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森進一さんが昔、「襟裳の春は何もない春です♪」と歌っていましたよね。
あの時から今日まで、ずーっと考えていますが、未だにこの部分の意味がわかりません。
率直に考えて、「何もない訳ないだろー、何かあるだろー!」と思うのですが、
「何もない春」とは、どのような春だと言っているのでしょうか?
どなたか、この歌の意味を教えてください。

  • 質問者:襟裳の春
  • 質問日時:2008-07-06 01:45:07
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「何もない」とか「何かある」という、物質的な部分を強調しようとした歌詞ではないんです。
襟裳地方に住む人々の心の温かさを賞賛して、「襟裳に行けば、何か物でもてなされなくても、その土地の人の温かさだけでも喜ばせてもらうことができる。襟裳の人々は、それほどにすばらしい人々だ」という意味が込められているんだそうです。
なかなか奥が深い歌ですが、発表された当時は襟裳の人でも誤解した人がいたそうです。「襟裳はそんなに田舎じゃないぞ」と抗議する地元の人もいたそうです。

  • 回答者:長老 (質問から3時間後)
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深いですね。
みなさんの意見を拝見して、心にポッと火が燈った感じがしました。

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回答ではないので先に謝っておきます!
「ごめんなさい」
ついつい相談読んでて爆笑してしまったので!
最高に面白かったです。
これが思いつくとはセンスがありますね~。

  • 回答者:ウイン (質問から2日後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

何も無い春=特別なことは何も無い、でも毎年同じように
春はやってくるんだよね

襟裳には夏しか行ったことがありませんが、印象に残って
いるのは周囲の荒涼とした風景と風の強さです。
冬の厳しさは都会育ちの私の想像を超えたものでは無いかと
思います。

そんな厳しい冬だけど、その後には必ず春はやってくるんだよ。
特別なことのない去年と同じ春だけどね。でもそんな何も無い
春が一番幸せなのかもしれないね。

  • 回答者:tuto (質問から3時間後)
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深いですね。
みなさんの意見を拝見して、心にポッと火が燈った感じがしました。

襟裳は海岸ですので風が強く、春の暖かさを期待しても寒いのではないでしょうか。島倉千代子の襟裳岬も風はひゅーひゅー、波はどんぶらこの歌詞で始まります。北海道はどこに行くにしても、遠く、広く、ただただまっすぐな道と実感した方が多いと思います。季節、場所に関係なく、北海道の大自然の前にたたずんだならば、このような言葉が出てくるとは思いますが。

  • 回答者:ぺんぎんぱぱ (質問から3時間後)
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深いですね。
みなさんの意見を拝見して、心にポッと火が燈った感じがしました。

「襟裳でもいつもの年のように春が来ているけれど、(昨年まで住んでいた場所に比べれば)全てが違ってしまって、今の自分には何もない」という意味ではないのでしょうか。
 逆説的に、何も持っていなくても春は来るもんだという意味にも取れますが、ともかく「何もない春」というのは、決して襟裳岬は春になっても何も見どころも何もないという意味でないことは確実だと思います。

  • 回答者:kio (質問から43分後)
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深いですね。
みなさんの意見を拝見して、心にポッと火が燈った感じがしました。

襟裳岬はもともと広葉樹の広がる森林地帯でしたが明治以来の開拓や紙パルプ事業、放牧などで木を次々切り倒し、ついに砂漠化してしまいました。強風のため砂が吹きすさみ生活に支障をきたしたほか、海に入り昆布など海草が激減し漁獲量が激減したそうです。そのときの状態を歌詞にしたのではないでしょうか。
ちなみに1953年から緑化事業が始まり1999年に完了して今は草木に覆われています。

  • 回答者:アイネアス (質問から39分後)
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深いですね。
みなさんの意見を拝見して、心にポッと火が燈った感じがしました。

何もなく過ぎて行く春、春の日常は平穏に過ぎていく、という意味では。

予定がなくて暇な日を 何もない日 というのと同じではないでしょうか。
叙情を歌ったものなので、物理的な有無ではないと思います。。。

==追記(評価・返信の変更はする必要なし)
「寒い友達が訪ねてきたよ」という部分はその友達を指して寒いといっているわけではなく
寒かろうと思って暖を勧めるというのがこの部位の正しい解釈でしょう。
言葉の並びどおりに受け取ると、ここの方がよっぽどおかしく見えます。

歌いだしでは、「北の街では」と言っているように、実際の舞台は襟裳ではないようです。
(北の街が襟裳だとも断定はできないと思います)
いろいろありすぎる都会とそうしたことが「何もない」ように感じられる街、
そうした「対比」の対象として、襟裳を挙げたと考えるのが自然かもしれません。

