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「男もすなる日記というものを、女もしてみむとて、するなり」。ふと、紀貫之が書いた「土佐日記」の冒頭を思い出したのですが、紀貫之ってオカマでしたか?何で自分が女だといって日記を書き始めたのでしたっけ?

  • 質問者:無知の知
  • 質問日時:2009-05-08 22:54:35
  • 1

回答してくれたみんなへのお礼

ご回答ありがとうございました。ネットで調べてみたのですが紀貫之オカマ説とかあって本当かなと思ってました。仮名文字は女文字、漢字は男文字で洒落て書いてみたということのようですね。なるほど。

平安時代、仮名文字は女文字、漢字は男文字・・・という一般的な概念がありました。船旅の記である「土佐日記」を書くに際し、貫之は日々のことを記録するだけのくだけた表現のほうが適しているのだと考え、それならば、女の書いた仮名日記にしようと思い立ったということです。

===補足===
ベスト回答に選んでいただき光栄です。

  • 回答者:けんちゃん (質問から15時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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かなを使っての作品だったので女性のふりをして書いたらしいです。
当時男性は漢字で書くものだったそうなので。
紀貫之は立派なお役人さんだったのでプライドからなのかユーモアなのかそのあたりはわかりませんがおもしろいですよね。

  • 回答者:匿名希望 (質問から2時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

当時、かな文字を使うのは女性の風習でした。
かな文字を使う事で漢字にはないやわらかな表現を出したかったからではないかと言われています。
決してオカマさんだった訳ではありませんよ(笑)

  • 回答者:紫式部 (質問から11分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

オネエ系のはしりですね。当時はなかなか理解されなかったことでしょう。

  • 回答者:ニキ (質問から9分後)
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

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