学習院は、やはり庶民とは別の世界なんだなという印象を改めて感じたニュースでした。
庶民がとやかく言える域を超えていて、普通の感覚ででは解決の糸口は求められないと思います。
これが、普通の公立のしょう学校なら
この「イジメ」「学級崩壊」・・・
1.縄跳びの縄を振り回す
2.廊下で走り回る
3.ものを投げる。それがゴツンと女子生徒に当たった。
このような事象で怯えて不登校になる子供は滅多にいませんし
いても、周りの女子が強烈な口攻撃で男子をおさえこむ、または先生に言いつけて先生が怒鳴り、解決。
繰り返すと今度は女子が集団で問題を起こす男子を攻撃して大事になり、悪いほうが叱られを繰り返し怯えた女子は友情で安心あるいは慣れて強く成長して
困難を打破する免疫がついていく。男子はこういうことをすると攻撃される=いけないことだ=損をする、との構造で自ら問題行動をやめていく。
そしてみんな、時間を経て、常識と不都合から受ける困難への免疫を身につけながら
まともな大人へいつかは成長していく。
そして社会へ出る。
こうなるのですが
ここは、学習院。品格を備えていることが小さな子供にも必要なのと
保護者が先生にも叱り方に穏やかさを求めるから、問題が起きた時にも品格を持った叱り方をしなければならないので
たまに出てくる道に外れる元気を過ぎたお行儀の悪い児童が出た時
「いけないことです。およしなさい」などと注意しても、未熟で元気があまる悪タレ小僧に通用しません。
子供のしつけなんて、「あるまじろ」=挨拶・ルール・マナー・自分から(進んでの行動)・労働(お手伝い)だけ教え込めばそれでOKで簡単なものであり
本来は自分で失敗し、叱咤され辛い経験をして改善をしていく、そのフォローをするだけで(迷惑をかけた相手に親が一緒に謝る)
簡単なものなんですけれどね。
あの美智子さまは、その昔、お子様のお尻を叩いてシツケをなさったことで批判を皇室から浴び、バッシングを受け、そして国民からは絶賛されました。
未熟な子供相手に、通用しないお小言での叱りで対処でききれない場合
美智子さまのような、時に厳しくする一般家庭のようなしつけは必要なのではないでしょうか。
とは、思うのですが
学習院ではそれができないものだと思うんですね。
でも時代は流れ、テレビなどで昔より毒されている「良いおうちのお子様がた」には品良く叱るだけでは無理がきている。
世の中が乱れ影響を受けている、考え直す時代がきたということではないでしょうか。
学習院に行く上流家庭とうちでは別世界。
そこにあてはめるなんて恐れ多いので、ココから先は、一応まともな社会人にそだてあげた私が思う教育理念です。
子どもは、悪いこと、乱暴な行動をする子もしない子もいます。
この時点では、乱暴な子はまだ悪ではなく
それをしつけられない保護者に悪へと変貌させながら成長させる悪があります。
押さえ込むばかりが厳しいシツケじゃないです。
私は、2人のわが子を怒鳴ったり叩いたことは1度もありませんでした。
遅くなるから電話しなさいともしつけたこともありません。
しかし、未だに(2人とも20歳以上社会人男子)遅くなる時はメールをしてきます。
なぜか?
遅くなるからメールさせるのはシツケじゃなく、親が不安を解消するためのお願いなので
親の欲求を満たすだけの行為。
遅くなると夜道だし迎えに行こうか?という働きかけは、子供を心配する親心であり
子供は心配させているんだなと、本音ではおおげさだなぁと笑いながらも親に心配をかけまいと連絡をしてくる。
これが間接的で長期間かけた本人の成長を見守る根の部分からの「しつけ」です。
そのほか、喧嘩などをしても、それを自己解決できるまで見守る
叱られて帰ればなんで叱られたかをともに考え
いじめられたと訴えれば、それは本当にイジメなのかどうかをともに探りなぜやられたかもともに共感しながら考え
答えは子供にださせる。叱られたら、いじめられたら、イジメではないのに恐怖を感じるのはどうなのか?などともに悩んでやる。
経験を経て、免疫を培っていき、悪いことを「したくない」と感じるように
外から親が保護せずに体験させて解決方法を子供が見出しながら成長していくようにもっていかなければ
何の解決にもならないです。
親と子、その関係に学級崩壊を防ぐ根本的な問題がなかろうか?と私は思います。
これを、上流社会のお子さんたちの教育に適用するのは別世界のような、いわば聖域では当てがうのは無理なのだと思うので
この世界でなら、問題行動をやめない児童は退学させるしかないのではないでしょうか。
これは私は賛成はできないですが、
庶民が言うことでもないといった世界。
想像ができない難しさが隠れているような気がします。