大抵の家庭では来客のときに、「ほんとうになにもないんです」ということをよく言います。
なにもない という表現をどういう時に使うのかということを考えれば、一切の有無を言っているわけではなく、
「特別なものはない」だけで、(平穏な)日常を誇張して表現する日本語表現と気付きます。
「本当になにもないんですけどねぇ・・・とりあえず、暖まっていってくださいよ」
こんな表現は日常的によく使われる言葉です。
風景としては雪ばかりでなにもないように感じるけれどそこには日常が存在する、
それは平凡に見えるかもしれないけれど、平穏な日々の生活であって
人としてのぬくもりが感じられるものだ。
そうしたものの憧れの対象として「襟裳の春」を挙げていると思いますょ。
そうしたことが、最後の歌詞につながります。
「えんりょはいらないから、暖まっていきなょ」(→上に書いたよく使う表現としたもの)

詩を注意深く読むと、季節も春ではないことが窺えます。
実際の舞台は都会(おそらくは東京)、季節は秋(晩秋)、そうして読むと
春というものの暖かさ、平穏な日常、それらへの憧れとして襟裳の春と記述した、のかもしれません。

他でのものも見てみてはいかがでしょう。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2974431.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q138613268
(出典元が不明なので真偽は論じれないものばかりですけれど)

  • 回答者:ぬっこぬこ (質問から36分後)
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深いですね。
みなさんの意見を拝見して、心にポッと火が燈った感じがしました。

実際には作詞した岡本おさみさんしか真意は分からないと思いますが、この曲の歌詞全部を見て勝手に想像した主人公はかつて都会に住んでいて、何らかの事情で襟裳に移住して生活するようになって何年かしてその生活に慣れたころ、都会で暮らしていたときの友人がやってきて、その友人との会話の中で、都会に比べると大きなビルや人ごみなど特別なものはないよと友人に話しかけているような感じがしました。

  • 回答者:えりもよりも (質問から32分後)
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深いですね。
多くの方から色々な意見をいただきました。

北海道に住んでます。
襟裳岬、たまーに行きます。

ま、何もないですね(笑)
いや、色々とあることはあるんですけど。
「何があるの?」と聞かれれば「なにもない」
そんな感じです。

襟裳は、北海道の最南なんですよね。
・・・それを言えば、各地方の「最南端」「最北端」「ど真ん中」的な
観光スポットに行ったことのある方ならわかると思いますが。

いろいろあるけど「なにもない」んです。
それでいいんですよ。自然で。

  • 回答者:ゆじゅ。 (質問から30分後)
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深いですね。
多くの方から色々な意見をいただきました。

これは岡本おさみ氏(作詞家)の実感なんだろうと思います。

この歌の歌詞に出てくるもの,例えば人間関係のしがらみとか,その背景にありそうな都会の喧騒とか,そういった「都会的なもの」へのアンチテーゼが「何もない」という言葉に結実しているのだろうと。

この時代を象徴するモービル石油のCMや「モーレツからビューティフルへ」というゼロックスの有名なコピーは,明らかに60年代末から70年代初頭にかけての「政治の季節」やその反動としての「モーレツ社員(「日本列島改造論」に代表される高度経済成長の末期)」への異見(今ならオルタナティブ?)として出されていると思います。

産業の高度化に対する人間性の回復。シンプルライフやシンガー・ソングライター的なものが一緒くたになった「時代の雰囲気」を強く感じます。「何もない春」という歌詞,そこではドブネズミ色のスーツが象徴する「体制」への控え目なアンチテーゼという意味が見られます。

しかし一方でこの歌がヒットしたことに地元の人々は深い困惑を感じた(当時の襟裳岬は,広葉樹の伐採が進み砂漠化しており,植林事業を進めている最中に「何もない」と歌われたことへの反発)という話があり,それはかつてNHKが「プロジェクトX」という番組で紹介したことがあります。

「プロジェクトX」第43回 「えりも岬に春を呼べ」(襟裳岬の森林植林活動 2001年3月6日放送)

  • 回答者:人生を語らず (質問から25分後)
  • 2
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多くの方から色々な意見をいただきました。
ありがとうございます。
奥深いですね。

今はわかりませんが、昔は本当に特徴的なものがあまりなかったですよ。
ひろーい草原などがすごくありました。
結構和んで気が付けば数時間経過してましたね。

  • 回答者:とい (質問から6分後)
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多くの方から色々な意見をいただきました。
ありがとうございます。
奥深いですね。

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