貝に痛覚と言葉がないので痛いという認識はないと思いますが、
二枚貝を開いて腹足を出しているところに指や棒で触れると反応して貝の蓋をしてしまうので、触覚自体はあると思います。
神経には温覚・痛覚・圧覚それぞれ別の神経ですので痛覚がないと傷みは感じません。
二枚貝の触覚に対する反応は痛覚ではないかもしれません。
はっきり痛覚があると分かる動物はかなり犬やネコ、猿などある程度
喜怒哀楽が表せる高度な知能を持った動物です。
これらは、明らかに哀願の声などを出し感情に応じた鳴き声があるので痛覚による痛みがあると思われます。
まじめに答えて夢を壊してごめんなさい(o´∀`o)
===補足===
すこし、くだけると
痛覚と性感帯というのは結構密接に関係してまして、傷みとカイカンは紙一重です。
愛咬という仕草は愛情表現で犬もネコもヒトもしますがこれも痛覚があるゆえの行為です。
女王様にぶたれて喜ぶヘンタイも痛覚とカイカンが交錯するがゆえでしょう。
また少しまじめに
貝にとっては、生存と生殖行為に必要ありません。
必要のないものは発達しないのが生物の基本です。
動物の愛護精神にのっとった安楽死という方法が動物ごとにある程度ガイドライン化されていますが、
一見むごたらしくみえる殺し方でも、意識を一瞬にしてなくす方法と、
見るからに安楽死に見えるが非常に苦しみを伴うころ仕方があります。
前者はギロチン式の頭部を切り落とす方法であり、後者は塩化カリウムの大量投与による筋弛緩による窒息死です。
後者は筋肉が麻痺しているため傍目にはいかにも安らかに見えますが実際には意識がありむりやり呼吸を止められているのと同じです。
とはいえ、合理的に全てを割り切れず、見かけで情が働くのも人として好ましいことかもしれません。
命をいたわる心があってこそ、草花をいつくしむ心や縁もゆかりもないひとに親切できるこころをはぐくむものと信じます。
私もあわびの踊り食いやサザエのつぼ焼きぐらいは食べますが、魚の生けづくりはかわいそうで目にしたくありません。
痛覚の有無と無関係・無条件の感情です。