ここで回答するのもためらったのですが、私は兵庫県の被差別部落ではない地域出身で、大阪の被差別部落の方と結婚しました。
小学校では同和教育の記憶はありません。
あったのかもしれませんが自分事ではなかったので覚えていないだけかもしれません。
そして高校時代の友人が部落差別をする人でしたので、それからはなんとなく意識するようにはなりましたが、差別的な発想は皆無でした。
そして同和地区の方と知り合い結婚しました。
両親にはあえて同和地区の方だとは言いませんでしたが、家業などを聞いて気づいていたようですが、私の選んだ人なので反対はありませんでしたが意識はしているようです。
夫は家業を継いではいないので普段は同和地区出身者ということを意識することはありません。
今のところ私自身差別を受けた経験はありません。
これから私の子どもが差別を受ける可能性がないとは言い切れません。
その時に子どもにどう教えるかはこれからの課題となります。
夫が差別を受けた経験があるかどうかはわかりません(そういった話をしないので)
ただ、差別を受けないように小学校受験をして、地域の公立には行っていなかったらしいので、公立に行っていればそれなりの差別があったのだと思います。
就職時には多少差別はあったかもと感じているようです。
わりといい大学を出ているんですが、ことごとく就職試験には落ちたのは出身のせいかもしれないと言っていたことが1度だけありました。
確かに同和地区というだけでいろんな利権・恩恵が過去には多くあったようです。
夫の両親は当時はかなり贅沢な暮しをしていた話を聞きましたが、今はそんな恩恵もなく家業をついでいる夫の兄弟は苦しい生活をしています。
もっとも、それが本来の仕事に見合った(というと語弊があるかもしれませんが)収入なのだと思います。
余談ですが夫の実家付近は家こそ大きいですが、道は驚くほど狭く車1台が通るのがやっとといったひどい道路がたくさんあります。
それだけ整備を後回しにされていたのだということを実感します。
質問の趣旨からそれた回答ですみません。
ただ、ここをご覧の皆さんに知っていただきたいことは、同和地区だから何か特別なことは何もありません。
利権・恩恵を受けている人は極々わずかです(そのわずかが問題なのですが)
そしてその昔には権利・利権を声高に訴えなければまともに人間らしい生活をすることすらできなかった時代があったのです。
それを今でも訴えているのをよしとしているわけではありません。
時代とともに同和地区・被差別部落という言葉も歴史上の言葉になる日が早く来ることを望んでいます。