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質問

終了

私は昭和40年生まれです。
バブル世代だとか、バブル経験者だとか言われる世代ですが、
自分自身まったくバブルの恩恵を受けていません。
また、当時、私の周りの人間もバブルにまにれていた人は居ません(もちろん同年代の)。
むしろ働けど働けど搾取され、搾取時代の始まりから今も、もろに受け続けているように思います。
本当の意味でのバブル世代ってむしろ10才以上年上の人なのではないのか?
と疑問に感じて仕方ありません。
同年代でも特殊な人は居てたとは思います。
みなさんはどう感じているのか聞きたくなりました。

私と同年代から以上の方、ご自身の経験とご意見のみお願いします。
知人友人、家族兄妹の間接的な話はご遠慮下さい。
(回答の流れの中でのものであれば出していただいても結構です)
宜しくお願いします。

===補足===
とても意義あるご意見ありがとうございます。
コメントはじっくり拝見してから必ず書きますので、
引き続き宜しくお願いします。

  • 質問者:バブル世代は今何才?
  • 質問日時:2009-10-19 16:36:58
  • 1

回答してくれたみんなへのお礼

みなさま、ご意見ありがとうございました。
自分だけが思っていたわけでなく、同年代の多くの人が同じように感じていることを確認でき
大変、有意義な質問と回答となりました。
テレビを見ていると、バブル世代の〜、バブルの〜、など同年代の芸能人がバブルをウリに
出ているのを観るたび、違和感を感じたり、違う世代の人と話をしても、何かひっかかりを
感じたりと、いろいろ疑問に感じていました。
もう少しマシな世の中になれるよう、頑張っていかなくては、ですね。

ベストは悩みましたが、多く回答をいただいた中で、年上の方のご意見が少なかった中、
回答いただきました匿名希望さんにさせていただこうと思います。
ありがとうございました。

昭和28年生まれです。
バブル最盛期を歩んできた人間です。
我々庶民(一サラリーマン)には、バブルといっても、給料が少し上がったくらいで、それに伴って物価も上がりましたから、恩恵というものは受けておりません。
恩恵を受けたのは、大企業、その役員、金融関係(従業員を含む)、大地主だと思います。それに、裏の世界の人たち一部の人たちだけだと思います。
バブルがはじけ、しばらくたち、デフレの時代と言われる頃の方が、生活は楽になりましたね。給料もあまり上がりませんでしたが、今みたいに下がることはなく、物価だけが下がりましたからね。
40年生まれの人たちは、直接バブルの恩恵は受けていないにしても、そのときに上がった給料が、引き継がれており、物価が下がったので逆によかったんじゃないかと思いますよ。
現在は別として。

  • 回答者:匿名希望 (質問から6日後)
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ちょうど、ひとまわり違いですね。年上の方の貴重なご意見ありがとうございます。
バブルよりも、むしろ成長期のころのほうがよかったのかもしれませんね、
給料面だけではなく、いろいろと総合的に。
私達の時代は、一流企業の新卒採用こそ初任給25万前後と高かった憶えがありますが、
他の人間はとっても給料は安く、先輩との給料の格差がすごくあり、生活ぎりぎり程度のものでした。
今から思うと、下へ下へ搾取した結果、社会にでたばかりの私達が一番損をしたのだろうと思います。
確かに仰る通り、バブルがはじけてからの方が物価もさがり、今よりずっと仕事もありましたから、
生活は楽になったように思います。むろん現在は別ですが。

並び替え:

私は昭和40年1月生まれですが、全くバブルの恩恵受けていません。
1986年に大学4年生で就職活動しましたが、バブルどころか、1985年のプラザ合意後の円高不況の年で、当時の三洋電機、ロームが文系採用ゼロ。当時の松下電器貿易(現パナソニック)に至っては、文系も理系も採用ゼロでした。幸い1部上場の電気メーカーに採用されはしましたが、安い給料で、サービス残業させられ、バブルの恩恵なんて少しも受けていません。

