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日本では、年間三万人以上の人々が自殺していますが、なぜ公も人々は死を選ぶのでしょうか、怖くなりま、助け合うことは出来ないのでしょうか、宜しくお願いします。

  • 質問者:kyou
  • 質問日時:2008-04-14 08:59:03
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当方が住んでいる所は、小さな市ですが、自殺者が多いと聞いています。
身近に、そういった話を聞くと、尚、心が痛みます。

なぜ人は、死を選んでしまうのでしょうか。
自決するれば、苦しみから簡単に逃れられるのでしょうか? 

多分自殺する方は、現世のつらさ・苦しみから逃れたい、そう思われた方が殆どでしょう。
そういう当方も、悩み・苦しみから、何度か死を考えた事もあります。
(うつ病で、3年間苦しみました。今も完全に回復した訳ではありません。)

が、幼少の頃から、生きる意味やその尊さについて、祖母や親から教えられてきた為か、当方なりに、どんなに苦しく困難から逃げたいと思っても、死を選ばなかったのだと思っています。

霊的な事は、非科学的という意見も多いかと思いますが…
仏教の教えや、霊的な方のお話を伺うと、自殺してあの世に行っても、決して楽にはならず、後悔している場合が殆どと言う事です。

生生流転が本当だとしたら、現世のつらさや困難から逃れたいと自殺した場合、生まれ変わったとしても、その苦しみを乗り越えなければ、また同じ境遇を生きる事になるという教えです。

人それぞれに、乗り越えなければならない試練があるのだと思いますが、生きる意味や、価値について、もっと社会や国家が尊重する姿勢を築き上げていたら、こんなにも自殺が多発することがなかったのだと思います。

資本主義から、経済大国となり、何不自由のない時代となりました。
物資が豊かになった反面、精神的な成長は、下降するが如く感じられます。
格差社会を生み出し、自分さえ良ければよいという、本当に心の貧しい社会になりつつあるようにも感じます。
このことも、自殺者を生みだしている要因なのかもしれません。

いじめ問題しても、人の痛みがわからないから、いじめに発展してしまう。

最近では、チベットの暴動が伝えられていますが、ジャーナリストの江川紹子さんが、先日、来日したチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ十四世の記者会見に出席した時の話題を紹介し、「差異(ちがい)つながり…そしていのち-混迷する現代社会を思う」と題した講演で、
「日本は欧米に比べ、海外の問題に対する関心が低い。他国や他人の痛みを考えたり、感じたりする事を意識的にしなくてはいけないのではないか…」と話されていました。

いや近年、日本は他国のみならず、自国のことでも、他人事のように関心が低くなっているようにも思えます。
まずは、関心を持つ事。
そして、個々が他人の痛みを考えたり、感じたりする事の意識を高めていくことが、自殺者の多い日本国の課題ではないでしょうか。
それが、助け合う、支え合うといった人間として大切な姿勢につながっていくのではないかと、考えます。

自殺を選択する人にとっては、本当に苦しく、どうしようもない境遇で八方塞がりのように感じられる方もおられることでしょう。
しかし、自分一人の命でも、遺された人が、今度は、悲しみ、尚、多く苦しむことになるという事を、まずは家族で、そして学校等で、国で、皆で、尊く考える社会になって欲しい思います。【教育者、指導者等、あらゆるトップにたつ立場にある方は(特に政治家は)、責任があるといっても過言ではないと思います。】

そして、祖父母や両親から、子や孫に、命の大切さ・尊さについて語り継がれていき、自殺者をださない社会作りを、多くの人々が声をあげて、取り組んでいくシステムになって欲しいと、切に願わずにはいられません。

  • 回答者:coo168 (質問から1日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

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いろいろなことがめんどくさくなって消えたいと思うことがあります。
でも誰かが悲しむので踏み止まります。

