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臓器のドナーに登録しており、心停止はもちろん脳死になり次第、可能な限り全ての臓器を提供したいと思っていますが、母に反対されています。
 どうせ腐らせるか燃やすかなので、使う人がいるなら使ってもらわないと勿体無いと説明しても「馬鹿な事を言わないで!」と、聞く耳を持ってくれません。
 そこで質問です。

◎ドナー登録(白菊会でもかまいません)している皆さんの動機を教えてください。(私の場合は「勿体無い」)
◎ドナーに反対の皆さんは、なぜいやなのですか?(御自身・御身内かかわらず)
◎ドナー希望者で御身内に反対された方、されている方、何と言って説得しましたか?

 ドナー登録をしていても、いざというときに遺族が拒否したら提供ができないと聞いたので、この質問をしています。
 母を説得できるきっかけになればと思います。
 皆さんどうかよろしくお願いします。

  • 質問者:DDD
  • 質問日時:2008-06-02 02:20:41
  • 0

私はドナー登録していませんが、将来登録しようと思っています。

それは、
『最期に誰かの役に立てるならば、力になりたい。
 その結果、誰かの命が助るかもしれない。
 自分という存在はなくなっても、
 誰かの命と共に自分の一部が生き続けていく…』と考えるから。

世の中には、色んな病気で苦しんでいる人が沢山います。
自分の知らないところで、自分の知らない病気で、
日々、苦しみながら生きている人達がいる。
その中の一人でも、救えるのであれば、すばらしいことではないかと思います。

お母様が反対されるのは、やはり
「お腹を痛めて産んだ子供に傷をつけたくない」と考えるからでは?
(それと、「もしかしたら意識が戻るのでは?」と願うから)
そのような考えの人に対して説得するとき、
「もったいない」という表現は逆効果のような気がします。

(※「どうせ腐らせるか燃やすか…」という表現を使ったかは分かりませんが、
  これは”モノ”としか見ていないような表現に感じてしまいます)

病気で苦しんでいる人達の存在を説明したり、
言葉を選んで説得したほうが良いと思いますよ。


自分じゃなくても、もし、家族・大切な人が
「臓器提供しか生きる道がない」となったら、
誰でも、
「最善を尽くして助けて欲しい!」と願うものですよね。

「そういった人達の役に立ちたい」とか
「もし、自分が病気で臓器提供しか生きる道がないとなったら、お母さんはどう思う?」
「世の中には臓器を必要としている人が沢山いるんだよ…」というような言い回しもあるかなぁ?と思いました。

  • 回答者:りん (質問から2日後)
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りん様、御回答有難うございます。
 言葉を選んでですか、そうですね、痒くて死にそうになるでしょうが、そういった言い回しの方がいいのでしょう。
 特に「もし、自分が病気で臓器提供しか生きる道がないとなったら、お母さんはどう思う?」あたりなら、わたしも言いやすいと思いますし・・・。

 でも、こういったことをきちんと言えるりん様は、きっと愛され大事にされて育ったのでしょうね。
 そんなりん様のご両親なら、きっと理解してくださると思います。

並び替え:

お答えになるかどうか分かりませんが,
義父が白菊会に献体したい旨,私に相談し,
私が大学から資料を取り寄せたことがありました.
義父は純粋に医学生の勉強のために自分の身体を使って欲しいと
思って,家族は賛成しましたが,
夫の兄だけは大反対でした.
曰く,なくなったときの手続きが面倒,
ちゃんとご遺体にお別れが言いたい,
大学そのものを信用していない,等の理由でした.
白菊会は最低でも配偶者と子どもの承諾書はとりますから,
その時点でこの話はなくなりました.

白菊会は,当時は70才以上でなければ
登録できませんでしたが,
私が70才になっても,多分登録はしないと思います.
これは単にのこされたものへの気遣いです.
多分,子どもは遠くにすんでいるであろうし,
大学病院自体が遠いし,
きっと私とゆっくりお別れしたい人がいるだろうと言う
希望的観測の元に,
献体はしません.
ただ,大学病院では毎年必ず献体をしてくださった方々への
慰霊祭を行いますし,
学生たちも「ご遺体」と呼ぶように躾られ,
むげな扱いをしないことだけは書き添えます.


