すべてのカテゴリ » 知識・教養・学問 » 知識・学問 » 歴史・地理

質問

終了

黒人奴隷制度の原因の1つにアフリカはキリスト教国でなかったとありますが、アフリカは当時どの宗教の国だったのですか?

やはりイスラム教ですか?
キリスト教と対立しているからその恨みというか対抗心というのも要因の1つに挙げることはできますか?

もし見当はずれな事をいっていたらすみません;

  • 質問者:tub0
  • 質問日時:2011-06-24 18:04:53
  • 0

並び替え:

世界三大宗教が、キリスト教、仏教、イスラム教というものです。
国、地域を越えて世界に広がったもの、なので、
そうでない宗教は土着の宗教というのが多いと思います。
日本でいうところの神道、八百万の神、
下の方の書いているアニミズムみたいなことですね。
身の回りのものに神が宿るという考え方で、
民族博物館のようなところへいけば、多彩な神像や面など見られるかと思います。
ゾンビで悪名高いブードゥーなどもアフリカの宗教です。

また時代によっては北アフリカの一部地域にイスラムあるいはキリスト教が根付いた時代もあったようですが、
大陸の大半はアニミズムのようなものだったのではないでしょうか。
非キリスト、キリスト教徒であるに関わらず、奴隷は奴隷だったと思います。
奴隷貿易においては、やはり経済的な事情でしかなかったと思います。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB#.E5.AE.97.E6.95.99

アフリカには、過去からの土着宗教と、イスラム教スンナ派、キリスト教のローマ・カトリック、プロテスタントの各派が分布している。伝統的な土着宗教は、祖霊信仰や自然崇拝に加え、サブサハラでは創造神の概念も存在する[75]。また、呪術信仰も根強く、これを担うシャーマニズムも健在である[76]。

世界宗教のアフリカ伝播は、ローマ帝国の領土拡大に伴うローマ・カトリックが最初に当たり、これは4-5世紀に北アフリカで最盛期を迎える。しかしこれは同帝国の衰退とアラブ人の進出によって衰退した。19世紀のアフリカ分割に伴うヨーロッパ列強の植民地化によって再びローマ・カトリックは広まったが、この地域は中央アフリカに場所を変えていた[75]。イスラム教スンナ派は北アフリカを中心に人口の30-40%を占める。その伝播経路は、ナイル川に沿ったアラブ人の進出、サハラ交易による伝播、海上貿易による東海岸沿岸への伝播の3つがある[75]。プロテスタントもまたアフリカ分割とともに広まったが、その地域は南部が主流となった。南アフリカにはいち早くアフリカ人によって教会が建設された。その特色は聖書中心主義があり、またペンテコステ派と土着宗教が融合した精霊教会という形態も存在する[75]。

  • 回答者:匿名 (質問から3時間後)
  • 0
この回答の満足度
  

当時のアフリカの宗教はアニミズム(日本では精霊主義とか霊魂主義と訳されています)が主流です。
ですので、イスラム教とキリスト教と対立しているから、うんぬんかんぬんということはありません。

……ですが、アニミズムは、宗教がシャーマニズム・多神教から一神教へ移っていく、進化のスタートとしたために評価を失い、特定な霊魂の移動に限った説として、軽視されてきた過去があります。(BYイギリスの人類学者タイラー)
その軽視が、差別へと繋がった可能性はあるかもしれません。

  • 回答者:苺 (質問から35分後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

関連する質問・相談

Sooda!からのお知らせ

一覧を見る