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質問

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第二次世界大戦について教えてください
①「日本は戦争に立ち上がった」これってどーしてですかね?
○○○○だから立ち上がったなら理解できるのですが…
②防衛戦争だとか、植民地開放だとか、韓国や満州に税金投入し、
鉄道・病院・学校などを建設し、助けていたのは本当ですか?
それにしては、うらまれてる気が…
③日本が窮地に追い込まれていたのはどーてしか
攻めるしか手段がなかったとか聞きましたが…
④一方で日本軍は赤十字も無視する残虐ぶりだったと聞くのですが
本当のところって、どーなんですかねえ
※早見表などあると嬉しいです
※学校の授業で教えている程度のレベルでいいのでお願いすます。

  • 質問者:telnet
  • 質問日時:2008-11-11 01:01:38
  • 0

①日本は資源がなく他国から輸入してましたが、それを絶たれたから。
②本音と建前ですね。
日本以外のアジア圏は大抵どこかの白人社会に支配されてましたから、日本人が来た事で同じアジア人が開放してくれると喜んだのは確かですが、日本としては、やはり資源ほしさで植民地・日本化したかったんでしょうね。
③資源が尽きてきたからです。
④これは一概には言えないと思います。今現在怨まれてる事も事実ですが、感謝されている事も事実です。

  • 回答者:お助けマン (質問から26分後)
  • 2
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参考になりました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

わかりやすい回答で助かりました。
ありがとうございます。

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1)立ち上がったというより、戦争をせざるを得ない状況に追い込まれたというのが近いですね。

2)いわゆる大東和協栄圏、八紘一宇といった思想ですね。恨まれているのは人種差別が原因です。

3)窮地に陥ったのは、当然です。戦争というのは大量消費です。資源の確保と、確保した資源を活用する工業力・技術力の差がものをいいました。

4)これはお互い様です。赤十字を掲げた仮装病院船もあったと言われています。

  • 回答者:respondent (質問から24時間後)
  • 2
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参考になりました。回答ありがとうございました。
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子供でもわかる「なるほど」という回答を探しておりましたので、
こちらも大人向けな感じがしまいた。
ありがとうございます。

ある一面ですが・・・

輸入を止められたとも聞いています。

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回答ありがとうございました。
お礼コメント

ありがとうございます。

①中国や韓国を列強の好き放題にさせておいては、
いずれ日本も攻め込まれる、という強迫観念か、あるいはそれを逆手にとって、
日本も帝国主義として参戦していったのだと思います。
「アジアの義士」というような喧伝は建前に過ぎないと思います。

②インフラの整備は、あくまでも自分達のためです。
日本から満州国などに移り住んだ人たちの生活のためです。

たしかに現在でも、橋などのインフラがそのまま使われている
ことも多いですが、そういった「侵略された象徴」に感謝する人はいないでしょう。

③「ロジスティクス」の概念が無かったからではないでしょうか。
生産能力、輸送能力がアメリカと比べて劣っていたと思います。

④確かに南京での虐殺の写真が捏造であるとか、
虐殺された人数が大きく事実と異なっているとか言われていますし、
侵略された側は事実を大きく言うし、
侵略した側は事実を小さく言うだろうし、
詳細は、その場にいた人しかわからないはずです。



  • 回答者:Sooda! くん (質問から14時間後)
  • 1
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やや参考になりました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

ん~~~~~
「インフラ」とか「ロジスティクス」とか
ちょっと自分にはむずかしすぎた回答でした
ありがとうございます。

①日本軍の中華民国への侵略をすすめ、さらにインドシナへ侵攻したことから、米国が資産凍結、くず鉄・原油の禁輸を行ったため、資源を求めて戦域を広げ、その結果として米英と戦争を行わざるを得なくなった。
「○○○だから立ち上がった」ということが、自らに非があるために、堂々とは言えないためです。

②①にも書きましたが、現地軍部の独走(軍中央はもとより、天皇も認めていない軍事行動)を事後承諾という形で認め、侵攻に対して相手国にとって了解できる軍事行動ではなかった。
防衛戦争・・・大日本帝国に対して、軍部が恣意的に中蘇米英が本土に攻め込むに困難な範囲はどの程度かを線引きし、それに基づいて占領を行おうとした。その占領のための侵攻を、便宜的に防衛戦争と言った。
植民地解放・・・遅れてやってきた帝国主義国大日本帝国は、欧米の帝国主義を模倣して植民地獲得に走ったが、軍縮、国際連盟、等の帝国主義からの脱却が行われようとするなかで、独逸の優勢にまどわされ踊らされた結果、一層帝国主義(植民地主義)となり、自らが欧米の植民地を略奪するための理屈付けが「植民地解放」だった。
朝鮮・満州・台湾への投資・・・確かに事実ですが、中国がチベットへ行っている事と大同小異な事を行ったわけで、それぞれの国、地域の人々の為というより、大日本帝国、特に軍部・財界が活動しやすいように投資したわけです。

③①がある意味では、諸悪の根源であります。
開戦後、シーレーンの確保をおろそかにし、南方からの資源が全くといって良いほど運ばれて来なくなった。国力の差というものを、軍部上層部と政府は無視し、船舶(軍艦ではなく資源等を運ぶもの)消耗は目を覆うばかりの状況となった。
※たとえ資源が届いたとしても、産業力に劣っているので、資源を有効に使うことは出来なかったと思われる。
陸軍は、仮想敵国をソ連としていたが、戦闘が起きる事は、太平洋戦争の開戦時にはあり得ないのに、満州に大量に師団を張り付かせた。また、中華民国は攻めれば降伏すると、日清戦争時と同じ感覚(国際情勢を見誤った)で中国大陸に侵攻し、これもまた大量の師団を投入して、他の戦域に必要な師団を回すことが戦線の膠着で出来なくなった。
攻めるということは、引くということも考えて、実行をしなくてはならないが、どの時点で引くかというのを、全くといって攻める時点では考えていなかった。
軍の運用について、大艦巨砲主義で凝り固まり、航空主導の首脳が一部であったため、戦場での指揮官が戦闘目的を理解できず、真珠湾攻撃ですら戦艦への攻撃で終わってしまった。自軍の被害が多いと考えられても、後方支援施設への攻撃を行うべきだった。これは、トラック島やフィリピンで壊滅的な被害を受けたことが象徴していると考えられる。
攻めることは考えても、守ると言うことが疎かとなり、「一式ライター」、「馬鹿ボム」等の防御無視の兵器を開発し作り続けた・・・等々

④戦争は残虐なもので、日本は負けたので、残虐行為があれこれと表に出ますが、連合軍も残虐行為は、暴露されないだけであれこれやっています。
しかし、「死して虜囚辱めを受けず」という戦陣訓。戦時での捕虜の扱いについての国際条約を批准しながら、それについて師団長クラスは理解できていなかった(知らなかった)わけで、それでは、下部での行為について責められないと思います。
捕虜が大量に生じても、食料はなし、施設はなし、、、バターン死の行進は、そのような状況から生じた悲劇ですね。
※インパール作戦は、自軍を死の行進させた愚かな作戦で、軍司令官の責は重い・・・

書き出せばきりがありません・・・このへんで・・・(・_・)(._.)、

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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

たぶんこれがベストなのかもしれませんが、
自分には内容のレベルが高すぎでした。
ありがとうございます。

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