「人は考える葦である」に共感します。
食べるために働き、生きるために食べていくのは
当たり前だけど、それがなかなかどうして難しく
それだけでは潤いがなく潤いの無い人生は生きがいがないですよね。
むかし、子供が小学生の頃に家庭教育学級というおかあさんクラブのような
名前は御大層ですが楽しい会がありまして、そこから食事会を兼ねた講義を聞くというものに参加したとき覚えたのですが
講師は服部料理学校のよくテレビに出ている校長先生できさくな話し方で講義されました。
「動物の寿命は心臓の鼓動の回数であるていど決まるのでゾウなどは200年近くいきたであろうといわれるものもいて、小動物の鼠などは鼓動が早く回数を短い期間でこなしてしまうので早死にする。」
また「その計算で言えば、人間は30年ぐらいが寿命のはすですが
いまこちらに集まっておられる皆様方は・・・・・・ほとんどお亡くなりになられているはず」といって笑いをとられていましたが、本当なら人間は30年ぐらいで死ぬはずだそうです。
なぜ長生きしているかは、医学もありますが
ひとえに「気合い」「生きがい」「楽しみ」の力らしいです。
どうせなら、生きることについても含めて、楽しいことも、人の気持ちの中も、かかわり方も優しさの本当も人からの意地悪の中身も全てどうあるのかなど全て・・・
同じことをするなら、意味もある程度考えて経験を実りあるものにして人生楽しみたいものです。
そうやって、葦のようにただ伸びるだけではなくニョキニョキと成長したいです。