ドナーに関して言うと,
私はドナー登録をしません.
これは自分なりの哲学があって,
脳死状態でなければ移植ができない医療は,
医療の範疇を越えているからだと思うからです.

(私は子どもの出産直後,「心臓に欠陥があるかも知れない」と
告げられたとき,正直,子どもを天にお返しする覚悟をしました)

人間,できるから何をやってもいいとは,私は思いません.
夫も私と同じ考えです.
ただ,脳死状態でなくとも,摘出と移植が可能な
腎臓と角膜については,
ちょっと悩んでいるところもありますが,
最近はこの方面は宣伝不足の感が否めませんね.

医療現場で一番困るのは,
脳死での臓器移植を望むドナーカードを持っていることを,
御家族の方が知らないケースです.
多くは,事故や事件など,
家族が心の準備ができていない状態で,
救急医から「患者さんがドナーカードを持っていらっしゃいますが,,,」と
言われて,あわてることが間々あるのです.
ただでさえパニックになっているときに,
また家族の中で決定権をもつ人間は 各家族によって違いますから,
患者さんそっちのけですったもんだになるのは,
本当に大変な事です.
相談者さまだけでなく,
御自分が脳死状態でのドナーになられることをお考えの方は,
できるだけ丁寧に,御家族の同意を得て欲しいものだと
思っています.

  • 回答者:ベロニック (質問から7日後)
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ベロニック様、丁寧な御回答有難うございます。
 白菊会の手続きが、残された方たちの負担になることははじめて知りました。

 臓器提供についてのベロニック様の哲学はわかりましたが、同様に私にも私なりの哲学があります。
 つまり、人口呼吸器をつけなければできない延命は医療の範囲を超えていると思っています。
 医療の範囲を超えてまで生にしがみつきたくないと強く希望し、その状態での臓器提供を望んでいるのです。
 そして何かあったときに、家族に心の準備をしてもらうために「ドナー登録をした」と報告をしています。

 正直な所、最近理屈で感情を論破しようと努力するのに疲れてきました。
 いっそこちらも情に訴えて泥沼状態にするか、もしくは真正面から感情でぶつかって滅茶苦茶にしてみるか・・・考えてみはみるけれど実行までは至りません。
 どうあっても同意してくれなかったら、有事の際には主人と子供だけ呼んでもらって同意を得て、全て摘出してから母を呼んでもらおうかと考えるくらいです。

結構難しい問題です。
自分だけのことを考えるならドナー登録したいとも思うのですが、身内、特に自分の子供を登録させるか、となると迷うのです。

われながら、人というのは勝手なものだと思います。
もし子供が移植の必要な病気になれば、きっと必死でドナーを探すと思います。ところが逆に子供が死んだ時、身体を切り刻まれて内臓が取り出されると想像したとき、他の多くの人のためになると理解したうえで、やはり「嫌だ」と考えてしまうのです。
理屈、意味、必要性、頭ではわかるのですが心情的に辛すぎるのだと思います。
ですから「カウンセラー」が必要なのでしょうね。

  • 回答者:ジェイさん (質問から7日後)
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回答ありがとうございました。
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ジェイ様、御回答有難うございます。
 私も息子が移植の必要な病気になったら必死にドナーを探すでしょう。
 たいていの親とはそうしたものです。
 そして多くの親はジェイ様の言うように子供の臓器を提供するのは嫌だと考えるのでしょう。
 息子の明確な否定の意思表示が無い限り、臓器提供することも厭わないであろう私はきっと、世間から見れば母親失格かもしれません。
 死は、無です。
 だからこそ、何かを残したいと思ってしまうのです。

