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テレビ時代劇でよく見られる、時代考証上、間違っている点を指摘してください。
勝手ながら、僕が知っていたら3、知らなかったら5とさせていただきます。

  • 質問者:ps
  • 質問日時:2009-02-14 11:37:45
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ご飯です。
当時は白米ではなく玄米だったんです。

  • 回答者:右に左折 (質問から14時間後)
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ただし、江戸では白米も普通に食べられていて、かっけが流行ったという話。

・既婚女性に眉があって、歯が白い→×
明治の初めまでおかみさんは眉落ち・鉄漿が普通でした。

・女性がかまどでフーフーやって御飯炊いてる→×
飯炊き(風呂焚きも)は男性の仕事だったんです。

・狭い路地で女性が男性に道を譲る→×
身分が同じなら、江戸の町はレディーファーストだったんです。

・下級武士階層~庶民の女性の一人称わたし→×
女性でも「おれ」が一人称でした

・中村主水が夜「ちょいと湯屋に行って来らぁ」→×
八丁堀は朝から昼、しかも女湯に入ったんです

===補足===
コメントありがとうございます。
2と3は江戸時代の江戸限定でしたね、失礼しました。
3の説明ですが江戸の男女比は歪んでいて男性に比べ女性が凄く少なかったそうです。
それで必然的に女性を得るのに「やさしく」なったってことらしいです。
浮世絵などに女性が傘をさしている横で傘を持っているのに女性をやり過ごす男性が
描かれているものが何枚かあるようです。
結納金もかなり高額で、江戸の町には「結婚出来ない男」が溢れていたとのことです。
吉原が栄えたのもそんな事情があったからでしょうか。

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1、5は知ってました。
2は飯炊き女もありえるし…。ただ、お店によっては、風紀が乱れることをおそれ、男性しか雇わないところもあったとか。
4もいろいろな呼称があるし…、ただ群馬出身の祖母は「おれ」と言っていました。
3番目は初耳だったので、結果、判定は4としました。

いつも気になるのは貧乏長屋の人口密度が低すぎること。
だいたい、一軒に6,7人以上は住んでいたのに、
ドラマだと、2人とか、3人とか現代の核家族みたいで・・・
江戸は世界一の過密都市だったのに
違和感ありませんか?

  • 回答者:かか (質問から11時間後)
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まぁ確かに兄弟はもっと多くて不思議はないとは思いますが、ドラマをつくる上でのことを考えると、そんなにエキストラ入れても邪魔なだけというか…一応、僕が考えていなかった視点なので4としました。

知っている事だらけかもしれませんが・・・
・水戸黄門の名乗っている「副将軍」という役職はそもそもない
・江戸時代の女性はお歯黒である(ドラマ上は省略されていますね)
・男の人も自分のことを「俺」とは言わない。(「私」といいます)
よく見られる「間違っている点」はこんな感じでしょうか。
瑣末なことを言えば「篤姫」で家定のあとの将軍選びで慶喜派が
「家持は病弱だからよくない」という理由で反対してたシーンが1回も出なかったことですね。
ドラマを見てると若くて健康な将軍が大阪行ったら急に弱って死んだ風に見えます。

間違っている、とは違うのですが
建物の大きさなどは皆、当時のものより大きく作られています。
今の役者さんは大きいですから当時のまま再現するとみんな頭を下げて入室、
ってことになってしまうので・・・。

  • 回答者:めちょ (質問から6時間後)
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「ドラマ上の理由」はしょうがないかな~。
確かに、鴨居の高さ等は大きくつくられていると思いますが、例えば、松の廊下とか大店の中とか、こぢんまりとしすぎていますね(昔の映画はそうでもないと思いますが)。

旗本とかは、主語が「わし」だったようですね。

追加すれば人の呼び名でしょうか。
支配層では上司、同僚を本名では問いかけません。
官職名を使います。
視聴者が分かり難いこともありますが、安易すぎるから重みがないのです。

