人が誰かに相談するときは、言葉を発する、まして文章にするという作業をするまでに
頭が整理されているんですね。
というのは、もう相談をする前に答えが自分の中にできあがっていて
それを確認するものなんだと思います。
普段でも、相談されているとき、アドバイスのようなことを言えば、きまって相手は
「うんうん、そうなんだよね、だけど、私はこう思うんだよね」と返ってきます。
そういうのだけでなく、本当に悩み答えが出ないときは誰にもいわないのだろうと思います。
物質的な相談は(パソコンの使い方など)ホントにわからないので聞く姿勢ですが
情緒的な問題に関しては、そういうものなんだと思います。
要するに愚痴なんだなぁといつも思います。
だから、私は気持ちの面やひとづきあいなどのあり方などポリシーに関することについては否定してもどうせ聞きやしないので、それはおかしいと感じて、自分のそこがいけないからそうなるんだと感じても何も言いません。
否定もしませんが、おかしいときには肯定もせず
聞くに徹して相手がカタルシスを覚えられるなら良しとします。
ただし、その相手のことを自分がどれだけ大事に思うかどうかですね。
あまり好きでない相手からなら愚痴はうまくはぐらかして去りますし、親友のような相手だと延々つきあいます。
それで癒されるなら、相手が相談した意味もあると思うから。