  • 回答者:匿名 (質問から7分後)
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そんな事があったのですね。
わたしは同じ文系ですが、まったく異種なので知りませんでした。
思いかえせば、当時も今と匹敵するぐらい倒産する会社も沢山ありましたね。
搾取で立ち回らなくなった企業も多かったのだとうと、
今更ながら思ったりします。

バブルの恩恵に服することができたのは当事、一部大企業のトップや高所得者、大土地所有者だけの話しです
(年代問わず)
当事どこの企業も本業を疎かにして不急不要な土地や絵画、株などを買い漁ることばかりに余念がなく、従業員に還元されることはありませんでした
しかし増産体制で労働強化になり、普通の人は誰一人バブルの恩恵を受けられませんでした
世間では活況活況と騒ぐ割にその実、円高の影響でそれほど業績のいい企業も聞いたことがありませんでした

  • 回答者:匿名 (質問から17分後)
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当時の円高ブームは?というぐらい盛り上がっていましたね。
このあたりから従業員に利益を還元しなくなったように同じく思います。
土地や絵画にいたっては、企業や金持ちだけでなく、国も買いあさってましたからね。
そりゃ世間もおかしくなりますね。

私は昭和35年生まれなんですけど、高校を出る頃はトイレットペーパー騒ぎに続いて、最悪の景気でした
学校の先生が過去に就職した生徒のいた会社を回って、とにかくうちの生徒1人でもいいから、採用してくれと頭を下げて回った時代でしたね
そんな状態でしたので、大学に仕方なく行って、時間稼ぎをした生徒もいましたが、それでも4大卒のお姉さんは就職して1~3年で辞めちゃうから、ダメと言われていたようです
バブル絶頂期の88年ごろは28才でしたが、25才過ぎると寿退社しちゃうでしょとか、クリスマスやクリスマスイブなんて言葉もありました
24才を12/24に例えて、クリスマスイブの24日(24才)までに結婚できなければ、クリスマスの25日(25才)があると言う言い方をしたんですよね
バブルの恩恵を受けたとすれば、同世代の男性は結構いい思いをした人もいたようです
1回目の転職と言う事であれば、いまでいう第二新卒として、わがまま言い放題だったようですよ
休みは週休2日じゃないとヤダ給料はこの位くれないと嫌だとかね
1986~1990年前後に18~25才だった人は美味しい思いをしていたかもしれません
だから昭和40年生まれだとちょっとビミョーな時期でしたよね
ちょうど私たちの生まれた年って言うのは大学の全国共通試験、今のセンター試験の始まった時代で、大学受験対策にも学校の先生はてんやわんやしていました
昭和で言うと何年生まれの人達になるんでしょうかね、昭和45年以降の子であれば、多少は美味しい思いをしたのかもしれません
10才以上とは言えないですけど、あと5年遅ければって言う感じでしょう
男女雇用均等法でしたっけ?ちょっと名前が違っているかもしれませんが、それだって昭和35年前後生まれの人は恩恵を受けていませんからね

  • 回答者:匿名希望 (質問から20分後)
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第二次オイルショックの頃ですね。
クリスマス、クリスマスイブ、懐かしいです。苦笑い出ますね。
40年生まれは微妙ですね。
第二次ベビーブームの頃の人達よりは恵まれていたと思うんですが・・・。

私の就職した昭和55年頃はかなり金利が良かったと思います。
銀行勤務でしたが、従業員住宅口(住宅購入時しか引き出せない)などは
驚くほどの利息が付きました。
年2回の預金利息が万でしたから。
それから10年ちょっとは金利の良い時代だったんじゃないでしょうか。
生保でやっている一時払い養老なんかも10年で2倍近い金額になっていました。

  • 回答者:匿名ちゃん (質問から39分後)
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10年で2倍近くですか・・・凄い。
お金を運用するには、わたしは若過ぎるころですね。
確かに昔は年2回利息がついてましたね。
小額だったのでびびたるものですが。

昭和30年前半の生まれです。

質問者の方より、10年弱年上になりますが、
バブルと言われていた時期の頃は忙しかっただけで、
あまり懐が潤ったという感覚はありませんでした。

実際、私たちの世代は、昇格・昇進などで給料が上がり始める少し前に、
バブルが、はじけてしまったような気がします。

そのころ入社した新人の初任給が結構高かったのと、
女子大生のオネーチャンが、巷でもてはやされていたので、
その辺りの世代を「バブル」って言われているのではないでしょうか?

