なぜ選択肢に「オーナーのもの」がないのでしょうか?
選択肢からいえば「1.株主のもの」です。
でも、たかだか株主であっても支配権はないですよね。だから「オーナー≒大株主」ということで。
2.と3.はロイヤリティはあっても所有権はありません。これは別物です。
それが証拠に創業者、社長、社員という立場権利を売買できません。
…さて、「誰のもの?」という問いでしたので、所有権や支配権を基軸に回答しましたが、この内容の本質は日本語のトラップですよね。
経営陣が株主に対し自社のことを「Your Company」というのと、直訳の「My Company」というのを比較しようとしているのが根源だと思います。
英語圏のひとが「自社」と聞くのと同様に、日本語圏の私たちが「Your Company」と聞くのはやはり違和感あるわけです(私は慣れましたが)。
ということで「私の(○○している)会社」という○○にはそれぞれの立場のひとが入れる言葉があります(1.株を所有、2.経営、3.勤務 など)。
会話のときは相手の立場を把握していることが前提なので、日本語ではカッコの部分を省略しているわけです。
===補足===
それでそたら「会社は誰のもの?」という択一的な質問ではなく、「会社は何によって成立しているのか」という観点で考えてみれば答えは見えてくるのではないでしょうか?
「会社は誰のもの?」というだけの日本語表現では「会社は誰の所有物」と解釈するのが妥当だと思います。
ということで、その解は自ずと株主がその権利分だけ所有しているということになります。そういう制度ですのでこれには異論を唱えても無理です。
社員にとって、「会社は株主のものであってほしくない」と感じる方が多いと思います。他の回答者の中にもいらっしゃいますよね。
そりゃそうですよね、株主は会社に対し「投資した分以上の責任はない」のですから。
努力や苦労をして会社存続の責任を負っているのは「経営者」であり「社員」で、しかも失敗すればその立場を追われてしまうわけですし。
やはりトラップに陥っているのだと思います。
この質問は「妻は誰のもの?」対「ママは誰のもの?」こういう次元の質問なんですよ(評価後なので恐れなく書きますが)。
「自分の意志を会社に託し、実現した創始者」
「会社に対して経営責任を負っている経営者」
「会社の文化を愛しそれぞれのミッションを遂行している社員」
「会社の将来性にかけ、財を投資した株主」
それぞれが立場の人が「私の会社」と表現します。だからといって「会社は私のもの」にはなりません。
本文で「ロイヤリティ」「所有権」は別物と書いているのがそれです。
「会社は誰のもの?」の意味のなかに所有権以外の意図がはいっているのであれば、その解は永遠に見つからないと思いますよ。