最近「何か人の役に立ちたい思うので、ドナー登録しようかと思うのだけどどう思う?」と
息子から聞かれた母親です。
人の役に立てる事は素晴らしい事ですし、「あなたが望むならいいんじゃない。」と答えました。
でも・・・、いざその時になったら私は了承できるのかな?と心配です。
脳死は科学的には死んでる(奇跡が起きなければ目覚めない)とわかっていても、
まだ温かい体から臓器を取り出し、決定的に死を迎えさせるわけですからね。
息子の望みをかなえてあげたいと思っていはいるのですが・・・。

どうせ腐らせるか燃やすか・・・という言葉は、ちょっと嫌だな~。

  • 回答者:ぶるー (質問から7日後)
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回答ありがとうございました。

私は今生きています。
ですが「積極的に生きる理由=死ね無い理由」があるからではなく、
「積極的に死ぬ理由が特に無い」から生きているのだと感じています。

私はドナーの意思表示カードを持っていますが、こうした考えである私は、
ドナー登録がある意味「死ぬ理由」でもあります。

石に噛り付いてでも、どんなに惨めでみっともなくても、
辛くても、苦しくても「積極的に生きる理由」を持ち、
生きようとしている人が移植を待っているのなら、
死に行く私の代わりに生きて欲しいと思っています。

ですが、私に「積極的に生きる理由=死ね無い理由」ができた時、
ドナーとして臓器提供は多分しません。
どんな絶望的状況でも生きる事を諦めないでしょう。
世界中の医者がもう無理だと言っても、
臓器提供などせずに最後の最後まで足掻ききってやろう、
奇跡でも神頼みでも何でも良いから生き返ろうとすると思います。
非科学的ですが「思い」とはそういうものだと思います。

DDDさんのお母さんが望まれているのは、
「積極的に生きる理由」を持って死の瞬間まで生き抜いて欲しいという
思いの表れでは無いでしょうか。

心停止や脳死の絶望的状況の先に
「それでも生きる(生き返る)希望や望みを持つのか」
「その時点で死を受け入れるのか」
と言う2つの相反する感情の話ですので、説得する事は難しいように思います。

  • 回答者:gaspar (質問から7日後)
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回答ありがとうございました。
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gaspar様、御回答有難うございます。
 小学校の時に父が他界して以来「積極的に死ぬ理由が無いから」生きてきました。
 父がいないこの世は私にとって何の価値も無く「生きる理由」などありませんでした。
 加えて父のいない家庭の中では「役に立たなければ居る価値の無い長女」で、私自身が必要とされた覚えもありません。
 小学生の頃は、毎日のように死のうとも思いましたが、、母が何より大切していた「世間体」を台無しにするのが申し訳なかったので自殺もできませんでした。
 なので、そこまで「積極的に死ぬ」理由もありませんでした。

 今の私の生きる理由は息子です。
 しかしそれは健康であることが条件の「生きる理由」です。
 脳死様態になってしまうなら、息子の負担になるであろう延命治療は即切り捨てる覚悟のある「生きる理由」です。

 そして、ドナー登録していることが、同時に「死ぬ理由」です。

 今の私は「生きる理由」も「死ぬ理由」もどちらも持っています。
 それがわかってくれないなら、何かあった時の母への連絡は、全ての臓器を摘出した後にしてもらうつもりです。

自分は家族がいるのでドナー登録はしていません。
独身の時は、一生独身なら誰かに使って欲しいと思っていましたが
今は、自分が先に死んで、家族が葬儀などをした場合、
遺体が無いのはやりきれない思いなのだろうと思います。
個人的には人の役に立ちたいですが、周りの家族も悲しんでくれるわけですから
あとに残る人の気持ちも大切かと思います。
説得できれば、説得してから登録するようにした方がいいと思いますね。
身近に病気の人とかいると考え方も変わるとは思いますけど。

