典型的な俗に言ういいひとだと思います。
こういうことはまさか日ごろ言えませんよねw
どんないい人かと言えば、ん~~~~~!
誰かに接するとき、話すときは、自分の気持ちを伝える前に相手の境遇やそのときの気持ちを察するようによく考えてから、状況にあわせて言葉を選び表情や声の大きさも注意しながら話したり表情も考えて素直に出したり、時と場合では抑えたりします。
こういうとずるいだけじゃないかといわれそうですが、自分なりの考えでやっていることです。正解かどうかはわからないですが
自分をかばうためではなくて気持ちの上で配慮からということです。
だって、どんなに正しいことでも相手の気持ちに響かないことをタイミングを損じて言うと傷つけるだけに終わるので
それは思いやりに欠けると思います。
タイミングってホントに大事だと思うんです。また、たとえ正しいことでも親切でも相手の気持ちはそのときそのとき調子が変わるので、よくよくみはからってやるという大人の配慮は優しさと賢さでありずるさとはまた違いますからね。
むやみにためを思ってすると、被害を及ぼすことや立ち直れないほど傷つけたりしますし
人の心って、常に白が黒より勝るもんでもなく臨機応変に対応する
時に退く姿勢をとる、引退・退却・挫折の勇気も必要だと考えています。
こんなことは大人なら誰でも承知のことですが
私はそのとおりに生きていますし、常に気持ちの中身はまっすぐで一点のにごりもありません。
あと、人と向き合うからには一期一会、袖刷りあうも他生の縁と申しますがそれを大切にしています。
しかし、世の中はほとんど善人だと思うんですよ。
やり方がキツイとか幼稚だと人間ができていないだけで決して悪い人というのでもないように思います。
稀に本当い背筋が凍るような、心が焼けただれて修復不可能な人もいて苦労自慢な人もいますが
ごく普通のまじめな生活をしていればあまりそういった人と触れ合ってしまうような機会も無いものです。そういう場にいくから遭遇し、酷い目にあうもので、自分から潜入してしまっていくのでしょう。
質問者さんが最後に書かれた一行、結構意味深いなと思います。
自分を守るために恐れないため、適切な判断をしていけるようになると、むやみに心配をせずに済みます。それには自分が他人をだますような行動をしていると人がみんなそう見えてしまうようになるもので、そういうことを常にしていると意味の無い不信感を抱くようになるということを物の本で読んだことがあります。
うそつきは疑り深いという構造
常に堂々とできて
人を信じることも大切な善人の条件でしょう。