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昨日某テレビ局で戦時中の特攻隊のドラマがやっていました。
見ていて疑問に思ったのですが、なぜ前途ある二十歳前後の若者ばかりが、特攻隊員に選出されたのでしょうか。

  • 質問者:きんた
  • 質問日時:2008-09-21 06:48:35
  • 1

まず、そもそも搭乗員は中佐になると現場監督である飛行隊長か中間管理職である飛行長になるかというスポーツ選手同様現役期間が短いものです。それだけ当時の飛行機は知力体力が充実してないと扱えない難物であったということが一つ。
それから、それまでに熟練搭乗員が消耗し、残った熟練搭乗員も防空作戦要員や訓練教官をするものがいなくなるので無差別には特攻に使えない(もちろん本土決戦をした場合にはどのみち後がないので使ったと思いますが)ということが一つ。
それから、そういった未熟な搭乗員たちは戦果を挙げる以前に遥か手前で敵機に撃墜される可能性が多い実情があり、「無駄死させたくない」と良心的に考えた指揮官も、兵隊は消耗品だと割り切る指揮官も、選択肢が他にないという状況になったのが一つ。
さらに、一部未熟搭乗員にも「どうせ死ぬなら戦果を挙げて」と考えた者がいた(飛行機ではないが「回天」を構想した若手士官など)ので図らずも一部で需要と供給が一致してしまったことが一つ。
そして決定的だったのは、「とにかく一時的に敵空母を封殺してくれ」という捷一号作戦での基地航空部隊への要望で、その回答として一時的に始められた経緯があります。
また、予備士官が指揮官となることが多いのは、学徒出陣により訓練を開始した予備士官が訓練を終えて大量に前線に出される時期と沖縄戦が重なったせいもあり、いわゆる「正規士官温存説」だけが原因ではないと考えています。もし開戦の時点で学徒出陣に踏み切っていれば特攻作戦にしか使えないような技量ではなかったはずで、基礎知力の高い予備士官をもっと有効に活躍させられたと確信しています。

結局、自らの生命を以って賛否両論ありながらも責任を取った高級指揮官は、言いだしっぺの大西中将、沖縄戦で最も多数の特攻機を送り出した宇垣中将、そして番外として特攻の魁として陸攻に同乗した有馬少将くらいで、お付き合いとは言えほぼ拮抗する特攻機を送り出した陸軍からは一人も現れませんでした。

できるだけ客観的に回答しようと思ったため予想以上の長文となり申し訳ありません。

  • 回答者:Sooda!村の村長さん (質問から1日後)
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開戦前からのパイロットの多くは3年以上続く戦争で
多くが戦死してしまい、残ったものはパイロットの教官と
なっているものが多かったため、残ったのが若い訓練を
終えたばかりの学徒動員からのものたちや、予科練の
少年兵だったと思います。

海兵出や、陸軍士官学校出は、本土決戦のため
温存されたこともあるようです。

新たに、操縦を訓練するものが若者ばかりだったのが
一番大きな理由だと思います。

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二十代の若者ばかりが特攻隊員に選ばれたのは敗戦する寸前の末期症状。
職業軍人が戦死し人材も不足していて召集をかけた一般市民出身者が犠牲になったのでしょう。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から3日後)
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太平洋戦争もそろそろ時代劇の仲間に入れなければならなくなってきたようです。
ドラマの構成には時代背景の説明が望まれます。それと歴史教育の充実。

  • 回答者:知識人 (質問から2日後)
  • 0
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戦争は健康な男子が戦地に行っていました。
特攻は日本軍が劣勢になり、人も装備も余裕もなくなった最後の手段です。
そこまでいくまでに上官と士官学校に行っている若者くらいしか人材のいなかったのではないでしょうか。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から2日後)
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戦争末期にもなると、成人男性が国内に残っていなかったからだと思います。
ほとんどの成人男性が赤紙によって戦地に駆り出され、残っているものは二十歳過ぎや未成年のみ
だったのでしょう。
とても切なくて悲しい歴史ですね。
もう二度と戦争などして欲しくはありません。

  • 回答者:respondent (質問から16時間後)
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軍国洗脳された
若者が犠牲者になったのです。

