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江戸時代の内陸部への塩の供給はどのようにしていたのでしょうか。

江戸時代の塩は、海水を砂地に撒いて(塩田)濃度を濃くしてから釜で煮詰めて作っていました。
海のない藩は、塩が作れませんから牛馬で塩を運んで、取引をしていました。
今でも「塩の道」とか「塩街道」って言う言葉が残っています。

越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄とが川中島で何度も戦ったときに甲斐の国には塩がなくて困っていたときに、上杉謙信が「敵に塩を贈る」という人道的な行為をしたという逸話は有名です。

赤穂浪士で有名な赤穂は、日本でも一番の塩田を持っていて国が栄えていたことで、吉良が僻みから嫌がらせをしたという説も残っているくらいに塩は貴重品だったみたいです。

  • 回答者:知識人 (質問から17時間後)
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馬に担がせて荷役しておりました。

塩街道と呼ばれております

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牛馬に背負わせたり、馬車を引かせて塩漬けした海産物とともに運んでいました。
広重などの描いた版画絵などにも見ることが出来ます。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から11時間後)
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利根川を船で運び上州倉賀野で荷揚げされた塩を運ぶルートがあります。
碓氷峠を越え中山道を通って下諏訪・上諏訪、北国街道上田を経て保福寺街道で松本へ、和美峠・内山峠・十国峠を越えて佐久路へそれぞれ運ばれたらしいです。

いつもはこの時間にあまりお見かけしない早起きさんが今日は遅くまで起きてらっしゃいますね。

  • 回答者:匿名希望 (質問から26分後)
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馬に乗せて運んでいました
糸魚川から、松本方面に塩を運んでいた道は今でも塩の道と呼ばれていますよ

  • 回答者:匿名希望 (質問から16分後)
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人力や家畜の力を使って運んでました。
信州にある塩の道は当時塩を運ぶために使っていた
街道のことです。

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