すべてのカテゴリ » 知識・教養・学問 » 知識・学問 » その他

質問

終了

研究はどこでもできると言う人がいらっしゃいます。
例えば研究に必要な本は何処にでもありません。貸し出し不可能な図書館にあったり、現地に見に行かなければいけないこともあります。そうしなければ研究に穴が空いてしまいます。
皆様はどう思いますか。

  • 質問者:Sooda! くん
  • 質問日時:2008-11-12 05:18:26
  • 0

どこかにこもってやるだけが研究ではないという意味だと捉えてます。
机の前にいて本とにらめっこしているだけでは
発想が貧相になります。
きっかけは思いがけないところにあってその場所はひとつ所にあらず。
と考えれば、
数学者も科学者も化学者も文学者もみんな研究材料ときっかけは
どこにでもある。ということになり、「どこでもできる」となるのではないでしょうか?
数学者だって海辺で研究できるし、化学者だって実験室以外でひらめいたりしますから。

  • 回答者:匿名希望 (質問から4時間後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

並び替え:

この話は、物理学・工学の世界の話から出たものと覚えています。その意味は、実験施設(例えば、量子学分野などの大規模施設)などなくても、机と椅子があれば、理論物理学などで大きな業績が挙げられるということだったと思います。

この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

研究の度合いにあります。
貸し出し不可能(国立国会図書館のこと?)でも、近くの図書館に取り寄せはできます。(有料)
ところで、本だけにこだわってますが、
昨今は、ネットで論文も見れますよ

  • 回答者:お助けマン (質問から4日後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

そうですね。ただ、研究はどこでもできるというのは、
その気になれば どこででもっていう意味だと思いますよ。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から16時間後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

研究はやる気があればどこでも出来るという意味だと思います。
本や実験道具や場所などたくさんのものが必要です。

  • 回答者:お助けマン (質問から13時間後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

研究対象にもよるのではないでしょうか?
分厚い専門の本が必要な時もあるでしょうが、その気になれば。。。という話かもしれませんね

  • 回答者:匿名希望 (質問から12時間後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

特別な施設がバッチリ揃っている場所などでなくとも
 研究は自分の努力と工夫次第で出来る。
って事ではないですかね?
チョット一言の文だけでは こう とは言えないのですが
自分でもどうにか出来る。って言いたいのかな?って思います。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から8時間後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

研究はありとあらゆるものがその対象になります。
彼方が生活の中でもふと疑問に思ったこと、興味を抱いた物事が、
すべてそこにある、受け継がれてる、各々所以があります。
そういった身近なことから研究は始める事も出来ます。
つまり、身の回りにあるすべての物事が研究対象です。

図書館に関してのお話ですが、最近は専門の図書館でも門戸が少しずつ開いてきています。
例え遠隔地であっても、問い合わせる事で必要な文献の複写の入手や、
場合によってはお近くの図書館まで現物が郵送され、そこで閲覧するという事も可能です。

勿論フィールドワークが必要な研究もあります。
でも全てがそうではないです。机上で出来るものもたくさんあります。
彼方が究めたいというテーマにそって、有効な方法を見つけてください。

  • 回答者:schro (質問から4時間後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

私は工場勤務ですが、世の中で当り前で常識じゃないかと思われることが、実は
誰もわからない現象がいっぱいあります。
技術部の頭のかしこそうなのが理屈を並べても、ただの電信柱ばかりです。
それなりの理屈と経験が何よりも優先されることがあります。
部屋に閉じこもって、本を見ていてもわからない。
その場所、場所で研究する機会があるとの意味にも取れます。
どの場所でも研究だ。
研究熱心になる必要性の言葉と解釈できますが。

この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

どういった類の研究かによって対策は全くことなると思います。
もし、大学で研究していらっしゃるなら、一定の手続きを取れば、本を貸し出してもらえると思います。
東京近辺にご在住なら、国会図書館にも文献は沢山あると思います。

前の方が、回答していらっしゃったようにネットでも、ある程度の論文は見ることができるようですので(本文そのものは掲載されていなくても、出展物等)是非、ご利用なさってください。

  • 回答者:匿名希望 (質問から2時間後)
  • 1
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

興味を持った時点で、研究が始まるということでしょう。
本も必要かも知れませんが、私のやっていた研究は、アザミとヤマトアザミテントウムシを捕ってきて飼育したり、幼虫がアリからどの程度アタックを受けてそれを防いでるかなど、そこらへんで30分も有れば出来る研究とか有りました。ようは創意工夫です。本が読めなくても論文に引用されてる場合が有るから、そういうのを片っ端から読めば良いだけです。

  • 回答者:お助けマン (質問から59分後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

研究(について思考すること)はどこでもできる。

と言う意味ではないでしょうか。
前後の文脈がありませんので、答えづらいのですが・・・
また、分野によっても、変わってくると思います。
紙と鉛筆さえあれば、数学系のものは人によってはどこでもできるものがあると思います。
考古学の研究などでは、現地でないとわからないものあるでしょう。


概して、研究は発想が大事ですから、そのことを指すのかもしれません。
その言葉を発した人(思想、環境等)により、変わるものだと思います。





  • 回答者:Sooda! くん (質問から48分後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

ご返事有難う御座居ます。
私は研究と言うと発想が、史資料の事が第一だったので、数学系の研究の事は考えていませんでした。

難しい問題ですね。
「研究はどこにでもできる」と言う人が本当にそう思っていらっしゃるのか・・
それとも「そんな気持ちで頑張ってね♪」という叱咤激励の気持ちなのか・・
同じように、昔の偉人は~~とおっしゃる方もいます。
でも、私の中では「現代だもの!」と思う自分がいます。
頭の中で考えるのも大切
が、偉大な故人が残したものに触れないのは、どうなんだろう。
私は現地に出向きたいし、できれば本物を見て感動したいです。

  • 回答者:respondent (質問から27分後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

お返事有難う御座居ます。
私は物の例えと思っていました。励ましもありますか。
それでも本当に本人が現物に触れないといけない研究はあります。まあわかっていて言ったと受け止めたいと思います。

それは、物の例えなのでは??
要は、その人の心がけ次第で、物事はどうにでもなるって事だと思うのです。
簡単に言うと、例えば、とある研究をしたい人が居るとしましょう。でも、その人は、お金が掛かるから。スポンサーがつかないだろう。場所が見付からないと、何かにつけ、理由をつけては、その研究が出来無いと言います。そう言う時に、
「研究なんて物は、いつだって何処でだって出来る!」と、言う訳です。要するに、研究は、場所がさせてくれる訳でも、お金でする訳でも、スポンサーが頼んできてする訳でもないんです。
本人の、本当にやりたいかやりたく無いかの気持ちが、人を引きつけるって事を言いたいのだと思います。だって、人が引きつけられて来たら、自然とお金も集まって来るし、見守る人が増えれば、スポンサーも、それこそ、ありとあらゆる物が集まってくる訳ですよ。
やりたいと思った事は、本気でやりたいと思えば、いつだって何処だって出来るって事と同じ意味だと思いますよ。

この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

お返事有難う御座居ます。
研究をしないのは自分のなまけ心というわけですね。

関連する質問・相談

Sooda!からのお知らせ

一覧を見る