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もうそのくらいの年齢しか残っていなかったのと、若者が死をもって国を守っていると国民の士気を高めたかったのでしょう。

しかしながら飛行機は既にゼロ戦はほとんど残っていなかったので、実際の特攻隊は旧式の戦闘機で出陣し、敵空母へ到着する前にほとんどがグラマンに打ち落とされていたようです。ほんとうに無駄死にでかわいいそうな話です。

ドラマにもあったように「こんな悲惨なことがあっていいのですか」という女の子の問いに青年が「これが戦争です」と答えていましたがそのとおりですね。

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戦争末期なので、まだ少年上がり的な若い人しか残っていなかったことと、妻子のある人はやはり外す、という事になると必然的に若い人になるのでしょう。

  • 回答者:お助けマン (質問から7時間後)
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軍国教育が本格化したのは二十歳前後の方々が
ちょうど高等小学校にいるころであり、十分にマインドコントロールが
できていたことが志願に応じる素地であったと思われます。
真珠湾の頃のパイロットは飛行時間700~1000時間を
下らない豊富な訓練により世界トップレベルの実力を誇ったからこそ
不十分な戦闘機で互角に渡り合うことができましたが
末期には熟練パイロットは払底し、さらに来る本土決戦に備えて
温存しなければならない状況のなか、片道飛行できれば用事が足りるという
軍令部の短絡と人命軽視、現場を見ない傲慢(すでに訓練不足は深刻で
マリアナ沖海戦の頃はまっすぐ飛ぶのもやっとのパイロットばかりで
「七面鳥撃ち」と米軍に揶揄されていた)から、あえて飛行時間100時間未満
(現在は普通自動車運転免許でさえ3~40時間は教習するのに)という
むちゃくちゃな条件を課してでも「自発的に」集めざるを得なかったのが
「特別志願兵」の実態でした。
回天も伏龍も同様、命を粗末にするパフォーマンスこそが軍令部には必要であり
若者は格好の対象だったのです。敵よりも軍上層部の犠牲だったというべきでしょう。
二度とこのような愚行に走らないことこそ、犠牲者への最大の供養です。

  • 回答者:二度と起こすまい (質問から7時間後)
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幹部クラスは死にたくないので当然乗りません。
また、軍隊の主力(20代~30代)は無くなってしまった方、動けない方が
多数だったので必然と20前後の人たちが選抜されたのでしょう。
この頃は既に幹部クラスは負けるのは分かっていた筈なのに
こんなばかげた作戦を遂行する。
やはり戦争は狂気を生んでいくという事なんでしょうか。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から6時間後)
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航空機の搭乗員になるためには厳しい適正検査に合格した限られた人しかなれない狭き門でした。それに加え日本の場合は養成するにも少数精鋭主義で時間をかけて育てていくためもともと飛行機を操縦できる人数が限られていました。それが戦争が始まって大勢の搭乗員が戦死してしまい、それまでの適正基準、教育レベルを維持できなくなりとにかく操縦できる人を大量に戦場に送り出さなければならなくなりました。そのため操縦暦1年程度の22,3歳のなんとか操縦できるひとは特攻して人数が少なくなってしまった技量が高い人は残されたのだと思います。
あと命令する方の上官が特攻に参加しなかったと言われることが多いですが、操縦できる人が命令する立場にいるとは限らない場合があります。というのは飛行機の歴史が浅く少数精鋭主義のため搭乗員から指揮官になる絶対数が少なく他の兵科から転科してきたほうが多いということもありました。

  • 回答者:io (質問から6時間後)
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軍人で適齢の男性がいなかったというのもあると思いますが、老人では操縦などにいろいろ問題があったり、人生経験がありますから、任務遂行に関して疑問を持ったり、っていう事情もあるかもしれないですね。
戦争や内戦では少年兵も多く見られるのは、思想的にコントロールしやすい、
世間を知らないから任務遂行に支障なく洗脳できるという面もあるのではないでしょうか。
全ての少年兵がこのケースにあたるとは限りませんけど。