実際に経済的に、いい思いをしたのは、
既に定年を迎えている、「団塊世代」じゃないかと、私は思っています。

  • 回答者:ジュリ扇とか、ありましたな・・・。 (質問から41分後)
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女子大生ブームは凄かったですね。
川島なお美は頂点でしょうか?
確かに、いい思いをしたのは団塊の世代かもしれません。
今は年金を絞り上げられている様ようですが・・・。

私も昭和40年生まれです。
バブルの恩恵は受けていません。
大学生の時がバブルだったように思いますが、就職するときにはバブルが終わっていました、

  • 回答者:匿名 (質問から2時間後)
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同じ年齢ですね。
やはり、バブルの恩恵を受けてないと感じますよね。
確かに世間は賑やかで派手でしたが・・・。

40代前半です

私もバブルの恩恵を受けていません。たぶんバブルって言われていたときに結婚して子育てに入ってしまったので、まだ若くお給料も安かった主人と四苦八苦して育てました。

そして今子どもに一番お金がかかる時に不況になって相変わらず四苦八苦しています。

  • 回答者:匿名 (質問から2時間後)
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早くにご結婚されたんですね。
ご苦労お察しします。
搾取され、崩壊し、今や大不況。
誰か責任とっていただきたいですよね。本当に。
お互い頑張りましょう。

私も昭和40年生まれですが、バブルの恩恵を受けた感はほとんどないです。
懐が潤ったこともないですし。
就職してからのバブル時期なんて、たかだか知れていますから、給与にほとんど反映してないでしょう。
ただ、就職難ではなかったですし、銀行の金利とかも良かったですから、その点はバブルの恩恵なのかなとも思います。微々たることかもしれませんが・・・

就職活動している際、面接でボーナスのことを聞く人がいました。(聞くか普通?って思いましたけど)
その質問に対し、面接官は年間で年齢の10倍だよと応えておりました。年齢は今の私と同じくらいだと思われます。
ですから、私より15~20歳以上の方々がバブルの恩恵は受けてたように思いますね。

  • 回答者:匿名 (質問から2時間後)
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他の方の回答を拝見して、搾取されていた年代なんだなと改めて感じました。
恩恵は当時の30代〜40代の人かな?と同じく思います。
ただ、当時は確かに就職には困りませんでしたね。
今は、パート、アルバイトの採用にも何十人と応募があるとか。
大変な時代になりました。

私は昭和39年うまれで、21歳で就職しましたが
就職して2~3年はバブルの影響を受けたと思います。

社内旅行は海外でしたし、小娘が行けないような
高級クラブという所に上司に個人的に(上司と個人的な関係は全くなし)
月2~3回連れて行ってもらっていたし、もちろん帰りはタクシーチケット付きです。
得意先のお客さんにも色々な高級な食事に連れて行ってもらいましたね。
そういう一夜限りの贅沢こそがバブル時代と言われる理由だと思います。
バブルの時代にお金をごっそり貯めた人はそんなにいないと思います。
皆がっつりもらって、がっつり使った時代だと思います。

  • 回答者:ななみ (質問から2時間後)
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海外旅行ですか、わたしは経験ないです。うらやましいです(笑)
当時わたしも飲みに連れて行ってもらったり、高級なお寿司を食べさせてもらったり、
高級クラブに連れて行ってもらったことはあります。
が、あくまで他人の懐ですし、当時は若かったから機会も多かったのかな?とも思います。
実際の生活は、思い返しても貧乏ばかり。
実家から出ていたので、大変でした。

