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人生を砂袋を引きずっていると例えるとします。科学はこうすると楽に引きずれるよ、といいます。宗教は引きずり方を教えます。憲法や法律、社会のルールは、砂袋を引きずるのを邪魔し合わないようにしています。そして引きずるのが終わると死ぬわけです。
そこで質問なのですが、そもそもなんで砂袋を私たちは引きずっているのでしょうか?

  • 質問者:questioner
  • 質問日時:2008-09-29 21:48:20
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あなたが一番最初に、砂袋を引きずっていると例えたからです。

なぜ、そう例えたのでしょうか。
そもそも、この質問をされる段階で、あなた自身がそのように感じていらっしゃるのではないでしょうか。

同じ荷物でも、自分で背負おうとしたものより、人に背負わされたものは重く感じると言われます。
もし引きずっているのが例え砂袋であっても、自分で引きずっていると思えばもしかすると軽く感じるかもしれません。

  • 回答者:山あり谷あり (質問から7日後)
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生れ落ちたからでしょう。

  • 回答者:お助けマン (質問から7日後)
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>人生を砂袋を引きずっていると例えるとします。
砂袋を引きずってない人生もありえるという選択肢はないのですか…
>そもそもなんで砂袋を私たちは引きずっているのでしょうか?
砂袋の正体は一言で言うと”欲”ですね。
人々は幸せになりたいと言う”欲”のために日々砂袋を大きく重くしている訳です。そういう訳で私達はなぜ砂袋を引きずっているかという答えになっているでしょうか?もう少し早くこの質問に気がつけば、考える時間が有ったのですが…

  • 回答者:kudou (質問から7日後)
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それは、人間が地球上で最も我がもの顔で歩き回る生物だからです。
砂袋の重みは人間の暴走を抑制する足かせとなり
地球への破壊行為や他の生き物に対する乱獲を防ぎます。
そして知恵のある人間のいくらかは、その砂袋の重要さに気づき
それをもって自分たちの行く末を案じ
自分たちの未来のために、他の生き物を大切にし
地球を大切にしようと決意しました。
砂袋の中には、思いやりやモラル、他の命を愛する心と誠実さが入っているのです。
これを使って未来のために意味のあるものにするか
ただ「重いだけ」と悪態をつきながら歩くかは、その人次第です。

  • 回答者:カロリン (質問から6日後)
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私はこの言葉(喩え)を初めて聞きました。誰かご高名な方のお言葉なのでしょうか?
で、何も知らないので文章だけ見て素直に(我流に)解釈すると、「砂袋」=「人間らしく生きる」ということでしょうか?
そもそも「人間らしく生きる」ということが何なのか、私自身はっきり言いきれる自信はないし、人によって答えは千差万別なのかもしれません。そんなこと考えている、いないにかかわらず生きています。でもどこかで「人間らしく生きて」いこうとしていると思います。
「人間らしく」だと「ホームレスの人は?」とか言われそうなので、「自分らしく生きる」とでも言い換えましょうか?この2つが厳密に同じ意味だとは思いませんが、便宜上。
で、本題の「なんで砂袋を引きずっているか」ですが、言葉を上の例に従って置き換えると「なぜ人間らしく(自分らしく)生きようとするか」って事ですよね?そうすると答えはもう「本能」としか言いようがないですかね~。
本能が人を生かしている、自分らしく生きようとしている。とすると自殺者や引きこもりはどうなの?って感じですが、自分の理想とする生き方、「本当になりたかった自分」と現在の自分があまりに乖離しすぎたため、現在の自分を抹殺することで「本来あるべき自分」を本能が守ったとも考えられるかな?自殺は砂袋を引きずるのをやめること。引きこもりは砂袋の重さに立ち止まってしまった人、ってとこですかね?かなり無理やりだけど。

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理由なんてない。
生きているから、引きずるんだ。
・・・と、最初に思いました。
でもこれでは答えになっていませんよね(^_^;)

それにしても、面白いご質問ですね。

ここでいう「砂袋」とは何でしょう?それが不明確ではこの問いに答えることはできないと思います。

引きずっている、という表現からは、「重荷」で、引きずることは辛いこと・苦しいことである、という風に感じられました。
(宗教では)最終的に「悟り」によって、砂袋を捨てるのだろう、とも思いました。

人間に限らず、
生き物は、それ単体ではまず生きられません。
いろいろな他の生き物と密接にかかわり合って生きています。あ、無生物ともかかわり合ってますが。
そういった、「他者」との関わり・関係が(も?)、「砂袋」でしょうかね。
でもそうだとすると、問いの「砂袋」に当てはまらない・・・。
うーん、よくわかりません。

とりあえず「砂袋」が「ありとあらゆる人生上の重荷」だと仮定すると、
「重き荷を負いて」、山あり谷ありの人生を懸命に生きる方が、
何も持たずに平坦な道を進む人生よりも、
充実感のある幸せな人生になるのではないでしょうか。
辛さを体験し、それを乗り越えることで初めて、いろいろなものへの感謝の気持ちを持てたり、世界がどれほど輝きに満ちているものなのかを感じることができるようになるのですから。
そうだとすると、問いへの答えは、「幸せを感じるため」と言える気がします。

