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単刀直入に。教師の体罰、認めますか?認めませんか?

「これこれこういう理由だから、体罰になっても仕方ない」
あるいは、
「これこれこういう事情だとしても、体罰はあってはならない」
と、具体的な理由を挙げていただけると幸いです。

皆様の意見を参考に、教員会議の議題をまとめたいと考えております。

===補足===
体罰の定義は難しいものがありますが、昨今の事情を見ていると、
体罰に関しては教職員も保護者も過敏反応しています。

一例ですが、
給食の時間に席に座らず、だべくって遊び回る生徒を注意したが、
それでも歩き回ったり、大声で騒いだりして止まず。(楽しいおしゃべりは構わない)
教員がきちんと食事を摂らせるために、その生徒の手を叩いた。
すると「体罰だ!」と保護者が訴えてきた。

これは愛のムチだと考えますが、こういうような事例です。

  • 質問者:小学校教師
  • 質問日時:2008-11-20 23:33:11
  • 0

回答してくれたみんなへのお礼

ご多忙の中、
たくさんの回答をお寄せくださいましてまして心より御礼申し上げます。

賛否両論。否定肯定。
様々な視点と体験談・経験談の生きた意見が一つ一つ心に重く突き刺さるものです。

体罰とは何か―――その定義は決められないものですが、
何事も「すぎてはならない」ということを改めて訴えかけるものとなりました。
「バカ」「死ね」「殺してやる」と、そんな言葉の暴力があってはいけませんし、
「殴る」「刺す」「殺す」と、そんな行動の暴力があってもいけないことです。
人を傷つけることなかれ―――でしょう。

また、良かれと思った事や言葉が、人を傷つけてしまうこともありますので、
ただ単純に「言った/言われた」だけでなく「叩いた/叩かれた」だけでもなく、
「なぜ、そうしてしまったのか」「なぜ、そうされてしまったのか」という理由を、
考える必要があります。
双方に何らかの原因があっての結果ですから、
お互いの立場になってそれを理解しなければならないとも考えます。

この度、ご意見をお寄せくださいました皆様も、
画面の前でこの投稿をお読みくださった方々も、
今一度「体罰について」をお考えいただきたいと思います。

長文となりましたが、
教師・生徒・保護者が一体となって考えるべき課題に、
日々取り組んで参りたいと思います。

皆様、貴重なご意見、本当にありがとうございました。

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状況によりますが、基本的に反対です。
恐怖心が芽生えるだけ

  • 回答者:匿名希望 (質問から7日後)
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「叩く、殴る」の体罰は、一切認めません。
現在過剰とされている「触れる、触る」は、認めます。

例題の場合、
口頭注意で着席を促します。
ダメならその子を後押しして座らせます。
暴れたら、押えるのはかまいません。

  • 回答者:あっこ (質問から7日後)
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基本は反対です。

どうしても仕方ない時(陰険ないじめとか)は体罰も賛成です。

  • 回答者:ソーダ (質問から7日後)
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基本的には賛成です。

ただ、単にいうことをきかなかったから叩くというのはどうかと思います。
と、いうより、たたいたあとどうしてそうなったのかをじっくりと子供と話し合うべきなのです。それを抜きにしたら昨今の子供も親も「体罰、体罰」と、鬼の首を取ったかのように騒ぎ立てます。

いくつかの意見の中に、体罰で世の中がよくはならなかったというのがありました。確かにその一面はあるとは思いますが、少なくとも体罰を禁止にしてから、教師を教師と思わなくなった子供が増えたのは間違いないことではないでしょうか。ゆとり教育、平等主義、体罰禁止。制度だけが中途半端なのでどうしようもなくなっているのだと思います。

愛の鞭、しつけ、体罰、暴力、これらの差はほとんどないものです。そのあとじっくりと話すことが一番大切なのではないでしょうか。

ただ、最近は教師側も確固たる信念で話をしなくなってきているようにしか思えず、また、何かあった時にすべて一人の教師に責任を押し付けるようではどうしようもないとは思いますけどね

  • 回答者: (質問から7日後)
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基本的には賛成です。

ただ体罰とはどこまでかと言うことが少し不安です。
いたずらをした子に対して「これは悪いこと、他の人に迷惑を掛けては行けない」と言うことをわからせるために必要ならゲンコツの1つや二つはOKだと思います。

ただ、先生が自分の言うことを聞かないと言う理由で叩いたり蹴ったりは許されないと思います。

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認めませんね。
体罰で教育がよくなったという意見は聞こえてきませんから。

  • 回答者:そおだ (質問から7日後)
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体罰、反対です。
小学生の頃、男子がふざけて授業中におしゃべりをしただけなのに、
先生が平手打ちをし、鼓膜が破れて病院に行っていました・・
凄く怖い思いをした事があります。
体罰を賛成したら、ケガをさせる可能性があります。
どの程度の体罰だったらOKという認識というか、決まりがかなり難しく、
守られないと思います。
忍耐強く何が悪い事か教えるのも、教師の役目だと思います。