死を選ぶ人は、もしかしたら「私がいなくても誰も悲しまない」という思い込みがあるのかも知れませんね。
本当はそうじゃないのに。

好きな人たちの記憶から私を消すことが出来たら、私も死にたいかも。

そういうちょっとした柵が人にはあって、その柵を越えた時に人は死を選ぶのかも知れません。

  • 回答者:あやと (質問から7日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

助け合って未然に自殺を防いでいる面々も居れば、助け合うことが出来ずに、結果自殺してしまう、と言う事ではないでしょうか。
あくまでも、片面からの情報ですので、他の事象も当然あると思います。
では、どうすれば、助け合うことが出来きない人が、助け合うことが出来きるようになるかは、個々の事情があると思うので、普遍的に語ることは難しいと思います。

  • 回答者:あくあまりん。 (質問から7日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

死にたいよ

  • 回答者:あかさたな (質問から7日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

まず 会社という組織を前提にしますが、
この社会では競争原理が働いています。

 自殺される方の職業の傾向はわかりませんが
会社員である私の目線から申しますと、
この競争原理はストレスがかかり、たまるものです。

 この原理からはじかれる=要は負け組みといわれるカテゴリーですが
余り良いとはされてませんよね。
 
 ストレスを持った人 感じた人が、
①負け組みと認識する。
②挽回できないと思い込む
③結果、無力感や無常観を持つ
こういう 形ができるとと思います。
 
 実際私は もう少し早い時点で 
この競争原理からはじかれ
ラインから外れました。
 会社も辞めました。
 
 もし残っていたとしても 
自分には余り良い結果が
イメージできませんでした。

 その後の自分は
このイメージを持ったまま
生きていくのは、かなりつらい。

 このつらいイメージには
人生を終わらせる事も
選択枝に含まれています。

これが助け合えない 社会の実情です。
相談できる家族がいても、自分自身のイメージを
悪くもち、そのまま生活していくことはとても
苦しいものです。

負け組みだとはやす前に 
公器であるマスコミが実社会に
セーフティネットをかけて
自殺する方の一因をも 持つと自省し、
会社社会を健全な形にすべきだと
思います。

  • 回答者:ひら@まさ (質問から7日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

私は、小学校の時に転校を一度した事があるのですが、その時一番初めに話しかけてくれた人が、2年後位に自殺しました。学校内でもとても元気ある人だったので今考えても理解できません。当人にしか判らない事ですけど残された者の悲しみを考えると辛いです。

  • 回答者:かた (質問から7日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

以前直属の上司が妻と高三と中三の子供を残して自殺しました。

そのとき周りの人達は…
「仕事がうまくいかなくて辛かったんだろう」
とか
「健康面で不安だったに違いない」
とか言っていました。

確かに仕事の面も健康面も心当たりはあるとはいえ、同じような境遇で頑張って生きている人もいるはずです。

抽象的な表現ですが、職場にも家庭にも自分の居場所が無くなってしまっていたんだろうと思います。

誰よりも奥様が傷ついたでしょう。自分も時々あの時の事を思い出します。

  • 回答者:かわうそ (質問から7日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

自殺者はここ数年、とても増えてきています。それと同時、精神疾患を抱えている方も多くいらっしゃいます。
昔、ロシア政権の時代も、自殺者は精神疾患を抱えている方が多く居た、と本で読みました。やはり、他の方も言われていますが、生き難い時代になればなるほど、増える傾向にある様ですね。
今の日本は物質的には豊かではあるけれど、それがかえって逆効果かも知れませんね。いつまで経っても不景気ですし、政治家たちは建前ばかり。国債は減るどころか、増える一方。国際的地位も低いですし、他国からの感心も一時期よりも薄れてきています。こういった事を考えても、やっぱり暮らしにくい状況ではあると思います。
人間関係も、希薄になっている現在。やはり、繋がりや、自分の存在意義を感じられなければ、生きる意味が分からなくなってしまうのかも知れません。
根本的に、色々なものを変えていかないと、自殺者は減らないだろうと思います。