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引きずるのではなく、魂(気)を動かしています。他人の魂とぶつかり合って何かを学び、魂磨きのジャンルを広げていく。魂磨きが完成(オールマイティ)すれば地上に生まれ変わらなくてもいいようになる。
魂が完成していないから地上に生まれて魂磨きのために生きています。

  • 回答者:知識人 (質問から5日後)
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宗教的回答で申し訳ありませんが 「霊性進化する為です」
肉体は滅びても魂は永遠に進化し続けます。私達は魂を純化させる為に何度もこちらに生まれてきます。より大きな砂袋を引きずった人の方が、軽い砂袋を引きずった人より、大きく成長出来ます。
また、沢山の良い種(善行)を蒔いておけば、現在から死後に至るまで沢山の幸せを刈り取る事が出来ます。
うーん、上手く説明出来てませんよね。ごめんなさい。

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うーん、哲学的ですね。

楽ばっかりしていると体がなまってしまうし、重すぎると疲れ果ててしまう。
科学に頼りすぎると、ひ弱な人間になり、
宗教にかぶれるとあれもこれもとつい余分な荷物まで背負い込む。
ルールに縛られると行き場所がなくなってしまい、
体調がいいときには軽く感じ、体調が悪いと重く感じる。
一生、何のために引きずっているのか考え続け、
答えがわかったときに引きずるのをやめる。

と、いうことでしょうか。

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多分、うまれたときは何にも持っていないのが、欲や意地や家族やしがらみなどが沢山増えて袋に入れないと持ちきれなくなって引きずって歩くようになるんでしょうね。
次の段階へは、又何も持たずに出発するわけです。

  • 回答者:知識人 (質問から6時間後)
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なかなか面白い質問ですよね。
そうですね..大人になればなるほど結婚すればまた大きな砂袋を引きずって歩きます
。試練なのでしょうね。中の砂袋の砂が少しずつ袋も弱ってきて漏れて出る。
中の砂が無くなったら自分も終わる気がします。
けれどその砂袋があるからこそ飛ばされずに生きていられるのもひとつですね。
砂袋なんて要らないと思います。軽くなるからね。
けれどまた自分は.不毛の砂漠の中で砂を掻き集めて袋に詰めて歩く事を望むのでしょうね。

  • 回答者:匿名希望 (質問から5時間後)
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学術的に砂袋の正体を明かすと「遺伝子」になるのでないでしょうか?
ある学説ですが、人間を含む全ての生物(バクテリアを含む)は「遺伝子の乗り物」であって、遺伝子がいかに自分を生存させるかの競争の中で、乗り物であるライオンには牙を、人間には知性を与えたとするものです。

つまり砂袋は引きずっているのではなく、遺伝子により「引きずらされている」のです。
引きずるのを辞めるのは自由ですが、それは個人的にも、人間と言う生物種としても「死」を意味します。

相談者さんのおっしゃるとおり、他の動物と人間に「生命」と言う意味での区別などありませんし、あると考えるのはただの傲慢のような気がします。

この地球上で多種多様な生物が生存競争を繰り広げており、人間はその知性を武器として生存競争を戦っているだけです。

「我々は何故生きるのか?」と自問できるのは、全生物種の中で人間だけです。
そのことに感謝してただ生きるのみです。

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義務じゃないですか?
小説とかでよく「好きで生まれたんじゃない」というセリフがあるじゃないですか。
これは、好きで引きずっているんじゃないということになりますよね、このたとえだと。
つまり、生まれた時点で持たされることを義務付けられていて、放棄するということは自殺、引きずることができなくなったときは死ということだと思います。

  • 回答者:権利は生かな? (質問から4時間後)
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生まれた時は何も持っていません
だんだんといろいろな物を持ち また持たされてきます
しかもその持っているものを他の方に渡す方もいますし
捨ててしまう方もいます
優しさで他の方のものまで持ってくれる方もいます

皆で持ち合うこともあります

たぶんその砂場袋は 生まれたら誰でも手にするものです
望もうが望まなくても

  • 回答者:匿名希望 (質問から2時間後)
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宮沢賢治みたいですね。
なんで、と言われれば、それが「生きる」ということだからだと思います。
自覚があろうが、なかろうが、砂袋はあると思います。
なめとこ山の熊を思い出しました。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から2時間後)
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あなたの引きずっているのは本当に砂袋なんでしょうか?
人によっては重さを感じない鳥の羽だったり、おもちゃ箱だったり、
はたまた砂袋よりもっと重い「何か」だったり・・・

誰もが同じ「砂袋」を引きずっているとしたら、それをどんなものに
感じるのかは、あなた次第だと思います。

  • 回答者:respondent (質問から59分後)
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誰が決めたか知りませんが、「砂袋を引きずる」のを「人生」の定義にしたからです。

「3辺が等しい三角形」が「正三角形」の定義であることとと似ています。

もし「砂袋を引きずる」ことが「人生」であると定義すれば、なぜ「砂袋を引きずる」かというと「人生」だからであると答えます。
「3辺が等しい三角形」が「正三角形」である定義すれば、なぜ「3辺が等しい」かというと「正三角形」だからです。

