原発を安全に解体したり、解体によって出てくる被曝物質や使用済み核燃料など、放射性物質を安全に処理する技術の確立、および、それらの最終処分地が決定されることが基本。
そして、人類に知恵があり、賢い選択をするなら、原発は、きれいさっぱり、なくなっている可能性はある。
しかし、肝心要の解体、処分、処分地の課題が、原発を稼働させて40年以上も経っていながら、今なを解決されていない現状があり、今後100年で、なんとかなる保証も、ない。
原発を解体し、処理し、処分する費用は莫大なものとなる。
事故を起こした場合は、とんでもない費用がかかる。
今後100年間、その費用を捻出するだけの経済的余裕を、国だけでなく世界が維持できるかどうかも、危惧する。
100年も経てば、核燃料枯渇の可能性のある時期となり、発電できない原発も出てくる。
収入もないのに管理できるか、まして解体費用を賄えるか、ということもあり得る。
原発としての役目を終えて、原発施設ではなくなっても、それは書類上だけのこと。
事故を起こさなくても、耐用年数を過ぎてボロボロになった原発建屋から、原子炉から、核燃料プールから、放射性物質が漏れ出てくることもある。
生物としての人類は、まだ生存しているだろうが、お互いに支え合って暮らす人間社会は、崩壊しているかもしれない。
今が、原発と縁を切る最後の機会だと思えてならない。