  • 回答者:麻友 (質問から6日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

いじめる人が多いんでしょう。
こんな先が見えない世の中に期待を持てと言うのが無理な話、
政治や国が変わらなければ、悪人ばかりがのさばる国に成り下がります。
すでに、おかしな人が多いですが・・

  • 回答者:momonga- (質問から6日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

「自殺」という行為は大変勇気がいる事だと思います。
自殺をするために勇気を用いるのではなく生きている今、生きようとする勇気も必要なのではと考えます。

  • 回答者:ふっくん (質問から6日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

自殺の是か非かは私にはわかりません。
自殺する方にはその方なりの大きな理由があるのでしょう。
ただし、手を差し伸べることにより減るとは思います。

  • 回答者:是か非か (質問から6日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

日本で生きるのがとても楽すぎるから、命の重みが軽くなってしまい、生きる・死ぬの選択ができてしまう。楽だからこそ少し嫌な事があると逃げる。日本人よ、強くなろう。

  • 回答者:はくっちゃん (質問から5日後)
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人それぞれの事情があるとは思いますが、自分を見失っているからではないでしょうか。死ぬ気になれば何でもできると思うのですが。

  • 回答者:タカ (質問から5日後)
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数年前一緒に仕事をしたことがある上司が、最近も知っている管理職の方が自殺しました。やはり周りの人のフォローが必要なんでしょうが、本人が周りの人を頼ってくれず一人で抱え込んでしまうと気づきにくいと思います。自分に当てはめてもそういうことがあってからよく考えると悩んでいたのかなと思い当たるところがありました。その人にはもう手遅れなのですが、せめてまたそのような場面に出くわした時には最悪の事態にならないようにしてあげたいと心がけています。

  • 回答者:io (質問から5日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

悩みを打ち明ける相手がいないからでしょう。

信頼できる友人を作れないことが根本の原因だと思います。
悩みは聞いてもらうだけで心が軽くなって解決できることが多いですから…。

  • 回答者:gang (質問から3日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

人それぞれいろんな事情があるにせよ、結局は将来に希望が持てないからでしょうね。
すでに社会問題になってますが、一部で自己中心的な言動をする人間がいて、それが受け入れられる今の社会があり、お互いに助け合おう、支えあおう、そういう雰囲気がなくなっているのも自殺に走りやすい環境を作っていると思います。

自殺者が減らないのは、政府も本気で取り組む気がない、そういう姿勢が見えないというのもあるでしょう。
自殺者がうつ病患者に多いという理由で精神医療に頼っても、それだけで減ることはありませんし、大した経験を持たない医師による抗うつ剤の処方指示が誤ったこと等で、新たな自殺者を生むこともあります。

もっと根幹から問題を見つめなければならないのではないでしょうか。

  • 回答者:べん (質問から2日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

政治が悪い。国民がいくら努力しようと豊かになれず苦しんでいる。国は国民の生命と財産を守るのが使命。なのに日本は何か国民を支えてくれただろうか?日本という土台の上にいる限り、皆みちずれに落ちていく。

  • 回答者:micky (質問から2日後)
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怖くなりますが、殺人よりはいいと思います。
それに死を選ぶことが間違いであるかどうかは、本人と
全く同じ立場になったことのない周囲は意見しか言えない。

ただ死しか方法がないことは悲しく思います。

自殺してはいけないと思える何かがなかったのでしょう。

  • 回答者:匿名 (質問から1日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

今の日本で生きていくのって大変だなぁと感じます。なぜこんな国になってしまったのかを考えたいですね。
いくつもの問題が複雑にからみあって、にっちもさっちもいかないのが今の日本でしょう。まぁ原因を作ったのは官僚と政治家に間違いないですが、今や既得権益を守る事しか考えてないような連中ですからね。日本はどうなるんでしょうね。

