四国に住んでいた時父親が出稼ぎに北海道へ行っていて、
母親ときょうだいで夏休みに行きました。
当時はまだ宇高連絡線(岡山宇野-香川高松)もあったし
青函連絡船もありました。
新幹線には岡山から東京まで乗りました。
それでも1日半の日数が必要で東京からは寝台列車です^^;
新幹線はテレビでしか見た事がなくてカッコイイって思いました。
いまののぞみのような形ではなく、やまびこのような形で
先っぽの鼻が丸くて車体はシャープ。
東海道新幹線なのでブルーのラインがこれまたカッコイイ。
でも、今も帰省ラッシュの時は乗車率200%とかですが
当時はそんなものじゃなくて300~400%だったと思います。
座席の間に新聞紙を引かせてもらってそこに座ってる人も
当たり前に居ましたし、通路は売り子さんが来るたびにみんな
新聞紙を取って立ち上がって座席の間に避けてたりしました。
出入り口のところもそんな感じででしたが、
汽車が普通だった時なので「なんて静かで揺れないんだろう」
と一種の感動でした。
当時は「ひかり」「こだま」だったのですが子供心に
「夢の超特急」というのがまさにこれだ!と思う乗り物でした。
もうすぐ最後の0系が出発する日になりますね。
息子も新幹線が大好きなのでのせてやろうかと思って
岡山-博多間を・・と思いましたが指定席は窓口に
3番目に並んでましたが売り切れ。買えませんでした。
自由席は3歳の息子連れて乗るのは厳しいかと思うので
テレビでさようならをしようと思ってます
40代前半の男の思い出でした。
- 回答者:さよならひかり号、こだま号 (質問から4時間後)
-
0