  • 回答者:ひまわり (質問から7日後)
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手をあげること全てにおいて体罰、と言われてしまう現代、学校側、教師側も大変なんだろうな、と思います。
非常にデリケートで難しい問題だと思いますが、
まずは日常的に生徒に手を上げるような先生ではないこと、
また、先生を信じてわが子を預ける、という信頼関係が成り立っていること、
これが絶対条件な気が致しますが、後者が難しいのかな。
勝手な親、学校内での教育は先生に一任します、という姿勢を示せない親が増えたのでしょうね。
子供って、自分の都合のいいように親に話すものでしょう?
それを一方向からのみ聞いて先生に抗議するってのが理解できません。
双方理解を示すことができずにお互いが疑心暗鬼で最初から食って掛かるから
おかしな先生が増える、おかしな親がのさばる、それを見た子供も大人をバカにする。。。
ある程度「先生は絶対」という存在であることは大切なことだと思います。
もちろん理不尽な理由で手をあげることは絶対にあってはなりませんが、
補足の例にありますように、教師が
「このような理由でやむを得ず指導しました、ご了承下さい、
また、ごはんの間はしっかりと席に着くようご家庭でも指導して頂けるとありがたいです」
と筋の通った理由を述べることができ、しつけは学校、家庭、双方協力していきましょう、
という姿勢を見せた場合、親が理解を示し歩み寄る必要があると思います。
現代の先生は親に気を遣って理路整然発言しにくい状況なのかもしれませんが。
愛のムチは、大人になってから有難いなぁと感じるものですよね。
体罰と愛のムチ、全ての親が区別できるようになると一番楽ですがね^^;

  • 回答者:程度問題で賛成。 (質問から6日後)
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体罰は反対です。
相談文にあるような例のように、正当な理由があり、指導の一つとしてすることならば、個人的には「体罰」というよりは教育・しつけだと考えますので賛成なのですが、理由次第で体罰を認めてしまうと、正当な理由でなくても、「教育者の好き嫌いによる差別」「教育者のむしの居所が悪かった」「気分次第」など体罰をし、その後に逃げのいい訳を作るような教育者がでてくると思うので反対です。

  • 回答者:知識人 (質問から4日後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

小中学校の頃、学校で先生に殴られたと云うと、その倍くらい親から殴られた。吉村昭氏も、高校生までは、厳しく躾けろと言われていました。大体、最近の新入社員、挨拶、感謝の意をきちんと伝えられない奴が多い。先日、彼は自分の席に座り、私が書類を探して、彼の机の横で立って説明していると、「うん」と云う返事。これってあり得ます。30歳近く年長の役職者に対して。切れて、説明止めました。対面で教育していて、寝ている奴も出没。お客さんとの会議で、寝る奴。いろいろいます。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から3日後)
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認めます。
私達の時代の先生は体罰ありでしたよね。
当時はムカっとしましたし反発もしましたが、今となっては自分達のために本気で叱ってくれたんだなって思えます。
子供に言って聞かせるのにも限界があると思います。
今の子供は大人をなめきっていますから大人が本気で怒る姿を子供に見せるべきです。

  • 回答者:匿名希望 (質問から2日後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

口で再三にわたって注意しても聞かないなら、叩いて教える必要もある。
口で話さずに叩くのはあってはならない。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から2日後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

体罰は、反対です。
ましてや、先生と生徒という 上下のはっきりした関係で、手をあげるという行為は、あってはならないと思います。

躾は、親がするべきものです。 教師が体罰を考えるほど ひどい状態で、子供に言っても改善されないようであれば、親に忠告するべきです。 教師の忠告を、親も子供と一緒に考えるべきだと思います。

暴力からは、何も生まれません。

  • 回答者:匿名希望 (質問から2日後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

あっていいと思います。先生はいざというときには怖いかったり、尊敬される存在でなければならないとおもいます。小学生くらいの子に言葉だけで説得するのは難しいですし家庭のしつけができていない子供ならなおさらではないでしょうか。ケガをするほどの体罰はいけないですが、愛情をもって行う教育はありだと思います。

  • 回答者:匿名希望 (質問から1日後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

体罰でも叩く系統は反対です、体を入れ込んで阻止などしながら真剣に注意するなどで体を多少押し付ける程度にした方がいいと思います。
警察でさえよっぽどの事が無い限り、押さえつけるなどや体を張って阻止するなどはあるとは思いますが、手は挙げないと思います。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から24時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

認めます。私が小学校の頃箒でおしりまっかっかになるまで叩かれました。まさに愛の鞭でしたよ。
それでいいのです。花のように美しく、雑草のようにたくましく、先生がよく言ってた言葉です。
独身のおばん先生でしたが、孤独をどう生きるか、それが人間の価値だ。今振り返ると、おばんは身をもってこの事を教えてたのではと思います。

  • 回答者:知識人 (質問から24時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

規則を守れない者は罰せられるのは、法治国家の基本です。
体罰が必要な生徒は昔から多いです。最近の親御さん達が、子供の頃経験していない事からか、反対する人もいますが自分は教育の中ではしょうがない事として賛成です。

===補足===
追記
先生方が自信を持って頂ければ、大抵の事は親御さんは納得する筈ですが、確かに難しいとは思います。
しかし体罰を過剰反応する親御さんたちは、家庭内と学校内での自分の子供が、どの様に違うかを知っている親御さんがいるとは思えないです。

  • 回答者:匿名 (質問から23時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

基本的に、体罰は認めたくありません。

成長の過程において、過ちや脱線などはある程度認めても良いのではないでしょうか?
ただし、根本に道徳心のある行いである事が必要です。

やってみせ、させてみて、褒めてあげねば人は育たず。(違ったかな?)と云うような言葉を
見たことがあり、なるほどと感心したものです。

親も教師も、子育てという現場にいるのであれば、
子供の手本となる様な道徳心のある行動をし、
子供にもそのような行動をさせ、
よくできましたね。えらいね。と褒めてあげなければ
人は育たないのではないでしょうか?