  • 回答者:知識人 (質問から5時間後)
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最初 赤紙は30代前半や20代後半に広く行き渡っていましたが 戦争が進むにつれ
どんどんと人員が必要になり、遂には学徒出陣にまで及びましたので若者が・・・・

  • 回答者:お助けマン (質問から5時間後)
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飛行機乗りですからね、その年ぐらいが適年齢ですよね。

ただ、戦争でなくなったのは、子供から老人まで多くの人が
なくなってますからね。マスコミが持ち上げすぎな感じもしますね。

  • 回答者:paco (質問から5時間後)
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適確者を選んだら必然的にそうなっただけでは。
特攻隊が組織されたのは終戦間際ですし、その頃は既に人材も欠如(戦闘に適確な方は既に戦地に赴いていたはずです)してきています。

また資材(特攻機)等も不足してきており、出来るだけ効率よく活用するにはそれなりの体力と運動能力、技術(または短期間の訓練で技術が習得できる)が望まれますので。

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他に人がいなかったから。

成人は赤紙で兵隊で出兵。

国内の成人男子は工場の基幹要員と身障者と軍人系公務員だけ。

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戦争末期には若い人しか残っていなかったからという理由。
もうひとつは成長期の無垢な青少年は現在のような情報氾濫時代と異なり限られた情報しか軍部から与えられず、軍に都合のいいようなマインドコントロールを施されていたという人もいます。
個人の自我が芽生える時期にそれを摘み取り洗脳されてしまったので抵抗できず、自分なりに自分を説得し特攻隊に参加せざるを得なかったのだと考えられます。
軍の幹部は一部を除いて生き残りを画策して参加しなかったのです。

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もう、出陣させる兵力がその方々まで使わないと間に合わなくなっていたからだと認識しています。
終戦間際には、中学生くらいのお歳の特攻隊の人がいました。知人の父親がそうでした。終戦間際で命拾いはしたのですが、その歳で訓練を受けて特攻間際だったと言ってました。
おそろしい国です。

  • 回答者:respondent (質問から3時間後)
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末期は殆ど航空機部隊のパイロットは全滅し、訓練中の若者しか操縦できそうな人が残っていなかったからだと思います。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から2時間後)
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特攻の例外として、終戦直後の中国戦線にてこんな話もあります。
ソ連の大群が押し寄せて、もしこのまま囚われたら奥さんが辱めを受けることを恐れ、軍人夫婦で飛行機に乗り、戦車に体当たりしたケースもあります。
他にも、戦闘中に飛行機が傷つき、航行不可になった時に自爆または体当たりってのは一般的だったそうです。これが特攻の原点なんですが、日本の軍人は捕虜になったら銃殺といった厳しい規則がありました。

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まず、戦地に赴いたのが青年世代が多くて(20~40代)
残っている人間の中から選ぶわけですが
すでに程よいお年頃の男性はあまりいなくなってしまって
よっぽど子供ではダメ、女性ではダメ、お年寄りではダメ
ということで、彼らがターゲットになってしまったわけでしょう・・・。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から2時間後)
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戦争開始から20代30代の人達が死んでいき、そのころ10代の子が戦争末期になって、ちょうど20歳前後になっていたからでしょう。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から58分後)
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老人だと運動神経や反射神経が劣るので、戦闘機や魚雷の操縦に適さないからでは? それに、特攻を始めたのは戦争の末期で、最初から戦闘機のパイロットを特攻の為に採用したわけではないと思う。養成に、相当の時間や労力を費やすので。もし戦争開始の時点で、特攻を考えていたなら、老人(使えそうな)も大量に採用していたと思う。

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軍の幹部は自分が特攻するのはいやだったからでしょう。大西中将かな、発案者は終戦になると聞いたあとの、最後の特攻に加わったと思いますが、他の推進者はどうしたか聞いていません。生き延びたということは自分は死にたくなかったのでしょうね、きっと。

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予科練、予備学生出身の士官の中から選抜されることになっていたので、
必然的にそのぐらいの年齢だった、ということだと思います。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312715383
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211708242
http://ja.wikipedia.org/wiki/特別攻撃隊

  • 回答者:匿名希望 (質問から7分後)
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