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よくTVでバブルの頃のすごい映像やエピソードが出てきますが、本当にあんなにすごかったのでしょうか?(例えば、一万円札をフリフリしてタクシーを止めたとか)

  • 質問者:ノンバブリー
  • 質問日時:2008-10-31 22:37:34
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都会はすごかったようです。
こちらは地方なので、あそこまですごくなかったです。

株と土地に絡んだ人が、恩恵を受けていました。
東京で証券会社に勤めていた友人も、
キャッシュで外車を買ってましたね。

  • 回答者:お助けマン (質問から7日後)
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そうだったみたいですね
自分ははじけるぎりぎりで社会人になったのでそこまでは行きませんが新入社員の年の冬のボーナスで100万ありました
今では考えられません

  • 回答者:知識人 (質問から7日後)
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就職氷河期に入社しました。
私も先輩の話を聞くと信じられませんでした。
ボーナスも3倍近くあったし、接待費もすごかったみたいです。
今の会社には優雅だった頃の面影が全く無いから・・・

  • 回答者:お助けマン (質問から7日後)
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学生だったので特に何も感じませんでした。
周りの大人も羽振りがいいとは思えませんでした。
今と比べると良いかな~ってくらいで。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から7日後)
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バブル末期に就職活動をしました。
バブル期に成り上がった会社などは、
面接に行くだけで、数日後には内定通知が届いてました。
内定前から会社説明会と称した食事会やら、国内旅行など至れり尽くせり。
入社後の研修は、リゾード地で行うなど・・

TVの映像もさほど大げさでは無いと思いますよ。

  • 回答者:知識人 (質問から4日後)
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田舎の証券会社だったのですが、経費はだいぶゆるかったようです。

まだ入社間もなかったのですが、タクシーで1万円程度は利用させてもらいましたね。

フリフリしてタクシーをとめたことは周りではありませんでしたが。。

  • 回答者:respondent (質問から1日後)
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当時勤めていた会社はまったく高金利が災いしてまったく恩恵なしだったのですが、夏のある日エレベーターで某証券会社の女性社員が「初めてのボーナス50万しかない」と不満を漏らしていたのを後ろから殴りたくなる気持ちで聞いていました。
女性同士で飲みに行けば必ず近くに座っている、男性グループがちょっと話をしただけで全部おごってくれたことだけがささやかなバブルでした。
東京では本当にああいう場面があったようですよ。当時ニュースで普通に流れてました。

  • 回答者:まる (質問から24時間後)
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全ての事が
泡沫(うたかた)、バブルでした。

今では考えれませんが
良き時代でした。

今は、逆バブル。
厳し過ぎます。

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学生だったので、特に感じませんでした。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から21時間後)
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私も採用に関連した仕事をしてますが、企業の採用内定者には研修の名の下、1週間の国内旅行(企業によっては近場の外国旅行)に招待して内定辞退を防いだり・・、東京の会社説明会に北海道や九州から来る学生に交通費を出していたり・・、1企業が採用活動にTVCMを出していたり・・・、今では考えられないものばかりでした。

採用関連でこんなですから、企業間規模ではさらにすごいのでは・・・。

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大学生の就職活動でも景気良かったですよ。
会社説明会に行けば交通費(数千円〜1万円)がでたり、
先輩を訪ねれば銀座でおごってくれたり。

  • 回答者:知識人 (質問から19時間後)
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すごかったんですよ。
アルバイトの私にでさえ、ボーナスと秋に特別手当が出たり、ボーリング場を一日貸切で忘年会したり。
株だけでガソリンスタンド2軒建てたと毎日の様にうちの会社に来てはしゃべっていた社長もいました。
↑この社長はバブルがはじけた時に一緒に消えてどっか行っちゃいましたけど・・。

  • 回答者:お立ち台 (質問から19時間後)
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電話の受話器を二つ持ち、売り手と買い手を仲介してその場で数百万の手数料を貰うなんて事が当たり前に毎日続きましたね。
金銭感覚がなくなり今考えると馬鹿な浪費をたくさんしました。
万札でタクシーなんて序の口でここでは書けない事もずいぶんしましたよ。
日本中が狂っていましたね。

  • 回答者:あぶく銭 (質問から18時間後)
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私はバブルの恩恵を全く受けませんでしたが、友人で外資系超大手証券会社の人は、六本木のクラブで1晩で300万もするロマネコンティをあけるわ、ホステスの胸元にチップの1万円札を入れるわしていました。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から14時間後)
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凄かったです。
タクシーとか乗りまくりです。
金遣いが荒かったように感じます
今は辛いですね

