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資本主義経済なら格差があるのは当たり前ですが、格差が余りつかないほうが、資本主義経済の理念に合致しませんか?

資本主義経済は、競争をすることによって、よりよいものの追求が行われるので、社会全体がよくなっていくという発想だと思うのですが、格差がつきすぎてしまえば、競争になりえないので、大前提を失ってしまうのではないでしょうか?

徒歩と自動車で競争をしても自動車が勝つに決まっているので、自動車に乗っている人は、手を抜きまくり、徒歩の人はあきらめて競争なんてしないですよね?

そういった意味で、格差を無くそうという動きは資本主義の理念に反していないと思うのですが、いかがでしょうか??

  • 質問者:匿名希望
  • 質問日時:2015-02-16 21:14:19
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仲間内でさえ格差を生んでいるのは、人類の「競争妄想」である。
その「競争妄想」に、さらに「マネー妄想」が加わって、資本主義経済社会となっている。

競争をすることは、他と区別する、つまり、分断が前提で、順番を付けることになる。
オリンピックでも、1位が金メダル、2位が銀、3位が銅と差別し、その身分に格差を付ける。
このオリンピックの金メダル志向も、人類に「競争妄想」を植え付けるべく、マインドコントロールの一つと考えている。

競争をすることは、切磋琢磨し、その結果、全体が速やかに良くなる、というのは歴史が証明しているがごとく、幻想というより、大嘘である。
トリクルダウンさえ、うまくいったという事例はないのである。

マインドコントロールで競争妄想を植え付けられている人類の社会では、競争すればするほど、格差が広がり、差別、イジメが生まれ、殺し合い、人類にとっても欠かせない環境の破壊も進む。
この現状から、修正では解決できず、資本主義経済自体が限界に達しているという見解が出現するのは、当然以上の健全な流れだと思う。

自然界の生物には、競争本能はない。
だから、その仲間である人類にも競争本能はないと、私は考えている。
しかし、人類は「競争妄想」を持ってしまっているのだ。

食うか食われるかの弱肉強食の競争社会は、自然界にはない。
草食動物は草を食べ、肉食動物は肉を食べているだけであり、弱いから食べられるのではなく、強いから食べるのでもない。
自然界のこの営みは、食物連鎖という健全な生態系の一現象である。
同じ仲間同士内で殺し合うこともないし、環境破壊もない。
これを、競争と判断してしまうのは、「競争妄想」のメガネを掛けた目で見るからだ。

地球にも限界がある。
限界のあるなかで、いつまでも競争を続けるわけにはいかない。
利用している資源には限りがあり、すでに、人類の活動が地球環境を変えている。
人類同士の殺し合いも、相変わらず、止まらない。
この上、競争することほど、愚かしいことはないはずだ。

競争の反対は、「共生」である。
自然界の、人類以外の生物の営みから、「共生」を学ばなくてはならない。
しかし、果たして人類にその知恵が備わっているか、どうか、本当に心もとないところである。

  • 回答者:団塊 (質問から1日後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

"格差を無くす”、もしくは少なくするというのは、むしろ資本主義の理念というよりも
共産主義の基本理念にどんぴしゃに合致すると思います。
両者の思想は相反する存在ですので、「そういった意味」では反していると思います。

資本主義経済における格差是正とは、基本の一つである"市場における競争"のマイナス部分
"格差"をフォローするものということになるかと思います。
ですから「そういった意味」では、資本主義経済を安定させようという動きなので、
適正に行われれば政策として問題ないかと思いますよ。

私は、資本主義経済は基本的に経済格差を生む(個人資産を認め、保護する)
ものだと思います。その保障の元みな努力し市場経済にはかられた結果が経済格差です。
それが弱められるとしたら、逆に努力が報われにくい世の中だと思います。
報酬が頭打ちなら、そこそこの努力しかしなくなりはしませんか?
格差是正は、行き過ぎると逆の結果への動機付けになる諸刃の剣だと思います。

  • 回答者:"格差"を考える機会をありがとう (質問から15時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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