私も昭和40年生まれです。
同感で バブルの恩恵を受けた 記憶はありません。

実際、社会人になった頃は崩壊し始まった時期で、まわりが慌てふためく中、
がむしゃらに新社会人として働いていました。

企業も予算が削減される一方で、先輩たちが「新規でも足を踏み込めば契約が取れる」
という時代は終わっていたので、人脈の無い新人の私は
営業にとても苦労しました。

というように感じていました。

===補足===
関係先の接待に呼ばれて食事ということもありましたが、
数えるほどの回数でした。

  • 回答者:匿名希望 (質問から2時間後)
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私もがむしゃらに働かされました。
それでも給料が足りなくて、バイトまでしてました。
お陰で、バブル崩壊のころ身体を壊してしまいました。
お互い、苦労してますね。

42年生まれです。
就職活動のときは、バブルの名残を感じました。
いろんなもの食べに連れて行ってくれたり、
今とはかなり違った雰囲気だったと思います。

就職後はバブル崩壊とともに歴史を刻んできたようなものなので、恵まれた実感はありません。会社も破綻しました。

  • 回答者:ああ (質問から3時間後)
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崩壊とともに、私達の人生はありますね。
ある意味、尻拭いさせられているようなもんです。
まったく。

40代前半です。

バブルの恩恵を受けたなと思ったのは就職関係です。
就職活動というものを一切せずに就職先が決まったし、
地方から東京に出てアパートも「寮」という名目で安く借りられたし、
社員旅行は海外だったし飲み会なども会社持ちだったし。

プライベートではいいことはなかったですし、バブルと感じたこともなかったです。
学生のときは地方に住んでいましたので、バブルというのは東京近辺の出来事だと思っていました。
実際就職して地元・東京の同僚の話を聞くと、
ブランド物とか高いレストランとかの話しがどんどん当たり前のように出てきてびっくりしたし、
自分自身は上記のように住むところとかも安いとはいえ
ギリギリの生活で「バブルって何?」のような感じでした。

正直バブル世代と言われると「確かにそうだけど、そういいことばかりでもなかったんだけどな」と
違和感を感じます。

  • 回答者:匿名希望 (質問から4時間後)
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就職はしやすかったですね。同感です。
社宅や寮も当たり前のようにありましたね。
同僚のブランドもレストランも、恐らく他所の懐での話ではないでしょうか。
もしくは親が成り上がりとか。
バブル世代と言われると、同じく違和感を感じます。

私は30年代の後半くらいですが,凄いバブル期でした。

あの頃最先端の技術職で,当時24~自分で独立はしてやっていたのですが,

スポンサーが3人ほど表向きの経営者としてやってくれないかとなり,一人目は

マネージャーとして入り,まだ小娘くらいなのにBMWを社用車として与えられ,座席の

車用のムートンも敷き,給料は40万でした。

そこが大きくやり過ぎて潰れたと同時に次のスポンサーがすぐやらないかという事で

今度は5000万の家を購入して店にして投資,一軒家を1人で使い放題で,光熱費も

車も会社持ちで,家賃も要らず給料はいきなり30万からでした。

食事は会社の社長が皆を連れて外食三昧,たまにその家に行けば,料亭から鍋物を

依頼して調理させるという感じでした。

なのでお金には困った事がなかった時代でした。

20代前半でも実力があれば,人が投資して明日から社長代理に,,,っていう時代。

  • 回答者:匿名 (質問から5時間後)
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実力、というより運のような気もしますが・・・。
少なくとも、回答者さんはバブルだったわけですね。
今はどうですか?今と比較してどう感じますか?

