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歴史は年数が経過すると、なぜか変わってしまいます。
学生時代に、見切り発車で「歴史はこうなった」と教わり、テストがあり、点数がつけられ、自分の成績・評価になりますが、こうころころ変わってしまっては、何のための勉強でテストされ、評価されているのかと不思議におもいます。
ちゃんと歴史を勉強したい人にとっては無駄な時間になってしまうと思います。
もうすこし、教科書に乗っけるなら、研究した結果、確定したもの以外は乗っけてほしくないと思います。
皆さんはどのように思いますか?(年号が変更・人物が??・最古にもっと最古でいてテスト+評価)

  • 質問者:歴史散策
  • 質問日時:2008-09-08 12:04:39
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過去を学ぶのは重要なことはたしかです。
ただし、次から次へと文献やら遺跡が発掘されたり解読できなかったものが技術の進歩によって解読され新しい事実が発見されていきますね。
「今」学んでいることはその時点では真実なのです。
新たなる真実が発見されるのもまた楽しいじゃないですか。

  • 回答者:カトリーヌ (質問から23時間後)
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歴史のテストや成績評価をやめろとおっしゃりたいのでしょうか?
やめたらみんな歴史の勉強なんてしなくなるよたぶん。
それとも自主的に勉強するのかな?

そして自分の国の歴史も知らない人が、外国へ行って恥をかいたり、
国を動かすようなエライ人が自分の国の歴史認識もない。
などという事態になったら、今みたいな生活はできなくなります。
そんな偉い人にはならないからいらない、といえば、
最初から不平等な社会になりますよね?

完成した知識を後世に残したいというこころざしは理解できますが、
知識が完成することはどんな学問でもありえません。
過去を扱う歴史においてもそうです。

切実に生活に必要な知識ではないので、
テストをすることにも疑問があるのだと思いますが、
切り込むならもう少しもっともな切り口から切り込んで欲しいです。
とはいえ、疑問に思う気持ちもわからないではないです。
がんばってください。

  • 回答者:読んでくれて感謝 (質問から9時間後)
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知識が完成することはどんな学問でもありえません。はちょっと??
知識が集結することで、製品・商品となり、世に流通し、完成とされると思います。
調査中をテストされて評価されるって理不尽な気持ちになってしまいまいます。
身近にはなすと、ある事件で、警察が調査中で、容疑者でない人が逮捕され、後で誤認逮捕ときずいたときはもう遅い。と考えると?
まーそういうことです。

同感です。
歴史が変わっていくので何のために勉強したのか疑問に思います。
中学、高校と受験のため勉強しましたが、当時から本当かな?と
疑問を持ち続けていました。
特に奈良・飛鳥時代以前はほとんど「日本書記にそう書いてある」と
習うことが多かったですが、もし日本書記自体が事実に基づいていない
フィクションで書かれたものなら、歴史が全然違ってくるなと感じながら
受験勉強していました。

  • 回答者:旧太子 (質問から8時間後)
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どうせ勉強するなら事実を知りたいのは人間の「常」な事。

歴史は日々変わるので歴史だと思う。
確定したらテストなんて、学生らしいお考えですけど、意味はないですね。
そもそも誰が研究して、誰が確定するんですか?

  • 回答者:ゅ (質問から7時間後)
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政府の歴史調査団(博物館)といのが存在します。ほかに、民間の調査団もあります。
いつしか、捏造もありました。覚えていますか?教科書に掲載されて問題視されました。

歴史で「確定事実として記載」されているのは、今目で見て確認出来る文献や
資料などだけです。
その「事実に対する評価」を「確定事実」として教えた教師は私の周りには
いませんでした。
もし歴史散策さんが、そう教わったのならば、その教師が禄に指導要綱も
読まずに授業していただけだと思われます。

