私の小学校の頃、学年に1人だけ足の不自由な方がおられました。マラソン大会のときその方もはしられましたので、その学年だけ、ゴールしたときに渡すなん位でゴールしたかというカードを渡さずに、あなたは完走しましたという賞状の小さいような紙を渡していました。
幼稚園のとき運動会の徒競争で、同じくらいの足の速さの人と4人で走らされるので、練習のときわざと遅くはしって、遅い組に入れてもらって、本番でぶっちぎりの1等でした。
確かにスタートラインは一緒でないとおかしいです。結果平等でなく機会平等の社会にしなければいけません。
===補足===
米国に住んでいたときAffirmative Actionというのがあり、黒人やプエルトリカンの方にも教育の機会を与えなければならないということで、マイノリティの方は、成績が悪くても大学に入れるので、本当に優秀な白人が入れないということがありました。これこそ逆差別で、結果平等というものでした。