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すばらしい能力(才能)があっても、指導するのはうまく行かないと言うのはわかる気がするのですが、その逆はなぜなのでしょうか。指導できると言うことは、自分自身も指導できると言うことではないのでしょうか。
自分には無理でも他人に対して発揮できる能力と言うのは、他人の為と言うことでしょうか。

  • 質問者:とみや
  • 質問日時:2013-05-13 22:57:00
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自分の能力を存分に発揮する才能。
他人の能力を存分に引き出してやる才能。
この二つがまったくの別物だということが原因でしょう。

  • 回答者:匿名希望 (質問から6日後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

それは簡単。指導する能力(才能)があるかどうかです。
プロスポーツで例えると非常にわかり易いですが、一流選手は名監督になれない例も多いです。それは指導する才能とスポーツの才能が別のものだからです。

そして平凡な選手、下手をするとプロ出身でない名監督が存在する理由もそこにあります。
そのスポーツ自身の才能はなくとも、理論や戦術を構築する能力、ゲームの流れを読み、的確に手を打てる能力の優れた監督は存在します。

これはある程度すべての仕事に共通することです。
まあ平たく言えば、人を使うのがうまい人、使われるのがうまい人に分かれ、使われるタイプは指導者には向かないと言うことだと思います。

  • 回答者:匿名希望 (質問から11時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

一番は自分が育てという自己満足。自分のため。

  • 回答者:匿名 (質問から4時間後)
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

鍛冶屋 は、一流の料理人に・・・

その能力がないが ある人に対して 教えることはできる。

あるかないかを判断できる 能力がある。

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参考になりました。回答ありがとうございました。

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