  • 回答者:タカ40 (質問から1日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

戦後10数年後に生まれた人達は,死ねと言われれば簡単に死を選ぶような傾向にあります。私は戦前生まれですが,死ねと言われると逆にナニクソという気持ちになり,生きようとしたものです。簡単に死ぬ原因は,戦後の教育にあると思います。昔のような愛国精神を軍隊的に教育する必要はないと思いますが,お互いの気持ちや考えを尊重でき,互助精神を持てるような教育をするべきです。

  • 回答者:のりちゃん (質問から1日後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

自殺も死の形態の1つに過ぎず、どのような死の形態を選択しても良いという、自由主義の時代になってしまったのではないでしょうか。生きるも自由。死ぬも自由。
さて、本当に、死ぬも自由なのかというと、仮に、自殺せずに人生をまっとうしたとしても、自然に死ぬことを選ぶことが医学の進歩により難しくなってしまった現代では、そちらもまた悲しいことのように思います。

  • 回答者:も^ー (質問から19時間後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

日本の自殺者数は先進国のどの国よりもダントツで多いですね。
日本より経済的・社会的水準が低い国はたくさんありますがこれほど自殺者を生み出してはいません。
原因は日本人のセンシティブな国民性にありそうですね。

  • 回答者:はんちゅう (質問から14時間後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

助け合ったら自殺が減るのでしょうか?
厳しいようですが、生きたくても死んでいく人も多くいる世の中で、私は、「生きたいと思っている人」を先に助けたいですね。

  • 回答者:isiwbt (質問から14時間後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

わたしの甥が去年クリスマスに自殺しました。

進学校の高校1年生でした。

姉は未だに悔いてやまないのですが
自殺の原因が自分のせいだと思い決め込んでいるようです。

実際、甥、本人は 実に 死亡時より1日と13時間前まで
わたしの家にいました。

探してもみつからないはず。

大好きだった塾の、裏山の藪で寒い中学生服のまま上着も着ないで
身をこごめてまるまり、落ち葉に埋もれて死んでいたから。

学校帰りに学生服も着替えずにくるようなタイプではなく
ふら~ときたのでなにかあったのかと聞いても
用事があったから寄ったと。。

姉に一応一報し、
カレーを3杯もおかわりして
寒いのにアイスを食べながら
2時間ぐらいケラケラ笑いながら 正反対のタイプのうちの次男とゲームをしてたんですが
ふと立ち上がり 「こんなアホになりたくなし勉強をしに帰る~」って
屈託もなくふざけて笑いながら
いつものようにきちんとありがとうと言って帰りました。

その後おばあちゃんちにも立ち寄り
少し話して帰り
最後に 仲良しの友達の家に寄り
そこではやはり進学校の子の家庭なので
結構叱られて追い返されたようです。

その後行方知れずになりました。

あくる日になり姉から電話がきたとき 身内や友達で必死で探したんですが
1週間後亡き人となり発見されました。

ニュースでは
「成績が下がったことを父親に叱られ・・」と報道されてました。

これは違いました。

田舎のいやな風習で
嫁である姉が何をいわれるかと思った兄の優しさのうそでした。

思いやりの深い、愛情あふれるいい家庭です。

原因は 本人にしか知りえぬことです。

姉のせいでも友達のおかあさんのせいでもない、
生きる気力を失っていて それで世話になったり楽しかった場所に挨拶廻りをして歩き死のうと出た甥の結果だったのです。

未だに 直前に気になる対応をしていた 姉も友達のお母さんも
ノイローゼになり苦しんでいます。
わたしもこうやって理由を探しては
なんで気づいてやれなかったのか、なんで何もできなかったことを悔い
日々苦しんでます。

自殺の止め方なんてないんです。

自分の甥をとめられなかったような情けないわたしが言うのは
変ですが
金持ちだけが潤った数字だけで
不景気が改善されているという風にだまされたままの社会に生きる
将来、安泰であろうという目処もつかぬ社会の病気がカタチを変えた姿が
自殺なんだと思います。

