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「空気を読む」と言いますが、こういった「空気」はとても恐いものだと私は思います。日本以外の国では、このような「空気」至上主義は存在せず、逆にこの「空気」が猛威を振るわないよう、警戒するのが通常の感覚だと思います。

例えば、戦争中の作戦会議で、いくら無駄だと分かっていても、反対したくても、「そういうことを言える空気ではなかった」と当事者が後日語ったとすれば、その人は「空気」に支配されていた、自分の意見よりも「空気」を優先していたことになります。こういった例はたくさんあると思いますが、どう思われますか?

今の平和な日本では弊害はないのかもしれませんが、「空気」に支配される日本人は奇妙ではありませんか?

  • 質問者:鉄器
  • 質問日時:2008-08-17 23:55:38
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空気のせいにするのはずるいを思う。はっきり口に出さないでごまかすのは卑怯だし、責任感に欠ける。

  • 回答者:たたんか (質問から7日後)
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回答ありがとうございました。

そうですよね。私も職場で、こういう大事な事は、ちゃんといっておかなくちゃ。いくら空気が違うなんていったて。と、たびたび思います。

それで、言わない側の人の理由なんて、たいしたわけは、ないんです。
「ずれた奴」みたいな事らしいです。
あるいは、ろくに教養もないのに、ただ、みっともないからという理由もあるみたいです。

こういった間違いを立証するために、会話、あるいは、行為のプロセス、その場で感じた記録をまとめて論文にしました。

一応論文は、認められました。

だからというのではありませんけど、私は、鉄器さんと同じ意見です。

  • 回答者:reiko (質問から7日後)
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会社や職場での効し難い「空気」による害毒は、かなりあると思います。巷間、偽装問題がよく出てきますが、当たり前のことが通用しないのには、「空気」も一役かっているように思います。

誤解されやすいですが、空気は雰囲気などとは違うものですね。

そうですね、あまりに周りの雰囲気を意識しすぎて
何も出来ないなんて窮屈ですよね。
会社や利害関係のあるところでは、やはり相手の機嫌を悪くしないようにしてしまいますけど。
友達やあとを引かないようなところは、自分の意見を言うようにしています。
日本人ももっとフレンドリーに話せることが多くなるといいですね、
世間体って言葉が重視されなくなるといいですけど。

  • 回答者:orinnpikku (質問から7日後)
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ここで言う「空気」は雰囲気と混同されやすいですが、違うものです。
空気には圧力がありますが、雰囲気には圧力がありません。圧力を持った空気は、抗し難い空気のようなものです。

いろいろな意見があるとは思いますが、自分の意見ばかりで自己中心的なのも良くないし、空気を読んで相手に合わせて態度を変える人も信用しにくいです。一人では生きてゆけない世の中ですから本当に難しくて、でも世の中の変化を何とかするなんてもっと無理ですから。生きる大変さが身にしみます。

  • 回答者:まさ (質問から5日後)
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ご相談で挙げられている戦中の例に中の「空気」と現在よく使われている「空気」とは異質なものと思いますが?

少なくとも戦中の例での「空気」は、その場の雰囲気(現在よく使われている空気)ではなく、その場の状況(発言することにより自らの命に危険がある。発言しても無視されるだけで意味がない)であると思えます。
逆をいえば、その場の雰囲気に対抗していても、その発言で多くの仲間が助かるような発言であれば、当時は多くの方はためらいも無く発言されていたかと思いますが。

今の「空気を読む」はその場のみの雰囲気を崩さないようにする。との意味が強いように感じます。
これは馴れ合い主義、事なかれ主義の比較的平和で安定した社会でヌクヌクと育って来ていれば当然尊重すべくで有ろう思想で特に奇妙とは感じませんが、国際社会の中で生き残ろうとした場合、どうなるかは甚だ?が沢山つきそうです。
只、一般的社会も自浄作用が働きまともになるでしょうから、特に気になさる必要はないのかも。(その場合現在の若者[空気を読んで生きている方]は、かなり辛くはなるでしょうが。)

  • 回答者:放浪の寿下無 (質問から11時間後)
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確かに当時の空気は知ることができません。ありがとうございました。

外国にも「その場の空気」は「発生します」ただし、日本と違い外国(特に西洋)では「おかしい」と感じたことは「それはおかしい」と「発言」することは「当たり前」の事として認められています。
ここが「日本」と大きく違うところです。

自分の考えと違うと思ったら堂々と発言できることが当たり前にならなければ何時までも「空気」(上司や権力者の意向)に左右される封建時代のような社会のままです。

空気については山本七平さんが書いた「空気の研究」と言う面白い本がありますので興味があれば読んで下さい。

  • 回答者:ヒゲオヤジ (質問から4時間後)
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ありがとうございます。敢えて伏せましたが、山本七平さんの『「空気」の研究』を知った上でのことです。議論らしい議論、論争らしい論争が日本では成り立たないのではないか、と思い、空気について、いろんな人のご意見を聞いてみたいと思いました。