しかし、体罰と云うのは、何処までを指しているのか?
読んで字のごとく身体に罰を与えるという意味なのか?
なんでもかんでも、体罰と一括りにしているのは如何なものかと思います。
時には厳しく導くことも肝要かと思います。
愛をこめて叱れば、子供の心にもきっと届くことでしょう。

  • 回答者:紅葉 (質問から23時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

体罰は賛成です。
悪いことをして叩かれるというのはある意味子供だけの特権だと思います。
叩かれずに育った子供は、大人になったら人の痛みのわからない、加減のできない人間に成長すると思います。
子供はその小さな体ひとつで精一杯無茶をして、大人に怒られて叩かれて反抗して立派な大人に成長するものだと信じています。

  • 回答者:お助けマン (質問から23時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

場合と程度によります。
例えば明らかに問題のある行為(イジメなど)に対し、口頭で注意しても改善が見られなければ多少の体罰は致し方ないかと。
言い方が悪いかもしれませんが、言葉よりも力の方が効果はあると思いますし。

諭せば全ての生徒が行動を改めてくれる訳もありません、特に今は親のみならずモンスターな生徒も増えている様ですし。
だからこそ体罰は必要だと思っています、言っても分からない生徒だって痛い思いはしたくないでしょうし。

勿論、どんなに生徒に非があっても度を越えた体罰は反対です。
度を過ぎれば愛のムチでもなんでもなく、ただの暴力になってしまいますから。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から21時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

体罰認めますよ。
もしうちの子が他の子を学校でいじめていて、
それに気がついた先生がうちの子を平手打ちしたら
よくぞ叩いてくれたと思います。

昔は忘れ物しても平手打ちをする教師がいましたが、さすがにそれは
やりすぎかもしれませんが、子供が他人に多大な迷惑をかけたら
体罰されても仕方ないと思います。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から18時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

どういう場合であっても、教師と生徒の信頼関係が成り立っている上での
体罰はあってもいいと思います。

  • 回答者:respondent (質問から15時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

大人が考えて、相手が怪我をするほどの行為を体罰だと思います。
ご質問者様の「手を叩いた」は、これは問題は無いと思います。
もちろんこのときに、叩いて重篤になる生徒でないことを認識していなければなりませんが。
体罰だとはっきりと分かるものは、実際に私の身近では、女子生徒に口答えをされて逆上して
殴る蹴るの暴行を働いた教師がおりました。大問題になりましたが、当然だと思いました。
これは体罰ですし、その人物は授業中にも
「家族に暴力をふるって歯を折った」などと豪語していましたから。
あとは、やはり似た事情で、己の言う事を聞かせるために
頭部に蹴りを入れて生徒の鼓膜を破く教師もおりました。
これも当然、体罰です。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から11時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

程度にも依りますが、

生徒の為を思って叱った行為なら良し
興奮して思わず怒った行為なら駄目
と思います。

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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

ほぼ認めます。
ただ、もし自分の子供が先生に叩かれたと言ったら理由は聞きます。

そもそも自分はげんこつやビンタは当たり前で育ってきました。
騒いでいていくら注意しても静かにならないのであれば叩かなければ一生静かにならないでしょう。
これを体罰とするのであれば体罰無しで静かにさせる手段(疲れて静かになるまで放置は論外)をしっかり考えるべきです。長い年月子供が叩かれて育ってきたということは、他に方法が無かったからではないのか、とも思いますが。
恐らくこういう提案をすれば保護者は「それは先生が考えること」と言って放り出してしまうのでしょうが、苦情だけを言って解決に協力する気がないのであれば苦情も却下すべきでしょう。先生も人間であって、不可能なことは不可能です。そもそも保護者にとっても他人事ではない訳ですし。

少子高齢化で子供の数も減り、学校経営の問題等で保護者の立場が強くなっているのもわからないではないですが、どこかで毅然とした態度を持ってやらなければ、日本の教育そのものが全くの無意味なものになってしまうでしょう。

  • 回答者:respondent (質問から9時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

状況次第では認めます。

授業中、教師の間違いを指摘されてプライドを傷つけられたという様な教師の勝手な理由での体罰は認めません。

授業中等、生徒(子供)が自分勝手な行動をして集団生活を乱すような行為をし、注意してもやめない・・・というようなハッキリとした理由があるならば認めます。

私としては、躾も体罰も同じような気がします。
家庭内での躾にも子供を叩くという行為はあると思います。
取りようによってはこれも体罰になります。
学校側の体罰を重要視されてますが、一番重要なのは家庭での躾だと思います。
家庭での躾が不十分だから、学校側は家庭にかわって躾をしてくれているのでは・・・。

  • 回答者:匿名希望 (質問から9時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

条件付きで認めます。
昔の先生は、痛いけど怪我をさせないような叩き方を体得していました。
現在は、体罰はいけないと言って叩いた事もなければ、なぐりあいもしたことの
ないような先生が多いようです。そのような先生が、キレてしまって手を出すときに鼓膜を破るような事故が起こるのだと思います。
反省をうながすことができて、怪我をさせないような体罰を望みます。

  • 回答者:お助けマン (質問から8時間後)
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いかなる場合も暴力は反対です、認めません!

