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ツタンカーメンと聖徳太子の結末がなんとなく似ている気がします。
理由はツタンカーメンの血筋は全部絶えさえられ、聖徳太子の家族も抹殺された経緯は似てます。
歴史的観念から言えば繋がりはありませんが、
ifという偶然から血筋が残ってたらエジプト文明も明日香文明も変わってたと思います。

あなたならどんな世界観が見えてきますか?

  • 質問者:街角の電気屋さん
  • 質問日時:2009-01-11 20:13:04
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聖徳太子の家族が抹殺された事、初めて知りました。学校の歴史では、教えてなかったと思います。仰るように、明日香文明も変わっていた可能性大ですね。

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参考になりました。回答ありがとうございました。

振れすぎた振り子は必ず元に戻る。
或いは螺旋階段を上るように文明が発展してきたと考えれば
螺旋の対極にいるのが聖徳太子(蘇我氏派)その反対勢力(中臣→藤原氏)だったのではないでしょうか。
ツタンカーメンは一神教(太陽神)を信奉していたと聞きます。
従来の王族は多神教だったのでその振り戻しだったのでしょう。

古代の文明は現代では考えられないくらいに宗教的影響が強かったと聞きます。
聖徳太子の子孫が権力の中枢にあれば現代に神道が伝えられなかったかもしれません。
ツタンカーメン、或いはその子孫が王権を維持し続けていれば多神教を持って存在し続けたエジプト文明の遺産が現代で脚光をあびる事もなかったでしょう。

何れにせよ進んだ文明を開発した新興勢力が旧世代の文明に支えられた支配階層を駆逐していく過程は歴史の問題ではなく
私達が生きている現代においても起きている現象だと思います。

聖徳太子とその子孫、ツタンカーメンに降りかかった不幸は歴史の必然だったと考えます。

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参考になりました。回答ありがとうございました。

あまりの賢さや鋭さの有る人物は畏れられたようです。
優れた血筋は母系からでも残らなかったにかな。

  • 回答者:ロック (質問から2時間後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

ご質問からはそれるかもしれませんが、関西では、妊娠すると「中山寺」におまいりする人が多いです。
そこは、聖徳太子とのえにしが深いお寺です。
子孫断絶することのないよう、聖徳太子の霊をなぐさめるために「中山寺」への信仰があるわけです。
もし、太子の子孫がずっと生きていたならば、関西の妊婦さんの信仰を集めることもなかったでしょう。

  • 回答者:匿名 (質問から46分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

倒した相手の子孫が自分を殺しに来る、という恐怖観念から一族根絶やしにしていったのだと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から42分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

聖徳太子の子孫が絶えていたのを知りませんでした。聖徳太子をますます知りたくなりました。
殺されなかったら飛鳥時代は栄え、仏教・儒教が盛んになって日本の教育力も変わったと思います。

  • 回答者:匿名希望 (質問から28分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

出る杭は打たれるということでしょうね。

殺されなかったらもっと違った歴史が築かれていたでしょうね。

  • 回答者:匿名希望 (質問から8分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

昔は力あるもののみ生き延びることができたので、力無きものは滅びる運命にあったので、致し方ないと思います。
もっと賢ければ先祖も生き延びたかもしれないですね。

  • 回答者:匿名希望 (質問から3分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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