申し訳ありませんが、補足をいただけませんでしたので低評価になりました。
バブルの恩恵を存分に受けた方のお話は、興味がありもっとお伺いしたかったです。
残念です。

昭和42年生まれです。
大学生時代がバブルでした。
アルバイトでも、時給が1000円くらいの所が多かったです。
社会人になって、2年目くらいにバブルが崩壊しました。
今は、給料が激減して苦しんでいます。

  • 回答者:バブル時代が懐かしい (質問から5時間後)
  • 1
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時給1000円が始まった時代でもありますね。
派遣も派手にやってましたから。
学生にはよかったと思いますが、それで生計を立てている人は、
今の派遣社員や契約社員と同じ状況ではなかったかと思うのですが。
今のように福利厚生も整ってませんでしたしね。

私は昭和39年ですが同様にバブルの恩恵は受けていないです。
強いて挙げれば入社当時赤坂に勤めていた際に、一度だけ上司が株で儲けたらしく、ホテルオークラのレストランでおごってもらったことです。でも同僚の女の子のついでというだけでしたが、帰りにタクシー代まで払ってもらい、これがバブルかと思った覚えがありますね。

  • 回答者:kenken (質問から6時間後)
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せいぜい、たまたま奢ってもらったとか、タクシー代出してもらったぐらいの経験しかありませんよね。
なぜに私達年代は、バブル世代と言われるのか不思議でなりません。

私は40年生まれ。
地方在住だったせいか、バブルの恩恵など全く受けていません。
都会の、一部の職業の人のこと、だと思っていました。

羽振りのいい人、業界の人は知ってますが、
私のことじゃないし…

  • 回答者:匿名希望 (質問から7時間後)
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どの程度かまではわかりませんが、地方でもバブルはかなりおこったようではあります。
が、羽振りのいい人も何もかも、やはり自分達のことじゃないって思いますよね。

40歳です。
大学生でしたので、バブルなんて言葉も自覚もなく、アルバイトに追われて自分は貧乏だと思っていました。
でも、今になって思えば、バブルの真っ只中で楽しんでいたな~と思います。
例えば、王道のテニス&スキーのサークルに入り、おそろいのスタジャンを着て、年2回合宿でバカ騒ぎする、先輩たちはほとんどがクルマを持っており、カマロなど外車もありました。卒業のときは六本木のバーを貸しきりにしてパーティをしたり・・・

当時は大学生というのはこういうものだ、と思っていましたが、5年ほど前OB会に行ったとき、現役の子たちに会ったとき愕然としました。
ほとんどがクルマを持っていなくて、大学の近くで練習をしているとか、スタジャンは廃止となり、安いウインドブレーカーしか揃えられないとか、飲み会やパーティも居酒屋だそうです。まったく話が合わず困ってしまいました。

社会人になっても、私が入社した年くらいにバブルが崩壊し、ボーナスはなしでしたから、恩恵を受けていないと思っていましたが、後になって思い返せば、バブルの感覚をひきずったままの上司にしょっちゅうゴハンを奢ってもらい、タクシー券をもらって帰っていました。退職する際には、ブランドものの食器だとかいろいろ高価なものをいただきました。
今のOLさんたちは、バレンタインにも大きな箱入りをひとつ皆さんでどうぞ、とあげるだけだし、ホワイトデーにハンカチ1枚もらえないそうです。当時は全然違いました。

私自身がバブル時代に収入がなくても、社会全体の華やかな雰囲気の中にいて、今とはまったく違った生活を送っていたと実感しています。

今不思議に思うのは、高校生や20才そこそこの子達が、普通にヴィトンなどブランドのバッグをたくさん持っていたりすることです。お化粧などもきれいでとても華やかなのに、バブルの頃の話をするとびっくりされます。なんかちぐはぐな感じがするのは私だけでしょうか・・・

  • 回答者:匿名です (質問から7時間後)
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楽しい大学時代だったようですね、お金が無くても若さと勢いで楽しめますから、
当時の華やかな街の雰囲気に盛り上がっていた気持ちは、私もよくわかります。
学生も大人顔負けで飲んでました。大騒ぎして。
たしかに車所持率も高かったですね。
お金があるない、というより男のステータスだったように思います。
ナンパの手口も、俺の車○○○〜!が決まり文句でしたしね(笑)
お金はなかったけれど、精一杯背伸びしていたような気がします。
今の若者の気持ちは具体的にはわからないけど、世の中の暗い空気に取り込まれて
いるのかもしれませんね。
時間や共感よりも、具体的な「物」や「形」に価値を感じているような気がします。
だいたい昭和55年生まれ以降ぐらいから、お酒もほとんど飲まないですしね。