戦時中の空気を読むは命と直結するもので
本当にこうあるべきだと正論を話すには 恐ろしく勇気の要る空気だったでしょうね。
この恐ろしい毒ガスを作り上げたことであの時代は統率がとれていて
だから戦争が普通の事象のように行われていたのでしょう。
今の「空気を読む」は命を守るというところでもないけれど
一種、似たところもあると思います。
逆らうと危機が迫るというところかな・・?
危機は危機でも
今のは命の代わりに集団からの疎外という孤独を回避したい 質ではないかと考えます。
現代人にとって 集団からはみでるということは かなりの脅威なんでしょう。
集団心理は怖い。。色んな集団がありますが、人のある環境により、
そこからはみ出ると 会社から追われることにまでなることもあったり
近所づきあいで孤独を覚え、子供がイジメにあうことがあったり
学校へ行けなくなり、ひきこもりになり社会人になりきれなくなったり
夫々色んなパターンはあれど 孤独という心の面での不幸にみまわれるのですね。
流行語のようにKYなどと軽く使うこの言葉が
知らぬ間に今の風潮を作るのに拍車をかけたようにも思います。

人は社会の中でうまく交わりいきていかねば生きていけない生き物だから
協調性は必須です。ことを荒立てずになめらかに意見をいう方法を考えていかないと独裁者が生まれます。
ことを荒立てずに正論と考える意見を伝える作業こそが
本当の意味での空気を読むであると考えますが
こんな考えは いまの風潮では もはや通らない「KY」なのかもしれません。

意見を持たないことを良しとされるのは
意見を持っていないからではないと思いますが、それは、
うまく伝えるためには 相当な話し合いの時間を使い、
本当の意味で「空気を読む」ことに四苦八苦しなければなりません。
「うざい」「めんどい」といういまの風潮、
考えることをやめながら不満だけは人間ですから持つ、そのままに居て安心感を得るために
同じ風な考え方の人間としか関わらない楽を選んだ結果だと思います。

政治経済が傾きだして止まらない。
崩壊もそう遠い将来ではないような脅威を感じる いまの「空気」です。

  • 回答者:輪廻 (質問から2時間後)
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深く考えさせられました。空気とは何か、まだ私にはよく分かりません。分かっていないから恐いのだと思います。

実際には「水を差す」の反対語くらいの意味で使われている言葉だと思います。
日本に限らず、「水を差す・気の利かない」発言は嫌われますし、論議を交わす場で
黙っていたり「私もそう思います」ばかり言う人は日本でも「空気が読めない」となるでしょう。
例として挙げておられるのは「顔色をうかがう」ということではないでしょうか。
確かに、最近何かにつけて空気空気と言うのは安易だなと思うこともありますが、「空気」に対する日本人的感覚というよりは
「ヤバイ」などの言葉があらゆる場面で使われるようになったような、ちょっと軽薄な流行語に過ぎないと思います。
私たちも、「おいしい」「渋い」などを昔は使わなかった意味の比喩として安易に言っていますから…

  • 回答者:11 (質問から35分後)
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「ちょっと軽薄な流行語」は、いい表現ですね。そんな程度ならいいですが、戦時中の話は実話です。「顔色をうかがう」とはちょっと違うように思います。

戦時中は今と違い、縦社会で命まで掛かってる
世界ですから、今とは全然違います。
天皇は現人神で、上官の命令は天皇の命令と
言う特殊な時代ですから、今とは全然違います。
空気については別に変とは思いません。
なぜなら、外国でも空気は読みます。
国と国の交渉ごとでも、お互いに相手の
出方等で外交も進みます。
反対に空気が読めないようでは、
何事も失敗に終わると思いますが。

  • 回答者:ジョウ3 (質問から27分後)
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戦時中の話は会議の話です。命令はそのあとのことです。
「天皇は現人神で、上官の命令は天皇の命令」というのは形式上、軍人勅令上のことです。通常、天皇は発言権を持ちません。

外交交渉のことは意味がまるで違います。

本来は適切な状況判断を、という意味だったのでしょうが、
いつの間にか語句が一人歩きし濫用されると本題のように、
「物言えば唇寒し」、「雉も鳴かずば撃たれまい」のような解釈に陥る弊害が出てくるでしょうね

現状でもYesman的姑息な処世を強いるような意味合いであったりすることが往々にしてあり、嫌な語句に成り下がってる感じはします

  • 回答者:● (質問から18分後)
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イエスマンのような空気の読み方とは別に、何でもかんでも空気を読まない人が悪いような風潮になっている気がします。そんな空気なので、更にその空気に拘束されて、空気に抗えないってことになりますね。

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