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マイナーな質問ですが、日本の各地に丹生という地名があります。
水銀が採れたということらしいですが、詳しいことをご存じの方、教えていただけないでしょうか。

  • 質問者:旅人
  • 質問日時:2009-03-31 21:28:51
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以前「丹土」という言葉で検索したページに「丹生」に付いても書いていたので参考にして下さい。
http://homepage2.nifty.com/amanokuni/hani.htm

  • 回答者:宗介 (質問から8時間後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

丹生鉱山(にうこうざん)と呼ぶらしいですね。
三重県多気郡多気町に所在する水銀鉱山で
産出された水銀は仏像のめっき、建造物の朱塗りに使われ
東大寺再建には丹生(にう)水銀2万両が献納されたそうです。

  • 回答者:haru (質問から2時間後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

水銀が日本で産出されていることは知っていましたが、詳細は、以下にこぴぺ編集しました。(丹生の民族と言う資料です)

朱の呪術
葬る遺体に施朱をする風習があった。再生を願う風習は、北海道南半部から東北北部と九州北部の二ヶ所で、縄文後期に登場。九州では弥生時代に引き継がれていったが、北部では終焉した。


朱の原料
 天然の赤鉄鉱を砕いた鉄丹(ベンガラ)は縄文早期、同じく辰砂を砕いて得る水銀朱、他に鉛丹等が主な原料である。辰砂は硫化水銀である。常温で液体の水銀は、天然に存在するが、多くは辰砂を製錬して入手する。


丹生氏と丹生都比売
 辰砂を産出する水銀鉱床群の分布する地域には丹生、丹生川、丹生神社が同じように分布している。祭神は丹生都比売神で、辰砂の産出を司る女神である。丹生都比売の祭祀には丹生氏があたった。施朱に使うには、辰朱を細かく砕いて遺骸をつつんだのであって、水銀にまで昇華させる必要はなかった。

 施朱の風習は古墳時代前半には終わり、更に金製品が渡来し、国内でも金製品や鍍金製品が作られ始めた。金と水銀に溶かし込んだアマルガムを銅などに塗り、これに熱をかけて水銀を蒸発させると、表面に金がしっかりと食い込む。この時代になると水銀が必要になってくる。6世紀の頃である。

 辰砂の採取を司る丹生氏は、水銀製錬・鍍金の技術を持っていなかった。この技術を持ち込んできたのは秦氏である。辰砂と水銀の利用の主役は秦氏に移り、丹生氏は丹生都比売を祭祀する神官となった。秦氏もまた、丹生の地名、丹生神社の鎮座地に多く分布している。

  • 回答者:匿名 (質問から14分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

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