誰だって みすみす気の毒な人を見てみぬふりなんてしたくない、
けれど 自らの家庭内での安全を守るのに必死で
手をさしのべていきたくても
足元の、我が子や親なんかの心配でいっぱいで
どうしようもない状態なんだとつくづく今回のことで知りました。

今になりひとつ彼の自殺でとめられたかもしれないと思うのが
息抜きのできる場を、絶対に自分をうけいれてくれると思える人が
受け皿になり そこへ行けばだいじょうぶという場で在れたなら、
まいっか?と思える立場で居られたなら
「いいかげん」良い加減さが
備わってたなら死なずに済んだように思え悔やまれてしかたないです。

几帳面ながんばりの強さでなく
挫折したときに、やりなおせる大雑把な勇気と強さを子どものときに持つことができるような 受け皿の多い社会になっていけば
なんとななるさと思えるんだと思いますが
今の選挙のことだけしか頭にない政策では 無理でしょう。

こういう問題って
なにをどう行動していけば改善されるものでないと思います。

甥の死因は服薬自殺で
異様とも思えるぐらい頭の良い甥が市販の薬を調合し、こさえたものでした。

ネットで情報がはびこりニュースでは
その所業を、言わなくていいことまで報道し自殺のやりかたを教えてしまう。

過激な報道や情報が、
おっとりした姉や兄を
半ば世捨て人のような人物に変えるのに拍車をかける。

知らなくていいこと見なくてもいいことを伏せるのも
自殺の予備軍を止める ひとつの、為さざるをして為す
そういう事なのではないでしょうか。

長々失礼いたしました。

  • 回答者:落ち葉 (質問から12時間後)
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助け合うことはできないと思います。
同居の親が要介護者になったら、遅かれ早かれ自殺…というか、一家心中しかない、と思っております。
まず国が助けてくれないものを、いったいどこの他人が助けてくれるというのでしょうか。

  • 回答者:niki (質問から12時間後)
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私も日本の自殺者の多さに怖さを覚えます。ニューヨークのビルに飛行機が突っ込んだテロが毎月起こっているのと同じぐらいの死者数ですよね。これは本当に異常な状態だと思います。
 少なくとも日本全体が病にかかっていると思います。色々な歪が放っておかれている気がします。そして、症状として色々な問題が起こっているのにそれをマクロ的に捕らえて解決しようとするシステムがないのか、あっても機能していないのでしょう。
 お坊さんの法話などには命の大切さだけでなく、弱くなってしまった人を抱擁して無理せずに一歩一歩進んでゆける手助けをしてくれるものが多くあります。学校の授業や社会の中にもっとこうしたものと多く接する機会が与えられれば良くなると思います。
 ISOの資格でもメンタル面のケアがしっかりしている会社に与えるものがあっても良いと思います。とにかく環境問題と同じようにその中で生きている人間の心にもスポットを当てた取り組みがもっとなされるべきだと思います。

  • 回答者:詠寛 (質問から10時間後)
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死を選んでしまう人は何らかの深い悩みをかかえていますよね。身近のひとで悩んでいる人がいたら話を聞いてあげるだけでも救えることが出来ることもあると思います。また時間が解決してくれることもあるので、安易に死を選ぶことだけは絶対にやめるべきです。生きていればつらい事も沢山ありますがその反面楽しいことやすばらしい事も沢山ありますから。

  • 回答者:ピコ (質問から10時間後)
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昔と違って、テレビ、映画、DVDなど、メディアが普及しきって、殺人のゲームなどで、人を殺したり何度模しているので、人命の体制さに対して、感覚が鈍っているのかもしれません。ゲームだと、死んでも、またはじめからやり直せますよね。それと同じ感覚で、死んでもまたやり直せる、とおもう意識がどこかにあるのだと思います。

  • 回答者:光 (質問から10時間後)
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《死》以外別な事が考えられなくなってしまうだけでしょう。

逃げ場がないと〔錯覚〕して・・・

その事に対して別な角度から見る事もできなくなり・・・


経験しています。

しかし、私はそのその少し前?にたまたま・・・

自分では〔死〕すら選べない人の事をTVで見ていたので・・・

その時の状況を今では望んでいます。
今の状況と似ています。

  • 回答者:kingofitou (質問から8時間後)
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精神状態が悲観的になり何もかもが嫌になった時に、現実逃避したくなり死を考えたことはありました。死後の世界は毎日遊んでいられるのと、1からやり直せるので別の世界(死後の世界)に行ってみようかと思うのではないでしょうか?