  • 回答者:匿名希望 (質問から6時間後)
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単純に認めます。
当方40代のおっさんですが、そもそも私たちの時代からおかしな教師はいましたし、教師も人間なので完璧ではありません。

だけど「教師」はサービス業ではなく、どんなおかしな先生も敬意を持って接する相手でもありました。(かなり偉い存在)

しかるに生徒が悪いことをしたら体罰は当然でしたし、人間(特に子供)はちゃんとしつけないと限りなく増長する部分がありますので、愛のムチは必須だと考えます。

昨今の個人主義の万延及び先生をサービス業として見下す風潮が、教育をおかしくしていると思います。

教師の価値を復権させねば教育の再生は難しいのでは?と思います。

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聖職者である教師に間違いはない。間違いがあってはならない。
すべての教師が、尊敬すべき神様のような存在であり、かつ親が子に接するような絶対的な慈愛の精神を持っているのであれば、教育上必要な場合に限り体罰は仕方ないと思います。

でも、今の世の中は、親子の間においてさえ異常な事件が多く発生しており、ましてや、血のつながりのない教師に対して、絶対的信頼をおくことは難しい。
確かに、多くの教師は、まじめで聖職者たる素質を持っていると思います。
でも、たとえば、100万人の教師の中にただの一人でも異常な精神を持った教師が潜んでいたとしたら、恐ろしくて認めるわけにはいきません。

それにしても、最近は、学校教育に関して親の発言が多すぎる気がします。
しかもその大半は、モンスターペアレントという言葉が生まれるくらい、我が子優先の我が儘発言です。

学校生活においては、目に余ることが発生した場合を除き、教師に一任すべきだと思います。

また、威厳のある厳格な教師であり、人間同士のコミュニケーションを取っていけば、子供達は自然と教師について行くと、私は思っています。

それにしても、最近は、聖職者という言葉を聞かなくなりましたね。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から3時間後)
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私は絶対に認めませんね。
体罰を理由にすれば学校と言う閉鎖社会にいる教師はいくらでも暴力が振るえますから。
補足で例に挙げられたケースは生徒が何らかの障害を負ってると考えられるので、
そもそも暴力を振るっても効果がありません。

  • 回答者:知識人 (質問から3時間後)
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認めます。
何でも話せばわかるのであれば警察も軍隊もいりません。
大人だってそうなのですから子供の時に言っても聞かない子に多少の体罰は仕方ありません。
子供はまだ未熟なんだという、当たり前のことがボヤかされて人権がどうだこうだ言う人がいるのが問題です。
ただ過剰な暴力はいけませんので、昔のようにお尻をペンペンするとかにすればいいと思います。

  • 回答者:respondent (質問から3時間後)
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感情にまかせて「暴力」をふるうことは論外ですが、おそらく大多数のまっとうな先生方は「愛のムチ」を使われる方がほとんどだと思っています。
そういったことであれば、私自身は大賛成です。

まだ小さい子供には、判断力や社会性などがきちんと備わっているとはいえません。
むしろそういったものは、周りの子供との関係、大人との関係を通して身につけていくものです。
そんな中で、どちらかというと感性や本能のままに動く子供に対して、学校という小さな社会の中で絶対にやってはいけないことをやれば、それはその場にいる「大人」である先生が叱り、時には体罰という厳しい手段を使ってでも正しいこと教えるべきでしょう。

最近は、親さえも自分の子供を叱らなくなったそうです。
結果、私らの周りで「はびこっている」とんでもない子供の姿はどうでしょうか!
礼儀も、マナーも、常識も知らず、体格と態度だけは大人ばりに大きくなっています。
何かというとすぐキレて、昔はチンピラしか使わなかったような粗暴な言葉を平気でわめき散らしています。
このままだと十年後、二十年後の日本はどうなるのかと、日々不安を募らせています。

  • 回答者:元教師志望 (質問から2時間後)
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体罰は肯定派です。

子供は感覚で覚えます。
記憶って大人でも他の物と合わせて覚えることないですか?
この曲を聴くとあの時付き合っていた彼氏を思い出す、あの香りを嗅ぐと憧れていた先輩を思い出す、軍艦マーチを聞くと血が騒ぐ。
子供も体全部を使って成長していきます。
痛みを持って痛みを知る。
こうされたら痛い、ぶたれるのは悪いことをしたから。
家庭でちゃんと躾をし、時にはぶったりして取り組めばいいですが、そうではないですよね。
私の兄の子供(ようは甥ですが)はほとんどぶたれたことがありません。
兄がぶつと嫁さんが「殴らないでも分かるよ!」というのですが……傍から見ていると「いや、分かってないよ。だってあれやるの3度目でしょ?」と心の中で呟いてしまいました(口に出すと夫婦間に波風立つので言いませんが)

授業中に私語を止めない、携帯を弄る、勝手にトイレに立つ。
こういう最中で先生の言う事を聞かない子供に諭しても「先生うざい。いいじゃん別に」と口答えする。そのまま言い聞かせつづけたら授業はどうなりますか?
そのまま1時間潰しますか?
子供なりの知恵はあります。
私ならこう学びます。
「悪いことをしていたら、説教が続くだけで勉強しなくてもいいんだ。ラッキー!」
この時にゲンコツ1つ落として、立っていろ。
それならほんの数分。
どちらがいいのか?
私ならばゲンコツです。
誰だって痛いのは嫌。
嫌だから止める。
先生は1対30です。
言い聞かせるだけでどうにかなりますか?一人2人でも大変なのに。
学校は集団生活の場です。
集団行動の和を乱す子にゲンコツはやりすぎでしょうか。
私も学生の頃たくさんゲンコ頂きました。
でも恨んでいません。
だって私が悪いことをしたのだから仕方ないのです。
中には八つ当たりでキーキー説教する先生もいました。
蹴飛ばしてくる先生もいました。
未だに大嫌いです。
ゲンコ先生にはちゃんと理由も愛情もありました。
ちゃんと子供も分かります。
八つ当たりで暴力を振るうのは論外ですが、愛情あるゲンコツは今ではいい思い出です。思い出話の中には出てきますよ。