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から14時間後)
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銀座では、タクシーなかなかつかまらなかったし、みんなのもってるかばんのルイビトン比率がどんどんあがってました。

  • 回答者:お助けマン (質問から13時間後)
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いまだにバブル時代を引きずってる人も見かけますが・・・
本当にすごかったです。
借金してまで遊びまくってる人たちが大勢いました。
地方から新幹線で東京のクラブに通ってるボディコンギャルとか。
国際会議なんかでは、一人につき複数の通訳者がはりついていました。(複数言語の通訳をつけたんです)
今じゃ考えられませんね。

  • 回答者:respondent (質問から9時間後)
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呑みに出かけるのは簡単ですが帰りが遅くなったら必ずタクシーはまず捕まえられませんでした。最寄りの駅までなんとか最終電車で帰ってきても自宅までのタクシー待ちで2~3時間はならびました。翌日の仕事はきつかったです。

  • 回答者:知識人 (質問から8時間後)
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東京です。
ちょうど働き始めたのがバブルの終わりくらいでしたが、毎日のように上司や先輩に食べたり飲んだり連れて行ってもらえて、まっすぐ家に帰ったことはありませんでした。タクシーは本当につかまらない状態で、毎夜豪遊する人々が街にあふれていました。
イベントのある日はホテルの予約がなかなか入れられなかったりしましたし、彼女の誕生日にお店を貸しきるだの派手なサプライズをしてましたよね。お誕生日やクリスマスのプレゼントも豪華でした。
ディスコは好きでは無かったので行かなかったのですが一度見ておくべきだったかも、話の種に。

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真っ只中にいましたけど
自分のまわりにはなかったですね。

足元すくわれるぞいつか・・・と冷静な人が多かったんで。

  • 回答者:匿名希望 (質問から6時間後)
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不動産関係です。当時、自由に出来た小遣いは「月30万円」、他には、車(独)を会社のローン払い、勿論ガソリンや保険全部会社もち!出張すれば、出張費他に個人食事飲み代、接待費底なし!・・・・・・・・あーぁ、良い時代だったなぁ・・・・。

  • 回答者:good old days! (質問から2時間後)
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日本全体が狂ってましたね。
夜中じゅう人が溢れていて
タクシーなんか行き先をを言って
近場だと乗せてくれませんでした。
5キロぐらいの道のりを酔っ払いながら
よく歩いて帰りました。
今では考えられませんよね。

  • 回答者:知識人 (質問から2時間後)
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ありましたよ。渋谷から恵比寿まで外車の白タクで2万円とか・・。

  • 回答者:満月 (質問から2時間後)
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当時を遊んだ者ですが、お金はありました。
だから今がとても辛いです。
花金は夜通しでした。(オールの事です)
週に三回はコンパしてました。 しかも 男性が余裕のおごりで。
今の若い子は見栄を張れないので辛そうです。(ワリカンで心苦しいとか)
あの頃はある意味 メチャクチャでしたね。

  • 回答者:respondent (質問から2時間後)
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当時東京でOL?をしてましたが毎晩会社の上司と深夜か朝まで飲み会でした。
女の子は毎日おごってもらってました。

  • 回答者:respondent (質問から2時間後)
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ありましたよ! 我々営業の世界も随分違っていたようです。
私の聞いたエピソードとして、博多の街で長崎のお客さんを接待して、タクシーで長崎まで返した(何万円かかるんじゃ!)とか、通常接待では使えないような店(よーするに風俗系)で接待しても接待が楽々おりるとか・・・

なんともルーズで楽しい時代だったようです。(ああ、経験したかった)

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当時は大学生でした。
時給1000円以上のアルバイトが多かったです。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から52分後)
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フツーの会社に就職して、2年目にショットバーに価格6桁のブランデーが楽々キープできましたし、ほぼ毎週そのバーに通って、毎回5千円以上を払っていました。そんな時代でしたね。

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ウソみたいですがホントなんですよ。
私はちょうど会社員になりたての頃でしたが、
「会社というところは、お給料の他にもたくさんお金をくれるんだ」と思いました。
夏冬のボーナスの他に「春のお支度金」のようなものや、
さまざまな「お祝い金」が出ましたよ。

はぁぁぁぁぁ・・・・・・。
懐かしい。

  • 回答者:respondent (質問から37分後)
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タクシーは本当に止まってくれませんでした。
1万円札の人に取られてしまうのです。
今では考えられないですよね。

