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日露戦争当時の日本国内の世論を教えてください!!
主戦論・非戦論どちらでもいいですのでよろしくお願いします。

  • 質問者:aki
  • 質問日時:2010-01-14 22:37:52
  • 1

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主戦論が強かったのだろうと思います。

当時は、帝国主義は悪ではなくて
「立派な国を創る当然の方法」であった時代です。
明治維新以降 必死の思いで「勝ち上がってきた」日本人は、
「今更、ここで引けるか!」と思っていたと考えます。

戦争に勝った後の話ですが、「日比谷焼打事件」などを鑑みると、
「行け行けドンドン」だったのは、
政府よりも、むしろ民衆だったのでは?と思えてきます。

  • 回答者:今とは正義が違う時代・・・ (質問から11時間後)
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ロシアが、中国、朝鮮に手を出し、日本侵略の可能性があった為、やむなく戦争を始めました。日本海大海戦で圧倒的勝利を収めましたが、日本にそれ以上戦争を継続する力はなかったです。講和会議に全権代表で出た小村寿太郎は、樺太の半分しか手に入れられず、国民に非難ありましたが、講和会議で合意がなければ、今頃、日本人はロシア語喋っていたと思います。但し、日本海大作戦の勝利が、太平洋戦争の元凶になりました。

  • 回答者:戦艦武蔵 (質問から9時間後)
  • 3
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日本の教科書には、与謝野晶子の「君死に給う事無かれ」ばかりが取り上げられて、あたかも非戦論ばかりが主流かの如く宣伝されていますが、全くのデマです。日清戦争の後に、ロシアの三国干渉によって、日本はせっかく手に入れた中国の半島の一部を返還させられて、結果的にロシアに持っていかれ、臥薪嘗胆したのです。与謝野晶子の「君死に給う事無かれ」は、戦争当時新聞に掲載されましたが、国民から随分と批難されていたのです。

  • 回答者:匿名 (質問から5時間後)
  • 4
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非戦論が多かったと思います。

そもそも日清戦争で
朝鮮を巡ってイギリスの力を借りて、
そしてそのイギリスとロシアが
争う関係であったため最終的に
日露戦争となったということで、

元を正せば、朝鮮の領土ですから、

領土を欲しがると言ったら
極一部の商売人だと思うし、

国が一丸となってということはなかったと思います。


あんまり詳しいことは分かりませんが、
僕はそう思います♪

  • 回答者:いにしへ (質問から23分後)
  • 1
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