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日本の仏教はブッダが説いた教えとかなり違っている部分があります。例えばブッダは死ねば空、生きている今でも空といっていたと思いますが、霊魂がある、といい、空なのだから死に関わるな、といっていますが、お葬式を行います。お葬式ならまだいいのですが(故人をしのぶという意味でも)、戒名というものに値段がついています。またブッタはとにかく、自分の力で生きていくんだよ、ということを教えているようにかんじますが、お念仏を唱える教えもあります。なぜなんでしょうか?

  • 質問者:questioner
  • 質問日時:2008-10-12 21:25:07
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戒名に値段がつくのはお寺に納めるものなのかなって思います。
念仏を唱える教えは拡大解釈して原典から複雑に難しく見せて信者を集めるためでしかない。
原典はシンプルで奥が深いけど自分も原典がどれかわからない。

  • 回答者:知識人 (質問から7日後)
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仏教に限らず、宗教なんて全部そうだよ。

ときの権力者が自分に都合が言いように解釈したり、
尾ひれを付けるから原文から掛け離れていくのは仕方ない。

伝言ゲームと一緒だね。

  • 回答者:匿名希望 (質問から7日後)
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日本の仏教は、宗教というよりも文化とか習俗に近いのではないかと思います。つまり、葬式の儀礼というか様式になっているのだと思います。そういう文化的な背景の中で、生きている人たちの見栄や世間体のためにりっぱな戒名をありがたがるという習慣ができたということなのではないでしょうか。まあしかし、すべてが見栄からきているわけでもなく、親孝行としての部分も大なり小なりはあるように思われます。

坊主と乞食は3日経つとやめられないと言われるように、商業主義に陥ってしまっている宗派があるのはなんとも嫌な世の中になったものだなあと思います。

  • 回答者:無宗教論者 (質問から7日後)
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円戒という、守るべきは内面の信仰にある、というものに当時天台宗トップだった最澄が戒律を変えてしまったため。
それから、日本での仏教は宗派によってさまざま変化したが、あくまで内面の信仰であるため、念仏を唱えればいいとか果ては信じていればいいということに変わってきた。
さらに、葬式は、宗教全般に言えることだが、土着の文化と混合した結果である。
日本では死者を弔うというものが葬式というものに形を変えた。
また、戒名については、そもそも寺からの感謝の意。なので実際のところ値段については仏教側としても他の方がおっしゃっているように否定的なところもある。

  • 回答者:とくめい (質問から6日後)
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仏陀、つまりお釈迦様が、インドでお説き下さったことは、八万四千ものお経になって伝わってきています。なぜ、そんなにお経や教えがあるかというと、応病与薬の説法をされたからです。様々な人の苦悩(病)に応じて、その都度の教え(薬)を与える必要があったからです。そのお経がインドから中国へ渡り、またそれが日本に伝わって来ています。そう言った歴史を経た結果、僧の受け取り方によって様々な仏教が生まれてきました。ですから、自分の力でという教えがあったり、お念仏称えればという教えもあるのではないでしょうか。
空の教えとは一言で言えない奥が深いものがあるかと思います。
お葬式に関しては、国によっても、地域によっても、教えによってもとらえ方がかなり違っています。私も戒名料は問題だと思います。私は浄土真宗のお寺の住職です。親鸞さまの教えです。浄土真宗は戒名は使わず法名といいます。法名は生前にいただくのが本来で、名前に一切値段はつきません。ただ、故人を偲び、自らのいのちに気づかせていただくことを目的としています。
不思議に思われるようでしたら、住職など身近におられる僧侶に遠慮無く聞かれてはどうでしょうか。仏教には問答が大切です。

