時代が戦国時代の延長戦期間なため登場する面子はやや小粒な感じがするのが難点ですが、戦場外の調略要素がなくて起承転結それぞれに見所があるという意味で道明寺の合戦です。
起・・・後藤勢と水野勝成と大和衆の小松山争奪戦
承・・・後藤勢の善戦
転・・・伊達勢の参戦による後藤・薄田勢の崩壊
結・・・真田勢が伊達勢を跳ね返して大坂方が撤退
===補足===
薄田たちは第二陣として後藤の後から戦場に到着しましたが、その後ろの真田信繁・毛利勝永らと同様霧で到着が遅れ、後藤又兵衛が生きて善戦しているうちには増援できませんでした。
冬の陣で失態を犯している薄田は、不利な状態でも奮戦しましたがあまりにも小勢だったので平野部にあふれ出した関東方の津波に飲み込まれて討ち死にしました。ここまでが「転」です。
さらに遅れて着いた真田・毛利が関東方の数的主力の伊達勢を食い止めたので、その間に後藤・薄田の残存兵力を収容して大坂まで無事撤退することができました。
家康が真田に追われてあわや切腹まで追い込まれた「天王寺の戦い」は翌日のことです。