  • 回答者:wanikuma (質問から6時間後)
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助け合うことは可能です。
しかし、死を選んでしまう人は、助けを求めることに不器用です。
愛情たっぷりで育てられてこなかったから自分を表現することに不器用になっていくのでしょうね。周りに目を向ける余裕がなく、また、周りに目を向けることを教わってこなかったために、大切な人を探し出すことができずに一人苦しんでしまうのでしょう。
愛情を知らない環境で育った人はとてもかわいそうです、その人を取り巻く環境が悪かった、恵まれていなかったのだと言わざるを得ません。
今の日本は近隣社会の親密さも薄れてきて、治安も悪く、情報漏えいだのプライバシーだのピリピリして、隣に住んでる人が誰かも分かっていない。情報に溢れ一人一人考え方も接し方もドライでつまらないですしね。このような状況だけを見てみても、今後さらにその悪環境は増大し続けるのかもしれませんね。

  • 回答者:ppm (質問から6時間後)
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金銭や物質至上主義の産物です。

  • 回答者:ジュン (質問から6時間後)
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発展途上国で自殺者が少ないという意見がありましたが、
そうとも言い切れないようです。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html

国民的な性格、政治経済などの事情(旧共産圏はこれが多い)、
宗教的観念(インドなどで夫に先立たれた妻の自殺が美徳と思われていたこと)などが考えられます。

日本の場合は、国民的性格が当てはまるのではないでしょうか。
・切腹など、死をもって責任を取るという歴史がある。
・失敗などをものすごく恥ずかしいものだと考えやすいなど・・・


死にたいと言う人は、死なないなんていうのはうそです。
その人を頼った、最後の助けて欲しいメッセージであることがあります。
そのメッセージをもっと聞いてあげられる社会福祉、友人関係があるといいと思うのですが・・・

  • 回答者:生きてるだけで丸儲け (質問から6時間後)
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みんながみんな幸せな訳じゃないからです。

  • 回答者:匿名 (質問から4時間後)
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自分が誰からも必要とされておらず、生きている価値がないと判断したとき、自殺を考えるのではないですか?一応だれでも食べていくことはできるレベルに、日本は裕福になりましたが、そのため、がむしゃらに、「ものを考える暇もなく」働く必要がなくなった。自由になった時間におもわず「何のために生きるのか?」ということを考えてしまうのでしょう。自殺したい人を救うなんて高尚なことは同じ人間にはできないかもしれないけど、身内なら「あなたが生きていてくれるだけで嬉しい」という気持ちを伝えるぐらいはできる気がします。

  • 回答者:ちこちゃん (質問から4時間後)
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自殺する、というよりか生きて(活きて)いない生活の飽和の結果なのでは
ないでしょうか?なんというか、生に執着がないというか。
追い詰められた経験の不足から来る絶望と、そこにいたってからの「開き直り」
が出来ない、しようと思わない、あきらめてしまう弱さ。
こういったメンタルな「粘り」が現代において損なわれていると思います。
(これはインフラの普及に伴う「すべてを知ってしまう(気になってしまう)
」絶望に因るところもあるでしょうね。)
よって「助け合う」ことは出来ないと思います。ここで必要なのは
あきらめない為の教育か、襟首掴んで引っぱたいてケツ蹴っ飛ばして
「生きろ!」という一方的なベクトルの(いっそ独りよがりな)美徳だと思います。