37年生まれです、
その頃は水商売に身を置いていました。(男)
カラス、と呼ばれる仕事で、要は客引きなんですが
一人お店に連れていくと4000円もらえました。
チップなんかも含めて、1日80万もらったこともあります。
仕事帰りのホステスによく食事や酒をごちそうになりました。
お客さんも大変羽振りが良かったです。

でもこれは絶対に長く続かないと思ったので、
学のない自分はトラック運転手に転職しました。
こっちももうかりました。正規の荷物のほかに
カニなども一緒に運び、手数料で儲けました。
働いたら働いた分お金になって、働きがいがありました。

今は全然ですが、仕事は生活のためにしています。
学があったら、もっと違った方法があったと思いますが
底辺の人間ですので…。

  • 回答者:匿名希望 (質問から8時間後)
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すごいな〜男の人でもそんなに貰えたんですね。
きっぱりと転職したのも、潔いですね。
学があったら、と自分自身も思った事はありますが、
ここにきて、学があってもどうにもならない社会になってきてますから、
お互い、底力を出して頑張ていきましょう。

同じく40年生まれです。

バブルの恩恵・・・あったとすれば就職です。

三流大学出身ですが、普通に就職できました。

中小企業で給料は安かったんですが、ボーナスはそこそこありました。

たぶんそれぐらいです。(4年で辞めたし)

あなたの言うとおり、恩恵を受けていたのは当時40歳前後の脂の乗り切ったそこそこ財力のあった人だと思います。

同年代でオイシイ思いをした人は、ごく限られた業界だと思います。

  • 回答者:XYZ (質問から8時間後)
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就職は、本当に今では考えられないくらい沢山ありましたね。
それは、私も感じている恩恵です。
しかも、40年、41年生まれは人がすくないですから、
受験も進学も就職も、何もかも有利だったと思います。
同年代で美味しい思いをした人って、何をしていたんでしょうね?

42年生まれです。高卒で仕事がなかなか見つからなくて給料も安く、女性なのでさらに厳しくて大変でした。当時から弁当持参してました。女子大生ブームでさみしい社会人として船出でした。高卒女子の給与でブランド物なんて買えないし、それどころか風呂なしのアパートで生活してました。今、あまり思い出したいとは思えません。
バブルって誰が恩恵を受けていたのやら・・・。
あのころ、一般女性は水商売なんてしないもんだったのに・・・。

  • 回答者:匿名 (質問から8時間後)
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当時は、銀行とかも短大卒しか採用しない方向へすっかり流れてましたよね。
職業差別はしませんが、今のようにキャバクラにお勤めしていても
誰もびっくりしない時代っていうのは、考えられませんでしたね。
私も自分でブランドものなんて買った事ないですよ。滅茶苦茶貧乏でした。
銭湯通いも、随分しました。今ではいい思い出です。

40代前半です。

バブルの恩恵は、微妙です。

わけあって正社員ではなくバイト生活でしたが、バイトに困ったことはないし、時給は良かったと思います。

また最近は旅行をしないので、はっきりといえないのですが、
旅行の個人パッケージツアーなんかでは、一流ホテルに格安で泊まる事ができました。

友人には要領が良くて、羽振りの良かった人が何人かいますが、個人的にはそんなものです。


バブル当時にも、縁がないと思っていて。
この曲が実感でした。

浜田省吾の八月の歌です。

http://www.youtube.com/watch?v=Ji-JIBhCW8c

  • 回答者:匿名 (質問から9時間後)
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ごめんなさい、ハマショーはよくわからないんですが。
要領のいい人も、きっと知り合わなかっただけで居てたんでしょうね。
旅行は、どうかな?今の方が安いような気もします。
価格破壊が進みすぎてますしね。微妙ですね。
今は、バイトですら決まるのに苦労するといいますし、しかも
微妙な年齢になってきましたから、これから先どうなるんだろう?
と漠然とした不安は感じますね。

私も昭和40年生まれです。
確かにバブルの真に美味しいところを持っていったのは、当時30~50代の方々ではないでしょうか?