そして怖い人をちゃんと分かるようになります。
新任の先生には舐めた態度をとっても、ゲンコツ先生が出てきたらみんなピシッと言う事を聞きます。
そうやって小さな社会を学びます。
学ぶ機会がない子供が社会に出て「社長マジうざい」と説教の時に言ったらどうなるでしょう?
ヤバイですよね。首もしくは転属です。
怖い人がいて、人を見極めて、立ち回りを覚えて。
それでいいんじゃないですかね?
社長には言えないけど、同僚には愚痴零したり。そうやって色々な力関係を学ぶのは悪いことじゃないと思います。
怖い先生も怖いお父さんもいない。
そんな中で育てば、裸の王様の出来上がりです。

体で覚えるのはいいことです。
適度に喧嘩して適度に怒られて適度にぶたれて。
痛みを知らない子供は加減を知りません。
喧嘩がリンチになることもあります。
気付いたら死んでいた……そんな事件もありました。
痛みを知らないことはとても怖いことだと私は思います。
だから愛情ある体罰をなくしてはいけないと思います。

  • 回答者:ムチムチ (質問から2時間後)
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ひどい体罰はありませんでしたが、目撃等の経験上からいうと反対です。
体罰を喜んでるふしがある教師が存在しています。
特に体育会系に多いです。
大人だと障害だろと思える事件を多々見受けました。
今だと間違いなく問題になると思います。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から2時間後)
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54歳、男性です。
ストレスの発散などではなく、論理的思考のできる教師の体罰ならば、許容します。
我々の子供時代にも、チョーク投げに始まり、ラケットを足に挟んでの正座、横っ面のひっぱたき等、色々な体罰がありましたが、教師がなぜ罰せねばならないかを説明したこともあり、素直に受け入れることができました。
社会人となるには、子供時代の躾けから始まって、良識が必要になるのですから、現在忘れられている躾をするために子供がけがをしない程度の範疇での体罰はあってしかるべきです。
本当は、家庭がその役割を担うべきですが、それが出来てない家庭が多いらしく、最近の東京は、歩いていると、年代を問わず、明らかに良識のない人間が増えています。
これも、これまでの文部省の失政の結果でしょうか。
このままでは、日本はアジアの田舎に転落します、それを回避するためにも、必要な体罰は許容されるべきです。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から2時間後)
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体罰には反対です。子供でもきちんと向き合って話せば理解してくれると信じています。
時間はかかっても恐怖心で押さえ込むのではなく、愛情で導きたいと思います。
「怒られるからやらない」のでは根本的解決になりません。「心」を教えない結果「文句を云えない弱者なら
いじめても良い」と思う陰湿な子や成人が増えてくるのだと思います。
子供のうちに「自分の道徳心で判断出来る力」をつけさせなければなりません。
その為には、まず教師がお手本を示して頂きたいと思います。

同時に「一番身近な教育者」である保護者の質が上がらねばならないでしょう。
体罰には反対ですが、何故体罰を受ける事になったのかも考えず、一方的に教師を責める親の行為は
愚かしいと思います。
教師の体罰には理由がある筈ですから、抗議する前に家庭できちんと躾出来てなかった事を反省すべきです。

私は10年以上小さな塾講師として体罰などを必要とする事なく楽しく過ごして参りました。
ですから、基本的には愛情だけで導けると信じています。
でも学校関係となると大人数ですので、私の様に甘い事も云ってられないでしょうね。

私自身は給食の一例でも決して行いたいとは思いませんが、その程度で体罰と騒ぐ方がもっと間違っていると
思います。
何だか、どっちつかずな回答で申し訳ありません。

「体罰反対!それを訴える親子はもっと反対!!」と云う所でしょうか(^_^;)

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教師の体罰は認めます。
なぜなら、未熟な頭の子供に対して、善悪を言葉で諭し理解させることには限界があるからです。
子供の性格と頭の能力によって理解力の程度には差があります。1度注意しただけで言うことを聞ける子もいれば、何度言葉を変え品を変え言い聞かせても理解出来ない子というのは確かに存在します。言葉で善悪が理解出来ない、となれば、あとは体の痛みで知ってもらうしか方法はないように思います。
善悪の判断がつく大人の世界でさえ、悪いことをしたら刑罰に処される、という法の縛りがあります。大人でさえ悪いことをするのです。そんな大人よりも未熟な子供が、刑罰の対象にならない年齢だから何をしても罰を受ける謂れはない、というのはおかしいと思います。
ですから、学校の規律に違反した、それに対する反省の色がなく、教師の言うことに聞く耳をもたぬ生徒に対しては、やはり体罰は必要だと思います。

とはいえ、現代は「体罰はいけない」「子供には言葉で諭さないといけない」と叫ばれるようになりました。しかし、それで果たして子供が皆良い子になったか?といえばむしろ逆で、昔に比べ、子供の質は著しく下がったと感じるのは私だけではないと思います。
「昔は体罰が怖いから子供は嫌々大人のいうことを聞いていただけだ」と異論を唱える方もいらっしゃるかと思います。確かにそういった側面もあったとは思いますが、「叩かれるのが怖いから・・」と子供が悪いことをしなくなるのなら、それもありだと私は思います。
子供が何かを恐れる気持ちって大事だと思うんです。例えば、暗闇が怖い、誰もいない場所はオバケが出そうで怖い。それは、子供を危険な場所へ行かせないための、昔の大人が作り出した素晴らしい知恵です。また、怖いことをしたら叩かれる大人を恐れるということは、恐れ=畏れ=畏敬=尊敬 につながり、社会の秩序を生み出します。そういった「恐れる」機会が今は減ったので、今の子供達はおかしくなっているのだと思います。