  • 回答者:一照 (質問から6時間後)
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大岡越前守を、父や将軍が「忠相」と呼んでいるのはよく覚えています。通称(金四郎、平蔵)とか官職名(○○守とか)ですよね。

・言葉使い(しょうがないが現代風が多すぎる)
・男と女が街中を堂々と肩を並べて歩く事などありえません)
・道が広すぎる
・髷の後ろに自毛が見え不自然(これもしょうがないが)で相撲の髷と比べるとよく分る。
・部屋の中が明るすぎる。(撮影上これもしょうがないが)
・夜の道も明るすぎる。(当時は街灯など無いのでかなり暗いがこれもしょうがないね)
こんなところですね。思いつくまま書きました。

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まー、ドラマとして「しょうがない」部分もありますからねえ。
道の広さに関しては、大通りなどは寧ろ狭すぎると思います。

「天地人」では羽柴秀吉は最初から能登ぜめに加わっていませんが、実際は、信長の命で、柴田勝家の下につくのですが、勝家に「サル」と呼ばれて、怒って勝手に陣を離れています。
「独眼龍政宗」では、政宗の父輝むねが人質としてとらわれた時、政宗自身が「鉄砲隊撃て」と命じていますが、史実ではいとこのしげざねがめいじました。政宗はその場にいませんでした。

  • 回答者:匿名希望 (質問から5時間後)
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戦国時代には疎いもので…。
秀吉がサルと呼ばれた理由は、あまりおおやけにできないと聞いた事があるのですが…なんなんでしょう。信長には「ねずみ」と呼ばれていたとの話もあって、サルに似ていたというわけでもないようなのですが。

知ってるとは思いますが、「なんば歩き」ですね。
同じ方の手と足が動くやつです。
これを役者にやれというのは、酷でしょうねぇ。。。
ってか、撮影にならんでしょう。

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西洋式の軍隊訓練の徹底で、いっちにー、いっちにー、となったんすねえ。今でも体育の時間にそんな感じが残ってるのは妙な話。

日本刀の鞘には栗形(くりがた)という部品があり、刀を抜くときに鞘が脱落しないような部品が、ここに付いています。
また、笄(こうがい)と呼ばれる整髪等に使う小さなへら状の装身具を格納しているものも多数あります。
このあたりが完全に省略されています。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から4時間後)
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小柄だけはよく出てきますね。あんなふうに投げて刺さるのかどうか…。
「時代劇で省略されている」ことは知りませんでしたので、4とさせていただきました。

遠山の金さんの入れ墨は、桜吹雪ではありません。
また、長年痔を患っていたため、馬に乗ることはありません。

  • 回答者:匿名希望 (質問から4時間後)
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前者は知っていました。女の生首だったとか。
後者は聞いた事があるような、ないような…なので4とさせていただきました。

お銀さんは全裸で風呂に入っているようですが、湯もじあるいは湯帷子を着て入浴していました。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から2時間後)
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蒸し風呂の時代なら、湯もじ・湯帷子と思いましたが…。
そもそも水戸黄門の時代はまだ蒸し風呂だったのか。もし今のような風呂だっら湯もじ・湯帷子着用ではないような…微妙なので4とさせていただきました。

水戸黄門は、漫遊してねーし

  • 回答者:みー (質問から56分後)
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申し訳ない。知っていました。
せいぜいたまに水戸~江戸間を移動したくらいだとか。

「馬」に乗っている「シーン」があるが
馬の形をみると「サラブレッド」
しかし、当時は「サラブレッド」は日本にはいない
もっと、背の低い「馬」だったはず
「木曾馬」とかの
ずんぐりした形の馬でした

  • 回答者:まちがい (質問から28分後)
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申し訳ない。知っていました。
ただ当時の人は小柄だったから、今の人が当時の馬に乗ると、それはそれで違和感があるのかな、と。

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