「人生を砂袋を引きずっていると例えるとします」とした時点で、「砂袋を引きずっている」のは「人生」なんです。なぜ砂袋を引きずるかというと、それを人生の例えにしたからです。だから私たちが人生を刻む以上、砂袋を引きずり続けるのです。

では、言葉を取り替えて「なぜ砂袋を引きずるか」を「なぜ生きつづけるのか」と考えると、これまた難しい問題だと思います。
簡単にいえませんが、あえていうなら「死なないから」ではないでしょうか。これはすべての生物に当てはまるのではないでしょうか。



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参考になりました。回答ありがとうございました。

人生に課題を持って、皆生まれてきている。
他人を妬まず、環境をうらまず、
生きている間に、砂袋をいかに軽くできるか。
出来れば早いうちに自分の砂袋を空にして、
他人の砂袋を軽くする手伝いをしてあげるくらいになれれば。

自分が他人を助けてあげられるっていうのは、素晴らしいことだと思います。
(おせっかいではなく。)

魂が少し(沢山のほうがベスト)磨かれて死んで、
次の人生(輪廻転生)でステップアップしていく。
そう思っています。

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引きずっていると気がついている人と気がついてない人がいると思います。
ということは引きずっているんでしょうね・・・。

  • 回答者:匿名希望 (質問から21分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

人間として生きると言うことそのものじゃないでしょうか。

他の動物に当てはめると、そのようなことはま、ありません。

  • 回答者:respondent (質問から14分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。
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ありがとうございます。しかしどうもわたしは動物と人間は変わらないような気がしています。ただ生きているだけなんではないでしょうか。動物は科学も宗教もルールも必要としていません。だから動物のほうがすごいとか言うわけではありません。ただ、同じ。どうせ死ぬんですからそもそもなんで生きているか、という質問です。

今の学問から言えば、私たちが、意識を持ち始めたとき発生した、原罪意識だと思います。

でもすごくオーラの泉好きなんで、何か理由があって苦労して引きずっていると考えたいです。

じっさい砂袋を引きずって勉強になったことも、いいこともあったし。

砂袋がなかったら、幸福も楽しみもわからないかも。

でも、重過ぎないように。と思ってます。

P.S. 実は原罪意識云々は、人間が考え出したことです。

まあ、体感としてもわかるけど、

だから、江原さんのは解釈の方法論だと思うんです。

ある意味現象学に近いものがあります。

私は、現代人が愚かしいのは、主観を大切にしない

で、科学ばかり語ること。

科学の歴史はまだ浅しです。

その点では、猫と人間(実際飼ってます。)差別してないです。

  • 回答者:知識人 (質問から10分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。
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ありがとうございます。江原さんは私も本を読みました。人間は魂のレベルを上げるためにそして最終的には神界に溶け込むために現世で修行しているのだと。実はこの疑問は江原さんの本を読んで考えたものです。というのはなんで神界に溶け込まなくてはいけないのか、と思ったからです。

砂袋を引きずりながら歩くのが、それが生まれてきた宿命なのではないですか?その砂袋の中身がなんなのか人によって違いますが、生まれたから生きる、生きるから苦しみがあるのです。「人生とは 重荷を追いて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず」と徳川家康も言っています。ゆっくりあせらずに砂袋を引きずっていきましょう。先は長いかもしれません。

追記

何故生きているかということを聞かれているのでしたら、生きるのに理由なんてありません。ただ生きているだけです。人間だから考え、考えることで苦しんでいるのです。大きな力には大きな苦しみが伴うのです。動物は動物の苦しみがあり、人間には人間の苦しみがあります。それは大宇宙の摂理です。私は宗教を信じませんので死んでから極楽があるとか地獄があるとか思っていません。

  • 回答者:匿名希望 (質問から7分後)
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ありがとうござます。ただそれはやっぱり「砂袋をどう引きずるか」ということように思えるのですが。わたしが思うのはなんで砂袋を引きずっているかです。

砂袋を 既に 持ち合わせていると 初めから考えて
物事を説明しようとしているからではないでしょうか?

それだけ 人生においては 負荷がかかっていると考えることが
説明しやすいというのもあるのかもしれません。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から6分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

自分を成長させる為でしょう
そして後ろを見ないで、前を見て歩きなさいと言う事ではないかと思います
自分の前に道はない、自分の後ろに道が出来るというような言葉があったと思うけど、このことを言っている様な気がします
追伸
お礼の返信をありがとうございました
そうですね、人間に限らず、生まれた瞬間死に向かって人生をスタートさせているのでしょう
人それぞれの考えがあると思うのですが、後ろ向きでは私は歩きにくいので、前向きに生きて生きたいと思っています
だから、私は成長しながら死にむかって歩いています

  • 回答者:respondent (質問から5分後)
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お礼コメント

ありがとうございます。でも成長させてもどうせ死ぬと思うんですが。

巨人の星になるためです。
目標に向かい努力をするためです。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から5分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

理由は「砂袋を引きずっていると最初に仮定したから」です。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から2分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

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