また、教育の現場は、1人の教師が受け持つ生徒の数が多いので、1人1人に手厚く指導する余裕がありません。ですから、何か突発的な問題が生じた場合、迅速に問題を解決するには体罰を用いるのが妥当な場合も多々あるのは想像に難くないと思います。例えば、親でさえ、自分の2人の子供が取っ組み合いのケンカを始めたら手が出ます。それが、その十数倍の子供を1度にみている教師であるなら、優しく言葉で諭すなど不可能に近いと思います。

そういったことを含め、教師が問題のある子供に対して体罰を行なうのは非常に妥当だと思います。

ただ、これだけは教師に勘違いしないでほしいのは、体罰によって子供が怪我をした場合。その時点で教育的体罰ではなく単なる暴力になるということです。頭・顔は人間にとって1番大切な部位です。そこを叩くのだけはやめてほしいです。また、加減が分からない教師には体罰を用いて欲しくない、とも切に思います。

===補足===
体罰反対と唱える方は一様に、「子供が理解するまで根気良く、愛を持って、善悪を言葉で諭しましょう!」と教師に言います。それも勘違いしないで欲しいのですが、それは親の役目であって、教師の役目ではありません。家庭でその点がきちんとしつけされていないから外で子供が問題を起こし、教師が大変な思いをしているのです。

  • 回答者:お助けマン (質問から2時間後)
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現代のモンスターも飛び出すご時世だからこそ正しい心を備えた成人になってもらいたいとの望みも込めて体罰はある程度はありと思います。
ただ行き過ぎなのは勿論ご法度です。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から2時間後)
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子供がやったことが悪い時は 体罰も仕方がないと思います
(ただやりすぎの体罰 入院や取り返しの付かない怪我までは
それはいやですが)
それは本人が悪いのですから 先生に悪意が無く
教育躾のためにしてくださった時は許します


上記の例の場合は私は体罰ではなく躾に思うので
それはたたいてもOKです

  • 回答者:respondent (質問から2時間後)
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私は、ある程度の事は、必要だと思うのです。世の中には、身をもって、痛みを覚えなければならない事沢山有ると思うのです。
例えば、親から叩かれた事が無い為、人を叩いても、相手が受けた痛みがどれほどの物か理解出来ない子が居るそうです。叩かれた事が無いから、相手が受けた心の痛み、どれだけ傷付くかも、全く分からないそうです。中には、ゲームの世界と、現実が混ざって、人を刺しても、直ぐリセット出来ると思っていた子も居るそうです。何故、この人起き上がらないのかな??って言う子が現実に居るんです。こんな風に、自分の体で痛みを知らないから、人の痛みが分からない事が多い。心を傷つけるのは体罰だと言って、きちんとしかれる親、先生、大人達が居ないから、人の気持ち、人の心の痛みがわからない。家では、いつも親が、子供の言うなりだったから、命令する(本人は何でもしてもらえるのが当たり前だと思っていたらしいですが)事に慣れていて、同級生が、ノイローゼになっても、理由が分からない。
でも、そう言う大切な事を知り、覚えていく為に必要最小限の叱りを受ける事も、体罰という言葉でまとめられてしまうのは、我慢出来ません。御陰で、中途半端なしつけを受けて、大きくなる子供も増えているはずです。
感じ方は人それぞれだから。等と言う言葉で、のちのち、大きな過ちを犯す可能性が増えるくらいなら、私は、叩き込んでも教えるべき事は、教えなくてはいけないと思っています。
ただし、残念ながら、自分の思う通りにならないから、自分の言う事が聞き入れられなかったからと言う理由で、むやみに叩いてみたり、怒鳴ってみたりする大人達も多いです。それも、しつけだと言う方もいらっしゃいます。その点が、なにをもって体罰とするかの判断に悩む所では有ります。残念な事だと思います。
でも、私が子供の頃は、もっと理不尽な事も有りました。危険だから近寄るなと定められた境界線を、1歩踏み出しただけで、辞書の角で、頭を思い切り叩かれた事も有ります。私がやった訳でもないのに、間違いで殴られてみたり。食べられない給食を頭からぶっかけられたりした子も居ます。そんな事だらけでした。
でも、御陰で、理由も無いのに叩かれる事、危険に近づく事への警戒心。何としてでも、やり通さねばならない時も有るという事、そう言った様々な事、今でも、役に立っております。
(今になって腹の立つ事も有りますが)
学校の教団に立って教鞭をふるわれるのでしたら、周囲への配慮は必要でしょうが、周囲に遠慮して、大切な事が、おろそかになる事だけは、良く無いと思っています。もっと、堂々と自信をおもって、教鞭をふるって頂きたいです。頑張って下さい。

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体罰としつけは、紙一重です。とり方で代わってしまうのが現状でしょう。
身体的しつけは、最終手段です。これをいきなり使えば訴えてくるでしょう。今の子供は、論理性では大人なみの子供もいますので、理論的に子供たちに伝えることは必要です。必ず、子供たちがしてはいけないことをある程度認識させることが大事です。ここが大事です。
次にその状況になったら、先生も焦らず言葉で言い聞かせます。それでも収まらないなら、該当の子供に直接話します。傍に行って。なぜ子供がそのような行動をしたのか、聞き、結論を出してあげる。一対一で話したいという子供もいるのも事実です。人間の懐の大きさが試されます。時間をかけ、手をかけることを最小限に対話で解決を主に教育を改革していってほしいと思います。(時間が無いと思いますが・・・)