  • 回答者:知識人 (質問から21時間後)
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インドにあった時点にして仏教は、土着の宗教と影響しあって変化していたといいます。そのへんは『シンクレティズム』で検索してみてください。疑問が少し解決すると思います。
ついで中国での仏教ですが、伝来した仏教経典の中には偽経もありますし、言葉が違いますから伝来や写経の段階で全く意味をたがえてしまったものもあります。さらに言えば昔の偉いお坊さんが夢とか修行の果ての忘我の淵とかで独自に見出したり、仏が降りてきたと思い込んで書いたものもあるので(それってぶっちゃけ『でっちあげ』なんじゃないかと不信心な私などは思うわけですが)、相互に矛盾をはらむ原因はこのあたりにもあるかなと思います。インドから伝わった経典ばかりがお経として扱われているのではなく、中国で全く新しく生まれたものもあるんです。(それらも『仏教』に含まれているからよけいややこしいです。)
そして日本に伝わったら伝わったで権威や土着の文化が絡んでさらに変化して……後は既出の通りですから控えます。
質問者さんは『スッタニパータ』あたりを読まれたのでしょうか? であれば金銭が絡む側面に疑問を抱かれるのもわかるように思います。仏教は多様な文化を飲み込みながら絶えず変質し、だからこそ現在まで存続してきました。私はインド仏教(しいて言えば特に仏陀の言葉)と日本に伝わった仏教を同一視していません。

  • 回答者:respondent (質問から13時間後)
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伝えられる教祖の言葉というものは後に後継者・伝承者により記されたものがほとんどで、そのとおりに言ったかどうかは大いに疑問があります(今更疑問を抱いても意味がありませんが)。
経典も作られた時代の社会背景を反映しており、それぞれの経典では齟齬することがあります。中には文学作品として読むべきとするものもあります。
仏教そのものがインド哲学の永い歴史の中の一時期の風潮をピックアップしたものですが、インドから日本に伝わるまでにいろいろな物が混じり合って、日本の仏教はちゃんぽんのようです。
あまり人の言うことに振り回されないで、自分の納得できることを見つけてください。

  • 回答者:スジャータ (質問から11時間後)
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それをヒントに自分の生きる道を考えた人がいるからなのではないでしょうか?
戒名・念仏・生きているもののエゴだと思っている私は無宗教です。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から8時間後)
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仏教が日本に入ってくる前に各国でいろいろ宗派ができた上に、日本に入ってからもいろいろな宗派ができたからです。また、戒名などの葬式仏教の起源は江戸時代の檀家制度にあると思います。

キリスト教もそうですが、宗教創始者は自分で本を書かず、口頭で説教を行なっていました。仏典は後世になって伝聞が文書化されたり、後代の仏教家が著述したものです。まず口頭時代に解釈が分かれ、文書になってからもさらに解釈が分かれ、さらにときの権力者の政策が反映された結果が現在の状況です。

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教えを残しつつも、金儲けに使えるように都合良く後付けして作り上げています。
ちなみに、信者とは 儲ける と書きます。
信じる者を金儲けにしているのですよ。

  • 回答者:匿名希望 (質問から5時間後)
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ブッダの教えについては皆さんが書かれていますが、
主要な宗教の開祖は未来において自分の教えが
様々な宗派に分かれることを望んではいなかっただろうな、
(ましてや宗派間の抗争で沢山の血が流れてますし)
と思います。

個人的には善悪をきっちり分けてしまい他の考えを認めない
一神教よりは様々な教えに寛容であることが多い(例外あり)
仏教の方がマシだと思っています。
現代の日本でも隠し念仏(隠れ念仏?)の地では浄土真宗信者であることを
隠すため曹洞宗の檀家になった歴史がそのまま名残りとして残り、
両方の宗派を信仰している人も多数います。

  • 回答者:隠し念仏か隠れ念仏か (質問から5時間後)
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確実にゴータマの言葉であるとされるのは、八正道と四法印ぐらいです。
仏教経典と言われる物は皆後世の弟子達がゴータマの心をおもんばかってつくったもの。なざれのイエスもローマ教会の存在を知ったらどう思ったでしょうか。免罪符なんて噴飯物ですよね。

