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NHK大河ドラマ『篤姫』をご覧になっている方で、歴史に詳しい方に質問します。ドラマの中で、これはあまりにも史実と違うと思われるシーン・演出はありましたか?私は歴史に疎いので疑いを持たず観ていましたが、そのまま憶えていたら日本史の知識としては危ういものを指摘してください。

  • 質問者:匿名希望
  • 質問日時:2008-12-05 23:24:21
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単純に、篤姫が色々な人と交流をもちすぎていることです。

、大奥や徳川家以外では島津の殿様とその使者くらいとしか会っていないはずです。

  • 回答者:匿名 (質問から7日後)
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冒頭からのお一(後の篤姫・天璋院)と尚五郎(後の帯刀)の交流、それがこのドラマの軸にもなってますが、実際は交流はほぼありません。脚本家の田渕久美子さんも「ドラマの王道」として盛り込んだ、と述べられてます。

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定説ではありませんが
夫である13代将軍家定と14代家茂の死に篤姫が関係している可能性は高いと思います。

両者の遺骨を確認したところ毒殺の可能性がかなり高いことがわかっています。
弱体していたとはいえセキュリティの厳しい将軍に対して毒を盛ることができるのは
よほどの地位の者が協力しなくては不可能だと思います。
本来薩摩より密命をおびて嫁いだ篤姫にその意志が全くなかったと考える方が不自然でしょう。

ただ一つだけいえるのは篤姫は自分の利益を追求しての行動ではなかったと思います。
何故なら彼女の晩年は決して表に出ることなく質素な暮らしをしているからです。

義父である島津斉彬から日本の為と言い聞かされその密命を忠実に実行しただけではないでしょうか。
そして明治維新が成り、自らの使命の終焉とともに
その余生をひっそりと過ごしたのかもしれません。

いずれにせよ彼女が傑出した人物であったことは間違いないでしょう。

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参考になりました。回答ありがとうございました。

ぼくが、昔習った歴史や、過去によんだ本では、
篤姫は、あまり評価されてません。
せいぜい、西郷隆盛に、手紙を書いたくらいです。
真実は、わかりませんが。
当時の、篤姫では、ドラマにえがかれている
ような力は、なかったと思うのですが。
とても、不思議です。

  • 回答者:たろべい (質問から11時間後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

『篤姫』に限ったことではないのですが、既婚女性は引眉、鉄漿(おはぐろ)が
普通でした。これは平安から明治まで続いた化粧法です。
1870年2月、明治政府が皇族・貴族に対してお歯黒禁止令が出され、徐々に
鉄漿する女性が減っていったというのが本当のところです。
鉄漿を醜いと感じるのは今の感覚で、昔の人は白い肌の女性がニッコリ笑うと
鉄漿(おはぐろ)の黒い歯が垣間見えるのが美しいとされていました。

和宮の肖像画とされている姿も引眉されてます。
美的感覚というのは時代に推移して変わるよという事を学ぶためにも再現して
欲しいんですが、何故か無視されてますね。
まぁ、私も子どもの頃に見た鉄漿には気持ち悪いと思ったので、高感度を上げる
為には無理なのかなぁ~とも思いますが。。。

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参考になりました。回答ありがとうございました。

大奥取締役の滝山ですが、ドラマでは14代将軍家茂の死後も大奥にいますが、
史実は、家茂の死後、大奥取締役を辞任しています。

  • 回答者:滝山 (質問から33分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

それほど詳しくはありませんが、ちょっと疑問に思ったシーンがありました。

 その描き方というのは、篤姫の旦那さんの第13代将軍が実は、凡庸(知能が低い)でなかったというという描き方をしていましたが、本当かなと疑問に思いました。

 そして、凡庸でない上で、篤姫に手をつけなかったという描き方をしていましたが、それが、私みたいな凡人にはよく分かりませんでした。

 人前では、凡庸ぶっていたとしても、それは正常人ということですから、夫婦だけの時は、夜の営みをしないことがあるのであろうかと疑問を持った次第です。

  • 回答者:男はつらいよ。 (質問から23分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

堺雅人さんが演じた徳川家定がバカなふりをして周りを欺いていたというのも少し脚色かな、と思いました。

脳性麻痺であったのはないかというのが一般的で、それほど切れ者でもなかったというのが通説でしょう。
この辺は妻である天璋院のヒロイニズムを盛り上げるための演出じゃないでしょうか。

  • 回答者:観てます (質問から21分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

史実と違う、というかものすごく気になったのは家持の描かれ方です。
(皇女和宮のだんな様の将軍です、一応^^;)

彼が病弱なのは結構有名な話で、家定存命の時の将軍後継者問題の時に
一ツ橋派が家持反対の理由にあげていた一つが彼の「健康不安」でした。
けど、ドラマでは一切そういった描写や台詞がなく、
大阪に行った彼が何だかあっけなく、急に死んだような感じに取れました。
元々病弱なのに、(当時の旅・移動は過酷でした)大阪へ長距離移動したため・・
というのも重なって病に、というのが史実的には通説です。

ちょっと相談者様の求めている情報とは違うかも・・・。
あ、尚五郎と篤姫の交流あたりがフィクションなのは平気ですよね?(^^;

  • 回答者:病弱 (質問から19分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

史実に関してではないのですが
ドラマの中で篤姫が「自由」とゆう言葉を使っています。
この日本語は福沢諭吉が作った言葉で明治時代まで存在しなかった言葉です。

良くできた時代劇と思えば気になりませんが…

  • 回答者:いよいよクライマックスです。 (質問から13分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

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