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認めません。
私の弟は片耳が少し不自由です。
これは彼が中学時代に体育教師から体罰を受けたのが原因です。
しかも、他の生徒の濡れ衣を着せられての事でした。
後、それがハッキリして校長、担任、その教師以下が我が家に
揃って謝りにきました。
耳だけで済んで良かったですが、打ち所が悪ければ、死ぬ可能性だってあったと
医師から言われました。
殴った教師にも少し精神的な疾患があったようで、被害妄想気味だったそうです。

この世の中に「絶対間違いない」というものがない以上、
悪い事と断定する者と罰を加える者が同一人物である事は非常に危険なんです。

「愛のムチ」っていうのはムチを打たれた側が使う言葉で、打つ方が使う言葉じゃ
ありません。
打たれた側が愛を感じなければ「ただの暴力」に過ぎません。

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とても難しい問題だと思います。

個人的には、愛の鞭的な身体的接触による指導は認めても良いように思いますが(ただし明らさまな殴る蹴るは問題外)、建前上体罰を容認とは言えないと思います。なぜなら、線引きが難しいので(ここまでは許される体罰、これ以上は暴行・傷害などの定義がほとんど不可能)。

本来ならば、体罰など必要なくても、親や周りの大人が作法・行儀・常識などをしつけるべきなのでしょうが、少子化で子供一人あたりの価値が向上してしまったので、これまで以上に子供を尊重しすぎるようになってしまったことも要因のひとつだと思います。これに乗じて自己中心的な考えを持つ子供が増えたと思います。

それと、権利意識が想定以上に広まったことも、教師の体罰問題に影響を与えていると思います。身体的な懲罰があれば、すぐ「体罰だ。責任を取れ。」などと詰め寄る親が増えた。その身体的な懲罰が合理的な限度を超えているなら(曖昧な言い方ですが)、教師の責任も問えるかも知れませんが、そこまでではないにも関わらず責任追及を一方的に要求する親(いわゆるモンスターペアレントですね)も少なからずいると思うので。

なお、義務を果たさず(たとえば、生活に余裕があるのにも関わらず給食費を故意に支払わないなど)、権利ばかり振りかざす非常識な大人も増えたようにも感じます。

  • 回答者:お助けマン (質問から53分後)
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生徒が怪我をしない程度のものは認めます。
私が生徒の頃は、梅干しといってこめかみを拳固でグリグリとされ、痛かった記憶があります。
高校生の時に、喫煙を見つけられ、ビンタと停学のどっちにするといわれ、ビンタを選択しました。
教育を受ける以上、多少の体罰は必要であると思います。
それを禁じられた教師は大変だなと思っております。
我が家の息子に関しても、程度を守った体罰であれば、学校に文句を言う気持ちはまるでありません。

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必要以外の体罰は認めませんが、

悪い事をした等場合(喧嘩やいじめ等)の体罰は必要と思います。

  • 回答者:respondent (質問から37分後)
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教育現場に「認めます」と言ってしまうと、限度を知らない教師が罰せられることがなくなりますから、やはり「認めません」。
大声で怒鳴る、肩をがくんがくん揺らして本気で叱る、ぐらいまでならアリだと思います。
けど殴る蹴るは必要ないです。

  • 回答者:匿名希望 (質問から37分後)
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体罰とは言っても愛情のあるものと
暴力的なものの判断は難しいですよね

生徒や親から信頼されている教師ならありだと思います。
でも、すぐに手を出す人はなしです。

「馬鹿野郎~!」と言って殴るのは簡単なことですが
なぜ殴らなければならないのか、理由をきちんといえることも必要です。
口先だけで「ダメなこと」「悪いこと」をしたからでは通用しません。
生徒が納得し反省できることが一番大切なことなのですから。

先生側も大変だとは思いますが
子供を説得するための勉強が必要だと思います。
それと、たとえどんなことであれ体罰するには覚悟も必要だと思いますよ。

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体罰は必要だと思います。

今は悪い事をしても正座をさせる事すらダメらしいですね。
そんな事ではルールを破る事を軽く考える子供が増えるのは当然ではないでしょうか? 
罪には罰があるのは当たり前の事ですよね?

私の学生時代は悪い事をすれば叩かれたりするのは当たり前でした。
それでも悪い事をする奴はいましたが、今と違うのは
悪い事をする子供側もその「罰」を覚悟の上でやっていました。
自分のやった事で罰を受けたからと言って親に泣き付く様な無様な奴はいませんでした。

今の子供はどうでしょうか?

口頭注意だけで収まるなら、どれほど教師は楽か。
「話せば判る」とは限らない事は、本来大人の方がよくわかっている筈です。

まあそれでもまだ「話せば判る」なんて言える人がいるのなら、
ぜひその人に問題児の指導をして欲しいものです。

  • 回答者:お助けマン (質問から33分後)
  • 1
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認めます。
全てとは言いませんが上下関係わかってんのか?と、疑問に思う若者が多いような気がします。
学校でも目上に対する態度、やってはいけない事に対する罰、行動全てに責任があると言う事をどうしてもわからなければ体罰もいいと思います。

中学校の時に目に涙を一杯ためてぶん殴られたのが今でも忘れられません。
いい先生でした。
愛の鞭大賛成です。

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体罰は認めます。

通っていた中学校は結構校則が厳しかったです。
そのため、思春期の学生は教師によく反発して
いました。
何もしない先生もいましたが、口で言ってもきかない
生徒には頭を叩いたり、頬を強く叩く先生がいました。
女の先生が多かったです。