  • 回答者:moomin (質問から7日後)
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回答ありがとうございました。
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moomin様、御回答有難うございます。
 ドナーとして臓器提供したからといって、遺体が無くなる訳ではなかったと思いますよ。
 ただ、少々中身が欠けているだけのことです。
 空洞になった所には綿が詰められ、見た目綺麗な状態で棺に納められます。
 主人は賛成してくれていますし、小学生の息子も「母さんの好きなようにしたら?」と言ってくれています。
 妹たちも「本人の気が済むようにしたらいいよ」というスタンスの中、母だけがどうしても嫌だといいます。
 勿論母よりは長生きする心算ではいますが、人間は何時・どのような不幸に見舞われるかわからないから、一応自分の意志の報告だけでも・・・と思ったのですが、なかなか難しいですね。

自分が死んだ後に役に立つのならというような軽い気持ちで登録しました。
両親は特に何も言ってませんが、去年私も母親になりましたので母親の気持ちはわかります。
息子が死んでしまった後、そのまま手元に置いておきたいと思うと思います。

  • 回答者:なべ (質問から5日後)
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やや参考になりました。回答ありがとうございました。
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なべ様、御回答有難うございます。
 私にも息子がいますが、何かあったらきっと取り乱すでしょう。
 なべ様のようにそのまま手元に置いておきたいと思うかもしれません。
 しかし、息子が自分の死後の希望を示していたならその通りにしたいと思います。
 確かに「私の息子」ではありますが、決して「私のもの」ではないからです。
 一己の人間としての意志は尊重したいと思います。
 時に泣くことは必要ですが、感情だけでは何も解決しません。
 必要なのは知識と冷静な判断だと信じています。

今夜が峠といわれた状態のときに、廊下で待ち構えられていました。
家族は少しでも何とかならないかと祈るような気持ちでいるのに
そのそばで「早くしてくれないかなぁ」と言わんばかりに待ち構えられて
いるのを見たら、人間じゃない!と思いました。

この人たちにしてみれば、仕事かもしれないけど、
見ず知らずの人たちにすぐそばで大事な人の死を望まれる。。。
家族としては耐えられない事です。

だから身近な人には登録してほしくありません。

  • 回答者:sasa (質問から5日後)
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回答ありがとうございました。
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sasa様、御回答ありが乙ございました。
 移植コーディネーターの方はよくハイエナ扱いされるそうです。
 特に病院から連絡を受けて駆けつけた時に、御家族・御遺族からの非難は堪えがたいそうです。
 sasa様を始めとする御家族の方にわかっていただきたいのは、けして「人の死」を待ち望んでいるのではないという事です。

 移植コーディネーターの方が逸早く病院に駆けつけるのは、ドナー希望者の希望を尊重するためにも、一番いい状態の臓器を運ぶ為であって、「早くしてくれないかぁ」と思っているわけではないのですよ。
 そういう方々が昼夜を問わず奔走してくださっているから、私たちドナー希望者は安心して臓器を委ねられるんです。

 勿論、御家族の憤りもわかりますが、これを機会に少しだけご理解頂けないでしょうか?

遺族が拒否したら提供できないのですね。
知りませんでした。

私も、同じようなことを言ったことがあります。
私も、「勿体無いから・・・」と言う言葉を使って、母に話したことはあったのですが、DDDさんのお母さんと同じように「そーゆー事言わないで!」と怒られました。

お母さんの気持ちも分かる気がします。
きっと、自分は自分の体だから「勿体無いから」と思えるのでしょう。
でもお母さんにとっては「勿体無い」ことだとは思わないのではないでしょうか。
自分が産んだ子供ですもの。亡くなったとしても、そのままの姿でいて欲しいと思うのではないでしょうか。

それに、脳死だったとしても、爪も髪も伸びてくると聞いたことがあります。
それだと、頭ではわかっていても、心では本当に死んでしまったんだとは思えないと思います。
そんなときに、ドナーを待っている人がいると言われても、提供しようとは思えないのではないでしょうか。
たぶん、その時がきたら、私は自分の体なら提供しようとは思ってても、家族や私が大切に思っている人の体は差し出せるかわかりません。

