で、借金返済のアテはまったくなく、自力での国家再建が無理な状態では朝鮮人民族を守ることはできないので、朝鮮の独立を維持するよりも日韓併合を選択したのは、彼なりに苦渋の決断だったと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から31分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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聞いたことはある程度
権力に執着して大になびいただけでしょと思う。
けなされ続けようがなにしようがめげず?に懲りないで政治家続ける人って今でも居るし

  • 回答者:左のツバサ (質問から6日後)
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やや参考になりました。回答ありがとうございました。

知りませんでした。
国や国民の為に本当の意味でよい事をしたと感じますけど
あの国ではその様に取られていないのですから、悲しいですね。

  • 回答者:匿名 (質問から6日後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

いいえ、知りませんでした

  • 回答者:sooda (質問から18時間後)
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やや参考になりました。回答ありがとうございました。

知りませんでした。そのような人物が存在していたのですね。
国家の危機を乗り越える為に尽力をしたのですね。韓国ではどう評価されているのでしょうか。

  • 回答者:匿名 (質問から12時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

非国民として、墓から掘り出されて切りきざまれています。

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