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◎仏教が我が国に入ってきたときは、仏陀の教えがアレンジされたものが渡来したと言っても、それほど基本は異なるものではなかったと思われます。しかし、江戸幕府になって、仏教が統治の一手段となってから、その性質は変わったと思います。

◎さらに、廃仏毀釈と明治政府の政策で、お寺さんは、その存在を否定されてしまい、その後は、政策は変わってゆきましたが、その時の後遺症で、経済的に成り立たなくなり「葬式仏教」となってしまったと言えるでしょう。

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ほとんどの宗教でそのようなことは起こっています。
たとえば、宗教者が妻を持つということについて、同じ宗教の中でも、禁じているところも、許可していることもあります。
ブッダはどうだったか?キリストはどうだったか?
もとの教えが元のまま残るというようなことはリアルタイムで生きていない限り、
不可能ですね。
時代とその土地の文化とで変化していくものです。

ブッダは、自分の力で生きていくというより、他のものとの因果関係や縁を説いていますね。念仏も、救いを得る手段の方便として考え出されたものと思います。

戒名に値段がついているのはどういうシステムかは私は知りませんが、
日本の仏教が葬式仏教として、葬祭を引き受けてきたからでしょう。

  • 回答者:お助けマン (質問から2時間後)
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仏陀の唱えた仏教は現状では小乗仏教に当たり、個人の解脱を目的としています。
大乗仏教は民衆の救済を目的としていますが、これは仏陀が死んで2~3百年後に
誰かが教義を変更して発生したものなので全く異なります(ただし大乗仏教でも
禅宗のように先祖返りしているものもありややこしいですが)。
小乗仏教の教としておおまかにはquestionerさんの認識で正しいと思いますが、
大乗仏教は全然違うものとして考えた方が良いです。
ちなみに戒名に関してですが、戒名自体はある程度古くからありますが、今日の
ように字数で値段を変えるなどをやり始めたのは、江戸時代になり檀家制度が定着し、
寺が葬式屋になってしまってからの事です。
あと念仏に関しては民衆の救済が目的であり、絶対的存在である阿弥陀仏に救い
を求めるのが念仏です(南無阿弥陀仏の南無とは~に帰依するという意味です)
要するに苦しい修行は出家でもしない限りは不可能であるが、それでは普通に
働き、生活している民衆は救う事ができない、そのために念仏を唱えれば阿弥陀仏
が救ってくださるというのが念仏です。
(ちなみに日蓮宗の南無妙法蓮華経というのは法華経に帰依するという意味です)

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最初の仏陀の教えを自分なりに解釈して新しい宗派を開いた人がいるからなのではないでしょうか。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から29分後)
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仏教の伝来にも、大乗仏教と小乗仏教があり、、そこからいろんな宗派ができて、なかにはお坊さんも人間のことなので、いきるためにお金に結びついて、戒名に値段がついたりしておかしいですね。
ブッダは金持の子供でやさしかったんですね、貧しい人に施しや、気持を豊かにして、生きるむつかしさを気持の持ち方で自分自身をゲンキにさせて生きていけるようにしてくれたと思います。
どんな宗教もじぶんが生きていくための糧なんじゃないでしょうか?

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日本人は宗教や文化を原型そのままではなく、原型ものこしつつ、
自分たちに受け入れやすいように、生活に根付きやすいように
変形させて日本独自のものに変化させているようです。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から18分後)
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これは平安時代に法然によって念仏をとなえれば誰でも極楽浄土にいけると説いたためだと思います。当時は末法思想が流行っていた時代で、難しい経典をより簡単な言葉にほうが、民衆にわかりやすく信じやすかったと思います

  • 回答者:mobi (質問から10分後)
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日本だけではなく世界中に広まった宗教ですので、元の経典を解釈して開祖者が独自の宗教観や理論で開いたのが宗派です。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から9分後)
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なぜでせうね。宗教を隠れ蓑にしてお金に群がるなまぐさ坊主や宗教人があまりにも
蔓延ってしまったからでせう。末法の世の中になりはててしまったものです。

  • 回答者:末法の世を憂う (質問から6分後)
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