給料もボーナスも嘘みたいに上昇するし、経費も使い放題だったはずです。
それでも私自信も、今の人に申し訳ないぐらい簡単に就職できたし、当時の会社は「残業代」を払ってくれましたので、やはりバブルの恩恵は受けていたと思います。

いまは残業代も出ませんからね~。

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やはり、当時30才以上の人ですよね。
若くして起業して失敗している私の知り合いは、全員今50才以上です。
昔の経験を聞くと、そんな程度で何百万もお金を回せたんだとビックリすることがしばしばです。
就職問題は、ほとんどの方が同意見ですね。
職安にいっても、1日では到底決めきれないぐらい求人が出ていましたね。
今から思うと、もっと色んな仕事を冒険しておけばよかったと思います。

昭和40年代半ば生まれです。
バブルの恩恵と思える事は就職がたくさんあった事です。特別な資格や技術がなくても辞めてすぐに次の働き先が見つかる状態でした。

あと、ボーナスは新入社員で夏3.、冬3.5倍ありました。現在はその会社に勤めていないので現状はわかりませんが、最近はボーナスカットされている会社も多いのでいい待遇だったのではないかと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から1日後)
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凄いですね、そんなにボーナスを貰ってたなんて羨ましい限りです。
人生最高は、夏1.5、冬2.5です。比べ物になりませんね。
同じく、とっくに退社した会社ですが。

私も昭和40年生まれです。
全く同感です。
バブルの恩恵を受けず、大学卒業時はバブルが弾けて就職難。
しかも真面目に納めていた国民年金は何年分も消えてしまい、
支払った証拠が残っていないとのことで、今になって第三者委員会に申し立て…。
それでも認められる保証はありません。
私たちより上の世代は、少なくとも年金で支払っただけの恩恵は受けるのに
私たちは支払ったのに支払っていないと見なされてさっぴかれます。

あと、昭和40年生まれとしてもう1つ不満なことがあります。
それは翌年から学習指導要領が変わって、いわゆるゆとり教育に大きくシフトしたことです。
1学年下の世代とは、授業内容はもちろん、授業数自体違いました。
私たちがまだ学校で勉強している時間にさっさと下校する下級生。
しかも彼らは丙午。
出生数が少なくて、高校受験は楽勝。
丙午を嫌がる親達は1年前に駆け込み出産で、私たちの受験は大変でした…。

そして大学受験では、翌年とは学習内容が大きく異なるということで
やはり浪人を避ける風潮が強く、皆が現役合格を目指して競争率が上がりました。
当時、文部省のお偉いさんの子供が丙午の生まれでそちらを優遇しているんじゃないのか?
と同学年の人たちと愚痴を零した記憶があります。

上も下も得をしていることが多いのに、一番貧乏くじを引かされたのが昭和40年生まれだと思います。

===補足===
いえ、私は昭和40年の夏生まれです。
丙午は昭和41年、1~3月の早生まれだったら確かに同級生になりますが
4~12月生まれは1学年下になります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/学習指導要領
のリンク先で言うと

>1980年(昭和55年)~
>ゆとりカリキュラムといわれる、教科の学習内容が少し削減された学習指導要領。~
>小中学校の学習指導要領は1977年(昭和52年)に告示され、
>小学校は1980年(昭和55年)度から、中学校は1981年(昭和56年)度から実施された。
>高等学校の学習指導要領は1978年(昭和53年)に告示され、
>1982年(昭和57年)度の第1学年から学年進行で実施された。
>中学校の選択科目の選択肢が拡大された。

の区切り直前です。

たとえば私たちの世代までは高校で現代国語、古典I甲、古典I乙、古典IIだったのに
1つ下からは国語I、国語II、国語表現、現代文、古典になっています。
このように科目自体、編成し直されています。

質問者さんも昭和40年生まれなのですね?
1つ下の学年の学習内容や学習時間の違いに当時、全く気づきませんでしたか?

