すべてのカテゴリ » アンケート

質問

終了

明日は12月14日 赤穂浪士の討ち入りの日です・ いわゆる忠臣蔵ですね・
あの行為は皆さんどう思いますか?

  • 質問者:ZEEG
  • 質問日時:2008-12-13 22:49:58
  • 0

並び替え:

47士の行為は、当然とも云えますし、あそこまでやれるのかと云った感じです。喧嘩両成敗せず、浅野家とり潰した幕府が起こしたと云えます。不思議なのは、現代以上に警戒の厳しかった江戸市中を47名の者が、武装して吉良邸ヘたどり着けたか。きっと、幕府上層部から、通過させよとの指示が出ていたと思います。赤穂は、4回位行きましたが、山桜が綺麗で、魚の美味しい町です。又、塩業技術を基にした化学産業も盛んです。お城は塀が残っています。

  • 回答者:阿呆浪士 (質問から7日後)
  • 2
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

武士としての意地を張っただけの行為のように思います。
浪士の家族はその後大変な生活が待っていたのですから。

  • 回答者:匿名希望 (質問から6日後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

武士の面目を守るためですから、有り得たことではないですか。
現代の基準では判断出来るのもではありませんね。

ただ、浅野内匠頭という殿様は相当な短気者でちょっとしたことで自分の叔父にも切りつけたらしいですね。
忠臣蔵という物語になって勧善懲悪のストーリーになったものを私達は見せられていますので吉良上野介が本当に悪人だったかは分かりませんね。
一説によると意外と信頼が厚く出来た殿様だったといわれているようです。

この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

大石内蔵助等赤穂浪士が取った行動は、 喧嘩両成敗という、それまで武家社会で確立していたのを将軍綱吉とか、柳沢吉保が破ったための義憤でしょう。
 
 平和の時代を迎えていた元禄時代にあって、赤穂の武士も好き好んで戦いたくはなかったのでしょうが、武士の一分がまだ残っていたのでしょう。

 幾ら、江戸城の松の廊下で刀を抜き、人情沙汰を起こしたとはいえ、一方は、家督取り潰しで、一方は、隠居ではあまりに片手落ちの裁決であったかもしれません。
 だから、江戸庶民は四十七士に大喝采を送ったのだと思います。

この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

喧嘩両成敗をしなかった事が第一の問題でしょうね!
吉良が地元(群馬ではありませんよ、愛知ですよ)では名君であっても、やはり赤穂の塩の製作方法は欲しかった、それを無下に断られてしまった、、
それで、将軍の接待の時に。。。。と小説等ではなりますが!
あの時代、お家断絶となると、家臣は路頭に迷う事になります、
今で言う、会社が倒産、次の就職先は無しです。
なんか、今の情勢と凄く似てるのが怖いですが、、
で、そんな中でも、赤穂藩には塩で儲けたお金があった、それを全て家臣への退職金して配布(当然、大石は別に蓄えを保留)
何年もかかって、皆が江戸にて決起
判ってても誰も抑えなかった、あの上杉家ですら、援護はしなかった!
庶民感情が、かなり政府(幕府ですね)から離れていた。
庶民の不満を爆発させずに済ますベストな選択肢があれだったと、、

今の時代と酷似、皆で自民党/役員/官庁へ押しかけてって、、、そんな感じのデモって所でしょうか!

法律違反だけど、皆が支持をしたって、そう理解してます。

  • 回答者:鈴鹿の風 (質問から11時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

武士の世界では喧嘩両成敗でした。 幕府はちゃんと処罰をしなかっことは事実でしょう。
忠臣蔵では、悪役である吉良は自分の領地では名君と呼ばれた人物でした。
その名君だった人物が、何故討ち入りされて殺されなくてはならなかったのか?
浅野の松の廊下での狼藉の真実は不明であり、吉良に非があったのかどうかも不明です。
赤穂の浪人が、江戸市中で夜中に屋敷に押入り、騒動をおこして騒がしたのも事実です。
後に、芝居になったことが、今では毎年恒例のテレビ番組でドラマ化されて、赤穂浪士が正義の味方扱いされておりますが、金品は奪わなくても、屋敷に押し込みに入り、人を殺傷していること事態、正義のように扱っていることに疑問に感じますね。
普通なら、徒党を組んだ、ただの犯罪集団として扱われるのが真実だと思います。
もし、幕府がちゃんと双方を処罰していたら、このような騒動はなかったのは確かでしょうね。

