教師の体罰は認めます。
なぜなら、未熟な頭の子供に対して、善悪を言葉で諭し理解させることには限界があるからです。
子供の性格と頭の能力によって理解力の程度には差があります。1度注意しただけで言うことを聞ける子もいれば、何度言葉を変え品を変え言い聞かせても理解出来ない子というのは確かに存在します。言葉で善悪が理解出来ない、となれば、あとは体の痛みで知ってもらうしか方法はないように思います。
善悪の判断がつく大人の世界でさえ、悪いことをしたら刑罰に処される、という法の縛りがあります。大人でさえ悪いことをするのです。そんな大人よりも未熟な子供が、刑罰の対象にならない年齢だから何をしても罰を受ける謂れはない、というのはおかしいと思います。
ですから、学校の規律に違反した、それに対する反省の色がなく、教師の言うことに聞く耳をもたぬ生徒に対しては、やはり体罰は必要だと思います。
とはいえ、現代は「体罰はいけない」「子供には言葉で諭さないといけない」と叫ばれるようになりました。しかし、それで果たして子供が皆良い子になったか?といえばむしろ逆で、昔に比べ、子供の質は著しく下がったと感じるのは私だけではないと思います。
「昔は体罰が怖いから子供は嫌々大人のいうことを聞いていただけだ」と異論を唱える方もいらっしゃるかと思います。確かにそういった側面もあったとは思いますが、「叩かれるのが怖いから・・」と子供が悪いことをしなくなるのなら、それもありだと私は思います。
子供が何かを恐れる気持ちって大事だと思うんです。例えば、暗闇が怖い、誰もいない場所はオバケが出そうで怖い。それは、子供を危険な場所へ行かせないための、昔の大人が作り出した素晴らしい知恵です。また、怖いことをしたら叩かれる大人を恐れるということは、恐れ=畏れ=畏敬=尊敬 につながり、社会の秩序を生み出します。そういった「恐れる」機会が今は減ったので、今の子供達はおかしくなっているのだと思います。
また、教育の現場は、1人の教師が受け持つ生徒の数が多いので、1人1人に手厚く指導する余裕がありません。ですから、何か突発的な問題が生じた場合、迅速に問題を解決するには体罰を用いるのが妥当な場合も多々あるのは想像に難くないと思います。例えば、親でさえ、自分の2人の子供が取っ組み合いのケンカを始めたら手が出ます。それが、その十数倍の子供を1度にみている教師であるなら、優しく言葉で諭すなど不可能に近いと思います。
そういったことを含め、教師が問題のある子供に対して体罰を行なうのは非常に妥当だと思います。
ただ、これだけは教師に勘違いしないでほしいのは、体罰によって子供が怪我をした場合。その時点で教育的体罰ではなく単なる暴力になるということです。頭・顔は人間にとって1番大切な部位です。そこを叩くのだけはやめてほしいです。また、加減が分からない教師には体罰を用いて欲しくない、とも切に思います。
===補足===
体罰反対と唱える方は一様に、「子供が理解するまで根気良く、愛を持って、善悪を言葉で諭しましょう!」と教師に言います。それも勘違いしないで欲しいのですが、それは親の役目であって、教師の役目ではありません。家庭でその点がきちんとしつけされていないから外で子供が問題を起こし、教師が大変な思いをしているのです。