歴史の教科書を読む時には「・・・と言われている」を補って読むのが正しい
歴史教科書の読み方です。

例えば「卑弥呼は鬼道を司り」との教科書記載であっても
これは「魏志倭人伝」の中の記載から"そうであろう"というだけで
「魏志倭人伝」の卑弥呼に関係すると思われる記載が全くの嘘っぱちだったら
「卑弥呼は鬼道を司り」の記載は根底から覆ります。
しかし、その記載が嘘か否かの本当のところは「魏志倭人伝」を記した当人
しか知りようもなく調べようもないのです。ただ記載が他の資料と合致点
が多いので"ほぼ真実を記載したのだろう"と推論出来るだけです。
なので「卑弥呼は鬼道を司っていたと言われている」と読むのです。

歴史は「・・・と言われている」様々のことを学ぶ勉強で真実を学ぶ勉強では
ありません。
歴史散策さんには歴史の概念に誤解を生じているようにお見受けします。
多分歴史の概念をしっかり教えて下さる方に恵まれなかったのでしょう。

近い歴史の場合は生きている人間が大勢います。
その人間たちの実際に経験した「事実」があるのですから、教科書への記載は
問題ないものと思われます。
但し、どんな「事実」も「真実」かどうかは神さま以外には判りません。
多くの「事実」が一致しており矛盾がなければ「ほぼ真実」と社会では
認識されています。
そして「教科書に記載されたある事実」が誰かに不利益を与え、その人物が
認識する「事実」と対立する場合は民事提訴という方法をとり社会的事実と
して確立させる方法をとります。
裁判においての「事実認定」は不可欠ですから。
国が法治の立場を堅持している間はこの法的に認められた「事実」が国を
動かしていくことになります。
教科書も国が検定するものですから例外ではありません。

確定事実でないものを覚えることが無駄かどうかは各人の捉え方次第です。
少なくとも私は無駄だと思った事は1度もありません。
学習内容も情報の1つでしかなく、情報は常に書き換えられるものと
認識しておりますので。
情報を得ることが無駄だと言ってしまえば、今ここに居ること自体が無駄な
行為となります。

  • 回答者:葛もち (質問から7時間後)
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まーちょっと話が大げさにさせてしまいました?
ゆとり教育までとりいれて無駄な事と思う人たちから思えば(個人的には思いませんが)授業時間内で事実をちゃんと教えてもらえば、無駄だとは思いません。しかし、事実でなく、捏造としらず、捏造記事だった場合には歴史の勉強って?と疑問がでてしまってそれこそ無駄であり、家庭内で教える方と教わる方で意見の相違があると、教育も妙なねじれが生じてしまっている感じがします。
※私もちょっと大げさになりました。(お詫び)

学校のテストは学校で学んだ内容を理解したかどうかを調べるためのものなので,「歴史散策」さんのおっしゃる「ちゃんと歴史を勉強したい人」のためにはならないのですよね。歴史で扱う内容は,実際に起きた事ですが,過去の話なので「証拠」とされているもの(例えば遺跡・化石・古文書等)が本当に信頼出来るものなのかの検証やその「証拠」の解釈が中心なので,時代によって判断が変わってきてしまうのも仕方ないでしょう。多分,学者の解釈に過ぎないことをはっきり説明しないので,「歴史散策」さんは疑問を持っていらっしゃるのではないでしょうか。最近,ネアンデルタール人と現代人はDNAを共有しているという研究結果が出たりしていますから,「確定したものだけ」と限定すると殆ど教科書に載せられるものはなくなってしまうと思います。私もがりぃさんと同じで,定説が覆るところが面白いと思います。(もう,テストは受ける必要ないですし。^^;)

  • 回答者:あっ (質問から7時間後)
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歴史上の人物で良人が悪人になって、ある都市では????
ちょっと混乱イメージUPどころかDOWNしてしまうような話もあります。
事実誤認で過ごして、1個人が奥まで調べられないのが難点。
歴史を説くには数人必要です。

古代史などは、新たに遺跡が発掘されると簡単に歴史が塗り替えられます。
これはもう仕方が無いですね。
世界情勢により、国の名前や領土が変わってしまうのもそれぞれ事情があり、
それ自体が歴史なのです。