  • 回答者:匿名希望 (質問から1日後)
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学習指導要領と出生率に関して、私の認識とかなりずれがあります。
どの文献を参考にされていますか?
確か学習指導要領は、私が学校に上がるあたりに改革があったはずと思い、調べてみました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/学習指導要領

出生数に関しては、40年生まれは丙午も同級生ですので、丙午の影響でかなり人数が少なかったですよ。
40年の早生まれ39年組であれば違いますが。
回答者さんは39年組なのでしょうか。

*補足*
早速の補足ありがとうございます。
まったくの同級生ですね。
小学校は55年なので卒業後、中学は56年なので初年度ですから下の学年と教科書は一緒ですよね。
高校は、専門コースのある学校に進学しましたので、文系は現国、倫理、古典しか学習してないんですよ。
教科書が違うことはまったく気がつきませんでした。先生もそんな話はしてなかったと思います。
私立だったんで、それもあるのかもしれませんね。

オイルショック時代には、給料が、何倍も上がったそうです。

それで、昇給した人たちの給料が、歩合でいくと、ものすごく、不公平にあがりすぎていました。

同じ利益を、不公平に分け合うので、給料が上がったと感じたのは、10年以上経過した頃です。

それでも、バブルみたいな、超好景気なのは、ほんの少しの期間、あったのかな?

ただ、貯金の利率は、高かったので、養老保険とか、ワイドという貯蓄でもうけた記憶は、ありますが。

===補足===
失礼しました、38年生まれです。
私の世代って、なんか間が悪いというか、自分より、5歳下だと、若い人の賃金体系がおかしいと、調整されたり、
自分より、数年先輩だと、初任給が良かったりで、結局私たちは、何も手付かずじまいでした。
専門職で、経験年数が、おおいに、関係しますが、入った時点で、初任給や昇給の一率性より、歩合制が優勢だったので、かなりの間、昇給率が少なかったんです。

  • 回答者:間の悪子 (質問から6日後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
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同年代の方ですか?それとも、もう少し上の方でしょうか?

補足ありがとうございます。
かなり近いご年齢ですね。
給料、歩合制だったんですか。それは大変でしたね。
いってるまにバブルもはじけて・・・心中お察しします。
40年生まれも、同じく間が悪い狭間だと思います。
ものすご〜く給料安かったです。なんだかなぁって思い返しても
なんだか悔しいですよね。いろいろ。

昭和42年生まれです。
大学時代は景気がよく、バブルだったので、
バイトの時給はよかったです。
就職活動も交通費を出してくれる企業が多かったです。
でも感じたのはその程度です。
特に就職が楽だったとは思いませんし、
働き始めてからも感じませんでした。
もっと上の世代のバブル当時バリバリ働いてた人達が
恩恵を受けたのではないかと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から6日後)
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そうですね、みんなやはり大体同じような感想をもっているようで、
自分だけが思い込んでいるのではないのだな、とある意味安心?しました。

私も40年生まれですが、バブルを謳歌したのは私たちより上の世代だと思います。
働きだした時はバブルのピークでしたが、仕事で一人前になるのに必死でした。
やっと余裕が出来てきたときにはバブル崩壊。
今度は不況の波の中で今のポジションを守るのに必死に働く毎日。
結局バブルの恩恵を受けることはありませんでした。
私たちはそういう狭間の世代になのです。

  • 回答者:匿名 (質問から6日後)
  • 3
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まさに狭間世代ですね。
そして、バブルの尻拭い世代。
5才年上の人と話するよりも、10才年下の人と話するほうが、
感覚があうというか、価値観が合うような気がするのは私だけでしょうか。

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