  • 回答者:魔法少女ドレミちゃん (質問から3時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

「忠義」といえば、聞こえはいいが「犯罪行為」である
多数で徒党を組んで押し入った
幕府への反逆行為です
とうより裁きに対する不公平から決行したものだといわれている
が、本当に「内蔵助」はあだ討ちしたかったのだろうか?
行為自体は「野蛮」なので賛成しかねる

  • 回答者:シゲ (質問から2時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

忠義の面から見れば崇高、しかし復讐であることは変わりなく生産性はないですね。
但し、自分が浅野家の家臣だったら、やってるでしょう!
(理屈よりハートで動いてしまうので♪)

この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

あれはいざ仕方ないものと思います。
大人のいじめと、権力を勘違いするものは嫌ですね。

  • 回答者:匿名希望 (質問から2時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

話の流れからしたら あっぱれ。 って所かもしれませんが
殺された吉良側が更なる報復をしたら 終わりの無い戦いが続いちゃいますからね。
仕返しはいけないと思います。

  • 回答者:匿名希望 (質問から2時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

討ち入り自体は、カッコよいと思いますが、

恨みを戦いで、晴らすのは、また、次の戦いを生みますので、

行為自体には反対です。

  • 回答者:イルミマン (質問から59分後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

1970年代にアメリカで日本文化がブームとなったとき、いわゆる時代劇も多く「輸出」されました。このとき、アメリカの新聞で『忠臣蔵』がunfairな作品だと指摘した学者がいました。アメリカの仇討ち(敵討ち)は西部劇で見る限り1対1ですから、一人の年寄りを47名が襲うというのはunfairに見えたのでしょうか。
 フィクションだったら面白い話ですが、実際行われることに対しては懐疑的になります。何といわれようが、もちろん私は参加しません。

  • 回答者:しらけ鳥 (質問から55分後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

忠臣蔵の映画やドラマで、吉良上野介は悪人の様に描かれていますが、地元の群馬県吉良町では治水事業や堤防の建設等を行ったりして、名君であると言われています。
赤穂浪士の討ち入りの日になると、吉良町の人は肩身の狭い思いをしているでしょう。

  • 回答者:松の廊下 (質問から53分後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

お家再興を狙った「一世一代の大博打」だったと思います。
当時の法から言ってもテロ行為として処分される可能性は充分にありました。
そして、本当に処分されてしまいました。
浅野大学がお預けの身になり、お家再興の希望は絶たれたかのように思えますが
そこは、今の時代とは異なり将軍・綱吉の鶴の一声が絶大だった時代です。
これが幕末のように将軍と雖もゴリ押し出来ない時代だったら起こらなかった
ろうな、と思います。
将軍・綱吉は浪士の処分に相当頭を痛めたようですが、このような意味でゴリ押しで
浅野内匠頭を即日処分した事が自分に返っていったと見ています。

この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

その当時にいて、参加を言われたら参加します。
それが主君と家臣の関係だからです。
確かに家族の事もありますが、あの当時で参加しないとなれば
新しい主君にホイホイと仕えるほうが武士としては終わっている
ように感じます。
世間体もありますが、当時はそういう事柄をないがしろにする
人間には冷たい社会で、逃げたところで家族にも居場所がないですから

今の時代でしたら、参加はしません。
主君と家臣というのを企業に当てはめても
それに値するほどの主君というのに仕えるなんてないと思いますし
体裁を気にしなくていいからです。

  • 回答者:今と昔 (質問から25分後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

私は参加しません。
当時参加しないのは、反感を買ったでしょう。けど、そんなことをしたところでどうなるものでもないと思います。一種の復讐です。

  • 回答者:匿名希望 (質問から16分後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

自分が赤穂浪士だったら仇討ちには参加しないです。
当時の雰囲気としては蔑まれたと思いますが、死にたくないですし、結局家を再興することも出来ていないわけですし、仇討ちしても仕方なかったわけですよね。
勿論、仇討ちが成功して、そのことを咎められず、逆に賞賛され、単に許される以上の待遇を得る可能性もあったのですが、そうなるかもしれないと思って討ち入りした人はいないでしょう。
まさに時代の変わり目の出来事なので、人々の価値観も定まったものではなかったと思います。

  • 回答者:TK (質問から12分後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

私が浅野の家臣なら連判状に署名したと思います。
なので賛成。

  • 回答者:匿名希望 (質問から4分後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

いろいろ言われていますが、ドラマほど忠臣ではなく、
一種の就職活動だと習いました。
ちなみに史学科です。

  • 回答者:匿名希望 (質問から3分後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

関連する質問・相談

Sooda!からのお知らせ

一覧を見る