そもそも歴史というのは、遺跡や化石など発掘した物を研究したり、
代々重要な文献などが保存されて、それを元に推測される文学でしょう。
紀元前からずっと生きてきた人なんかいないわけですから。

その文献というのも争いの勝者目線の物、上層部の都合のよい物、国政に差し支えの無い物が残っているという説もうなずける所がありますから、やむを得ないでしょう。

熱心な歴史研究家の中には、古文書が読める方もいますし、
美術館や図書館で所有していない文献を個人が所有している場合もありますから、本当に歴史って奥深く、胡散臭い物なんですよ。

お気持ちはわからなくもないですが、必ず逆説も出てきますし、
私達日本人が封印されていて、知る由も無い事実などたくさん眠っています。

歴史って学問というより、宇宙レベルのミステリーだと私は思っています。

  • 回答者:みみこ (質問から5時間後)
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「夢」みたいな話でも個人的には否定はしません。不思議発見?な所が面白い時もあります。
でも大体の人は勉強中は好きでない人が多く、年数が経って好きになる(調べたくなる)感じがあります。
昔勉強して今と参照しても…。と戸惑いがあったりしませんか?

日本は神の国と言って戦争に邁進するよりはマシだと思います。
そういう歴史を習った時代もあったんですから。
鎌倉幕府が何年に出来たとか、一番古い貨幣が和同開珎より富本銭
だったとか・・・日々研究が進めばまた変ります。
研究した結果、確定しましたとは研究者は誰も言わないと思う。
学校の教科書は、とりあえず執筆当時の常識を書き連ねてあるだけです。
歴史の研究は過去を振り返り、今を生きる人間がよりよく生きる方向を
考えることだと思っています。いい方に進んでいくよう祈りましょ。

  • 回答者:国史学専攻 (質問から5時間後)
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最古が変わる程度は許されるとして、時代年号がずれている。写真の人物は当人でない。
といった事実誤認なような事柄が最近増えた気がします。

私は歴史を学んでいる学生です。
 教科書などに載っている歴史は、記載された段階で研究により確定されたものがほとんどです。したがって実際には既に研究者のレベルでは異論が出ているものもあります。
 ただし、その内容を教えている教師がその状況まですべて知っているかというと何ともいえません。その時代や内容に詳しい人なら、「教科書はこうだけど、今はこういうふうに考えられているんだよ」と教えるかもしれませんし、あまり詳しくないならば教科書に書かれていることをきっちりと教えようとするでしょう。
 ですから、歴史の内容が変わるということは、それだけ新しい事実がわかってきたことと考えていいと思いますし、研究した結果がいろいろ見えてきたことを示していると思います。
 私は研究の進展によって古い時代のいろんな姿が見えてくるというのは歴史を学ぶ楽しみの一つだと思っています。それが発見できるという点では決して無駄ではないと思いますよ。

  • 回答者:よっしー (質問から3時間後)
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不思議発見!!

教科書にのっかる時点では、それが確定事項なのではないでしょうか。
もし諸説ある場合は、その旨、記載があると思います。

ある時点では、それが確定事項であったものが、
その後の発見(発掘)や、研究が進むにつれて、
新しい事実がわかったり、それに伴って矛盾が生じるものへの検討がなされたりして、
新事実が新たな確定事項となるのではないかと思います。

せっかく一生懸命に覚えた年号などが、いつの間にか変更されていると、
「えっ?いつ変わったの?」とびっくりはしますが、
長い歴史の中では、細かい年号や人の顔が違っても、
それは瑣末なことなのではないでしょうか。
逆に今までの定説をひっくり返すような歴史的発見があったほうが、
ワクワクします。

  • 回答者:はのっち (質問から3時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

後々発見された見聞書により研究者がこれと決めたら変わってしまいますからね。
それはある意味、歴史を正しく修正と見ています。

  • 回答者:将門 (質問から2時間後)
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

歴史は、遺跡や古文書、言い伝えなどの研究の結果、最も有力な
事柄を採用しているので、変わってしまうのは仕方のないこと
ではないですか?誰も過去に戻って確認できるわけではないのですから。