私は、そういうヤンチャな生徒を傍から見ていた
傍観者的な中学生でしたが
「そりゃ、先生の言うこときかないとアカンやろ」って
思っていました。

口で言ってきかない者には多少の愛の鞭は
必要だと思っています。

実際、当時ヤンチャだった生徒は大人になると
いい子供の親になっている人が多かったです。
同窓会なんかでも「あのとき、先生にぶたれてよかった」と
当時を振り返る同級生も多かったです。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から21分後)
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教師の体罰は認めます。

今の子供は、痛さを知らずに生きています。これは不自然なことで、昔ならケンカなどをして、痛さを知っていました。
今は、そのような子供の社会システムが崩れているので、暴力に歯止めが掛かりません。
そういうことを防ぐためにも、やってはいけないことをやって、人の心を傷つけたりしたときに体罰を行い、痛さを知ると同時に、自分の行った行為を痛みと共に胸に刻み込むために必要だと思います。

===補足===
給食の時間に、理由が有り手を叩いただけで、体罰だという親の顔が見てみたいですね。一体、これまでどうやって生きてきたのか知りたいです。
本来、躾というのは家庭で行われてたものです。それを放棄して学校になすりつけ、何かあったら体罰だという考えはおかしいと思います。
スパルタまでは行かなくても、教師の裁量で体罰は与えた方が良いと思います。
体罰を喰らったこの家が、躾を疎かにして恥ずかしいと思えるようになるべきだと思います。

  • 回答者:知識人 (質問から20分後)
  • 2
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言っても分からないなら止むを得ないんじゃないですか?
ただモンスターペアレントはうるさそうですけど。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から18分後)
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しつけは、受ける側に不快感から生じる『もうしません』という感情の発生が必要です。
口で言っても分からないのならば、体罰も止むなしと思います。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から17分後)
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体罰というのがどこから体罰なのか難しいですが、暴力はどんな理由であってもいけないと思います。
中学の時、同じ部活の生徒が先生に抗議し顔を叩かれました。
叩かれた当たり所が悪く鼓膜が破れてしまいました。
後に残る傷を教師が生徒につけてしまうこともあります。
愛情故の体罰だとしても生徒の将来に傷を残す可能性のある行為はさけるべきだと思います。

  • 回答者:匿名希望 (質問から16分後)
  • 6
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認めますよ。
認めなかったらどんどん子供たちが調子に乗るだけです。
今でさえ甘すぎます。
僕の学校(高校時代)は染髪禁止なのに、
たくさん染めている人がいたり、
いきがってる人がたくさんいました。
甘いからなんだろうな。と思いました。

  • 回答者:respondent (質問から15分後)
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体罰は認めます。しかし、問題は内容です。私たちの子供のころは、拳骨で頭をごつん。竹刀で頭を叩かれるとかは普通でした。先生は怖いもので、威厳がありました。本当に愛のむちであったと思っています。

しかし、今はどうも様子が違うようです。生徒は先生を認めず、先生は命令にしたがわせようと、または自分自身のいらいらのはけ口が体罰に向かってはないでしょうか。
そんな体罰は認めません。

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認めます。
ウチの子供だけでも良いから、体罰を許可したいと思います。

教師の言う事を聞けない生徒には、体罰やむなしですよ。
それと最近は先生に手を上げる生徒もいるとか。
これは十分正当防衛になりますから、全く問題ないでしょう。

  • 回答者:お助けマン (質問から12分後)
  • 0
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体罰、ありでしょう。

僕も高校生の時に、悪いことをして、放課後、女子部の部室で先生にブン殴られたことがあります。
悪いことは悪い。はっきりさせないと。

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認めます。
教師だけではなく、親や地域の大人でも体罰が許されるべき場合があると思います。

理屈が通用しなければ上から押さえ込む必要があります。
子供には「怖い人」がいることを認識させる必要があると思います。
世間は自分中心に回っているわけではないことを教える必要があります。

怪我をさせない正しい体罰の与え方を教師や親が学ぶ必要もあるかもしれません。

  • 回答者:ふみ (質問から11分後)
  • 2
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授業の邪魔をする児童を、廊下に立たせる、宿題を忘れた児童を放課後居残りさせるくらいは良いんじゃないですかね。

叩いたりするのも、場合によってはありかなと思っています。
ただ、教師の主観に頼りすぎていたり、教師のストレス解消の為に叩かれたのではかないませんが…。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から10分後)
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嫌悪感からくるものでなく、根底に愛情があれば体罰もアリだと思います。
ただし、後々まで痛みや後遺症が残らない程度のものに限ります。

私も何かにつけ体罰を食らった学生生活でしたが、
先生に対して恨みなどはなく、今となっては良い思い出です。

  • 回答者:知識人 (質問から10分後)
  • 1
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体罰の定義は何でしょうか。
愛のムチも体罰ですか。
常日頃の生徒への対応を彼ら彼女らは見ています。
生徒がしっかり判断してくれるでしょう。
その自信のない教師は、何もしないことがいいでしょう。

  • 回答者:知識人 (質問から9分後)
  • 0
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認めます。私は昔の人間ですから。

忘れ物をした。運動場を3周走る。

ペナルティがあるのは社会に出てからも同じのなので、
殴るというような暴力なければ、罰はあってもいいと思います。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から6分後)
  • 1
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言う事を全く聞かない物への体罰なら承認すべきです。
口で言っても分からないような教育しかされていないのならば
鉄拳制裁もやむなしです。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から4分後)
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