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ウトロという京都の地区を知っていますか。スラム街だったのですか。


「Q&A 在日韓国・朝鮮人問題の基礎知識」 仲尾宏 1997年 明石書店

京都府宇治市に「ウトロ」と呼ばれている地区があります。戦争中、ここに京都軍用飛行場が建設されようとしていました。1940年に着工し日本国際航空工業(日産車体工機の前身)が事業を請け負っていました。この飛行場建設は資材不足などで工事が遅れ、敗戦の日まで完成をみることがありませんでしたが、その建設工事におよそ1300人の朝鮮人労務者が働いていました。

「ウトロで飛行場の建設をすれば徴用を免れる、と聞いて移りました。昭和16年です」
解放後は「もちろん帰りたかった。でもお金がありません。向こうにも生活できる家や土地はありませんでした」
(中略)
解放後、仕事から放り出されたウトロの人々はウトロ周辺で仕事を探す一方、飯場を自力で修理、改修または増築して家族がなんとか住めるようにしてきました。
(中略)
ところが87年3月に、土地は日産車体工機から西日本殖産の所有に帰していたのです。西日本殖産はこのウトロの土地を第三者に転売しようとして、建物解体業者を使ってウトロの建物・住居の実力解体に取り掛かろうとしました。そして住民に対して土地所有権に基づき総面積4400坪の建物収去土地明渡請求を京都地裁に提出しました。1989年2月のことです。
住民たちはこのときから強制立ち退きの恐怖とともに裁判所で被告の立場に立たされることになりました。

「悔しいのは、なぜ今ごろになって出て行けといわれるのか、ということ。裁判所に呼ばれて、被告にされて、日本人が半分でもいたら、こんな仕打ちは出来ないはずです」
「ここは朝鮮人たちの命の土地や。みんないっしょに苦しんできたんや。守るためやったら、立ち退きさせようとする業者のブルドーザーの前でも座りこむわ」

ウトロの人々の怒りは爆発しました。そして事態を知った日本人市民の支援活動が始まりました。「地上げ反対!ウトロを守る会」が結成され、ウトロの問題は単に住民が土地売買紛争に巻き込まれたということではなく、日本の朝鮮侵略、植民地支配がなければ起きなかったこと、戦後、この支配と歴史の清算がいまだに行われず、政府や行政もこのことを放置してきたことに原因があることを宣言しました。http://ccce.web.fc2.com/sa.html

  • 質問者:匿名
  • 質問日時:2013-06-24 00:06:56
  • 0

いいえ、こういう地区があったなんて
全く知りませんでした。初めて聞きました。

  • 回答者:匿名 (質問から6日後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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いいえ、知りませんでした

  • 回答者:sooda (質問から17時間後)
  • 0
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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