それに勉強というのは、テストを受けるために、また、自分が評価される
ためにやるものではなく、「勉」を「強いる」という字の如く、自分で
自分のためにやるものです。つまり、テストでいい点を取った、通知表の
点がよかったなどという結果よりも、よい結果を出そうと頑張った過程
が大事なのですよ。なので、真実と違っていることを教えられていたと
しても、勉強をしてきた過程というのは決して無駄なものではないはずです。

余談ですが、地球に脳みそがあり、地球誕生の頃から地球表層で起こって
いる事象を全て記憶していたとしたら、とってもすばらしい歴史の教科書が
できると思います(笑)

  • 回答者:あゆあゆざっく (質問から40分後)
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それはそれでごもっともです。が、違うことを教えられ、その後に教えられた人が大人になり、子供ができ、今と現在の歴史の相違があって教えるのもなんだか??
教えるとき悩みませんか?

まあ、天動説を信じないと軟禁、、、

って時代よりは、ましって事で、、(笑)

その時代はそう信じていたんですから。

  • 回答者:M.X (質問から40分後)
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それもそうでうね。

ちゃんと歴史を勉強したい人にとってはそれまでの通説が覆っていく過程ってとても興味深いものだと思うのですが…いかがでしょう。
歴史というカテゴリーではないかもしれませんが、子供のころ恐竜は冷血動物だと本で読んだのに最近では温血動物(恒温動物)とする説が有力だと知り興味をひかれました。

テストのために歴史を勉強するのならその考えに同意できますが、探究心とか好奇心とか言う観点から見れば興味深いものだと思います。

  • 回答者:がりぃ (質問から29分後)
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一理あります。
興味を引かれるのはいいですが、興味をひかれ、偽装までして、教科書にのってしまうのですから、  教科書って何なんでしょう。

不確かなモノは教えないという事になってしまうと教えられるモノが何もなくなってしまうと思うのは私だけでしょうか?

大げさな言い方かも知れませんが歴史に限らず、不確かなモノの方が確かなモノよりも多いと思います。今、わかっていること。それを教える、で良いと思います。

まぁ確かに自分が習ってたことは何?って思ってがっかりするのは事実ですが…。

  • 回答者:好奇心 (質問から19分後)
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

通説から、ほぼ確定などを載せている物ですが、それを覆す文献や証拠が出てきたりすると変わってしまうのでしょう。
教科書に載ある程度吟味されて収録される物でしょうから、仕方ないと思います。

  • 回答者:ひでお (質問から18分後)
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

>研究した結果、確定したもの以外は乗っけてほしくない…

逆です。
ハッキリしてないモノ、不明なことを、さも確かなことであるかのように教えるのが悪いので、最初から、仮説は仮設と、あやふやであることを告げれば良いだけです。
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歴史や古代史で重要なのは、

 ・その時点での最新情報
 ・その時点での確定事実(発掘品や遺跡等)
 ・その時点での定説(最有力仮説)

です。
それらを、絶対的確定に至るまで学ばない、というのでは、勉強もなにも…
だから、こういう学問は、学ぶ者に対して、まず、

 ・鵜呑みにせず、懐疑心を持って接するものであり、
 ・その変化していく様を楽しむものである。

と心得させるべきと考えてます。

ちなみに、私は、社会人になるまで、不確定な部分があんなに多いとは思っていませんでしたが、それを知ったとき、「最初からそう教えておいてくれたら、考古学の道に進んでたかも知れないのに…」と思いましたよ。
謎解き大好きなんで。。。

  • 回答者:ムーチョ (質問から7分後)
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そうあってほうしいです。しかし、事実と断言され、今に至ってませんか?テストまでして記憶するわけですから、もし、事実でないのであれば、歴史での授業評価はしなくて、国語、算数・数学、理科、(公民)程度でのテストでいいと思いませんか?

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