ただ恩恵を受けたのは一部の人で、そこまで凄いのはピラミッドの頂点とその人達が遊び回る人たちのテリトリー(飲み屋ディスコタクシー飲食店など)の内で、ちょっと外れるとそうでもないです。
ただ、今に比べれば私も普通に10万のスーツを簡単に買っていましたし、そこそこみんなが節約など関係ないと思う人が多かったと思います。
あの時無駄遣いしてなかったら今もっと貯金があっただろうなぁ……とは思いますね。
そしてその時にイケイケの綺麗なおねーさんだったらもっと特しただろうな、と思います(笑)
綺麗な人は大体メッシー(ご飯おごり係)アッシー(車係り)貢くん(プレゼント係)はいたと思いますよ~。
キャバやってた子は1日チップで最低5万はもらってました。
そして普通っ子の私に奢ってくれたり。
あ、一応恩恵は受けてますね。ほんの少しですが(笑)

  • 回答者:弾けないバブル求む (質問から34分後)
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懐かしいですね。
できるならもう一度したい感じです。

  • 回答者:お助けマン (質問から31分後)
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事実ですね!今からだと「スゴイ」なんでしょうけど、当たり前でしたね!
「ワンレン」「ボディコン」「みつぐくん」「アッシーくん」etc.
死語だらけですね…
でも、華やかさが目立ってますが、「地上げ」で悲惨な事も日常茶飯事でしたよ…

  • 回答者:GALA (質問から28分後)
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あんな感じでしたよ。
世の中が浮き足立っていました。
小学生でしたが、よくわかりました。

  • 回答者:知識人 (質問から24分後)
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すごかったです。お兄ちゃんはイタリアンのダブルスーツ、お姉ちゃんはボディコン、前髪くりんくりん。2000cc以上のセダンじゃなきゃ車じゃない。

  • 回答者:匿名希望 (質問から22分後)
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本当です。20歳そこそこの若者がベンツに乗ったり、マンション買ったり、遊びまくってました。

  • 回答者:respondent (質問から18分後)
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バブル期は私も結構若かったのですが.その私にでも投資するという人が何人もいて
20代でしたが.その頃はBMWのアルピナにムートンを付けてそれが社用車で使っていました。毎日が経営者家族との食事で.家に割烹屋が料理の食材を持ってきて.それで
食べたりという感じで.かなり美味しい生活でしたよ。
家で食べることが無く.自分のお金も使う事無くという感じでしたね。

20代でも明日からあなたは経営者というドリームみたいなバブル時期。
バブル期に日中のある店を表向き経営者としてパーセントのみ投資した人に払うという
形で5000万ほど投資する人とやりましたね。
そこが気に入らなくても次の投資する人がまた居てと言う感じで3人やりました。

バブリーな男性と結婚して海外旅行も年に2回は行き.国内は温泉などは月1で行ってましたし.貯金もかなり出来ました。

今も単にどこにでもある日中の職種ですが..。今は地味にまだその仕事を継続して
結婚してほんまの経営者としてやっていますよ。

  • 回答者:respondent (質問から15分後)
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そうですね。
バイトでホテルのレストランでお運びをしていましたが、毎日宴会だらけでしたね。
しかも料理を運んだだけなのに何故かチップをもらい嬉しかったです。(笑)
良い時代でした。

  • 回答者:お助けマン (質問から13分後)
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うちの母と父を見ている限り…田舎には全然関係のない話だったみたいです(;-;)
ただ仕事は今よりずっとたくさんあったみたいです。羨ましいですよね…いやマジで…。

  • 回答者:ash (質問から11分後)
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東京はそんなに凄かったのか。
石川県は、そんなに凄くなかったよ。

  • 回答者:お助けマン (質問から8分後)
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フリフリでタクシーを止めた事はないですが
フリーランサーの時代で、言い値で仕事が舞い込んで来ました
あっという間に、貯金通帳のゼロが増えていきました
あぶく銭キャッシュで、3カラットのダイヤモンドを買ったり
豪遊三昧でしたよ
40代後半女性

  • 回答者:Sooda! くん (質問から7分後)
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すごかったですね。
東京からラーメンを食べに行くのに、飛行機に乗って札幌まで行っていた時代ですからね。
今では考えられないなぁ~

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そうですね。
私はそんなに恩恵にあやかってませんが飲み屋さんで一緒にお話しただけで万単位のお小遣いをもらったりしたことがありました。
今となっては懐かしい過去です。

  • 回答者:匿名希望 (質問から5分後)
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そうですよ。
それでもタクシーが止められなかったので すごいんです。

  • 回答者:匿名希望 (質問から3分後)
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