戦時中の小学生でして東京生まれ、当時東京の子供は「集団疎開」と言って親元離れて学校ごとに地方に行きました、私は最初に行ったのが福島県浜通りの折木鉱泉、海岸の学校から5kmも山奥、今ならスクールバス運行距離ですが当時は歩きました、その後会津の野沢(現西会津町)へ行きそこで終戦、親元へ戻りました、食料が乏しく空腹の苦しい思い出だけの地ですが死ぬまでに是非一度行って見たい、会津は暗くなって到着、朝一で出発の慌しい旅した事有りましたが、折木鉱泉は計画はしても交通の便が悪く実現せず、一度も行って居りませんので特に訪ねて見たい。