  • 回答者:A/J (質問から3時間後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

実際に身内で自殺した人がいます。仕事のことやお金のことで悩んでいたようですが、亡くなった今となっては聞く事もできません。
私も未遂に終わりましたが2回の経験者です。

考えるに、今の日本の状況は恵まれすぎているというか、一部の人を除いては食べていける状況にあるわけでしょ?
文明や経済が発達した国ほど自殺率は多いと聞きます。

発展途上国では生きることに精一杯で自殺率は低いそうです。

うつ病などで自殺を試みる人は必ず前兆があります。
周りの人が気をつけて見守る必要はあるでしょうね。

なんだかまとまりのない回答になってしまいましたが、これで失礼します。

  • 回答者:くるりん (質問から2時間後)
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死んだらあの世に行ける。って思っているからではないだろうか? そして、例え地獄でも、今の自分の苦しみから解放されるなら・・・。なんて思って死を選んだのかな? 一種の精神の病なんじゃない。(大脳の何処かの病変が原因とか・・・)

  • 回答者:シティー (質問から2時間後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

第1の理由は、日本が欧米諸国に比べ、
ストレスケアやメンタルケアが、遅れている事があげられると思います。
ハリウッドスター達は、専任のカウンセラーが居ますよね!?

日本の社会では、胃潰瘍やうつ状態になっても、上司の
「気合いが足りない!」で、一蹴されてしまったりします。

2つ目は、“精神科”の敷居がまだまだ高く、“メンタルクリニック”と呼ばれていても
通院しているとは、公言できない状況にも問題があると思います。

「そんなコトは思っていない!」とおっしゃられますか?
でも、もし自分の職場に、精神科に通院している人がいたら、どう思いますか?
「アイツ、キチガイだ。」って噂立ったりしませんか?

以上が、実際に精神科に通院している私の見解です。
周りの人も助けられないほど、追い詰められてしまう。
それは、明らかに“病気”であり、
通院していれば、助けられた命だったのかもしれません。

  • 回答者:あわわ (質問から2時間後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

私の個人意見ですが、自殺する人は、その他の選択肢が見えない「精神異常」の状態になっていると思います。悩みがある人がいたら、精神科やカウンセラーを受けるようにしたいと思います。
また、うつ病の人などは、死のうと思わなくても、突発的に自殺を図ろうとしてしまう人もいます。私も経験者です。
周りの人に該当者がいたら、声をかけてみましょう。

  • 回答者:痩せたい君 (質問から59分後)
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そうですよねー。周りがいない、見えない、こもるでしょうか。他人と接触しないで、一日おえられるから。明日に希望がないのかなー。話を出来る突破口があるといいのかもしれませんね。

  • 回答者:やさしさが星 (質問から49分後)
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今の人は恵まれすぎていて生きる目標が見えないのでしょうね。

  • 回答者:ユー (質問から40分後)
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貴重なご意見有難う御座います、又宜しくお願い致します。

そうですね。「生きること」がそれだけ軽くなってしまったんでしょうね。しょうがないから生きてる、なんとなく生きてる、というような。楽しいから生きてる、人生を謳歌したいから生きてる、と胸を張って言える人がどれほどいるでしょう。生きることに価値を見出せなくなってしまったように思います。多くの人間は、人生を生きているのではなく、時間を費やしているだけだと言った哲学者がいますが、本当にそうだと思います。自分が「楽しい」と思ったことを自由に(もちろん反社会的なことはいけませんが)、選択できる環境を整えたいですね。大人として子どもたちのために、そして自分のために。そういう自由さを寛容できる社会にしていく必要がありますね。自由と責任、これは何かを学ぶ機会も必要です。まずは大人たちどうしが、あるいは家族で、身近な人どうしがそうしたことを話題にするよう心がけたいと思います。そうした輪が伝染していくことで、徐々にではあっても「生きる」ということを真剣に考え、一生懸命、楽しんで生きることが広がっていくと思います。

  • 回答者:でめろん (質問から11分後)
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