私が提供したいと思ったのは、
自分の臓器でも皮膚でも提供することで、何人もの人が助かるということ。
その人だけではなく、その人の周りの人たちも喜んでくれるということ。
私が提供することで、幸せに、前向きに生きていけるのであれば・・・。と思ったからです。

結局、私が、「何人も助けることが出来るんだよ?」と言っても、母からは「そうだけど・・・やっぱりダメ!」という答えしかかえってきませんでした。

母を悲しませることになるかな・・・と思うとドナー登録はできませんでしたので、相談の回答にはなっていないかもしれません。すみません。

  • 回答者:ショコラッチ (質問から4日後)
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ショコラッチ様、御回答有難うございます。
 ショコラッチ様のお母様が言ったことは、そのまま私の母が言った事です。
 私は自分の気持ちを通そうとしていますが、ショコラッチ様はお母様の気持ちを尊重されたのですね。
 私には到底できない立派な選択だと思います。
 ショコラッチ様の優しさはきっとお母様もわかっていると思います。

 改めまして、御回答有難うございました。

私はドナー登録もしてませんしもし自分が臓器が必要だとしても
移植はしないでしょ~。
これが身内からの移植なら血の繋がりがありますしいいと思います。
しかし、誰ともわからない他人からはいいかなと思ってます。
そこまでが自分の運命だったと割り切ります。
やはり人間生まれたときには死ぬまでの年数が決まっていると思ってます。

親の立場から言えばみなさん言われてますが、自分のお腹を痛めて生んだ子が
死んでまで引き裂かれるとは抵抗あるのだと思います。
最後はゆっくり静かに眠って欲しいのではないですかね。

  • 回答者:ウイン (質問から2日後)
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ウイン様御回答有難うございます。
 なかなか潔いお考えですね、それだけで満足度☆5をつけさせていただきます。
 感情論はともかく、最後はゆっくり眠って欲しい・・・というのも解ります。
 だからこそドナーになることを認めて欲しいのです。
 貴重な臓器をみすみす焼き捨てる事になったら、それこそ無念のあまり化けて出て来そうですから。

私の場合は、嫌とかじゃなくて・・・キチ○イ人間の臓器等残したくないからです。
臓器提供をお待ちの相手や相手のご家族さんは喜んでくれるかもしれないけれど、
絶対に拒否反応起こします。
確実。本当狂ってるもん。こんなの残したくないです。ホント。

  • 回答者:架無子 (質問から23時間後)
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やや参考になりました。回答ありがとうございました。
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架無子様、御回答有難うございます。
 架無子様はおかくなんてありませんよ。
 それどころか、移植した方の心配をできる優しい方だと思います。
 その人に向けられるやさしさを、少しだけでもご自分に向けてあげてください。

私はドナーカードを持っています。車の免許を取ったときに免許センターでゲットしました。

①動機
やはり自分が助からないのに使える臓器をそのまま腐らせるのがいやだったからです。DDD様と同じですね。
②反対意見
両親とも反対とははっきり言いませんでしたが、いい顔はしませんでした。
特に父が言うには「母親の立場からすれば自分がおなかを痛めて生んだ子供がたとえ助からなくても、切り刻んだりして欲しくないに決まっているだろう」と母の気持ちを慮っての発言でした。ちょっと考えてしまいましたが……
③説得方法
②の続きで、考えましたが結局ドナーカードは持つことに決めました。確かに自分が先に死んでしまった場合の両親の気持ちを考えると躊躇いはありましたが、同じくらいたくさんの人が移植の機会を待っており、その方の一人ひとりに家族がいらっしゃって、苦しい思いをしているだろうと思ったからです。
ドナーカードを持っていた、ということが最終的に私の遺志になるので、両親には悪いと思いましたが私の願いを優先させてもらいました。

  • 回答者:うに~ (質問から11時間後)
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うに~様、御回答有難うございます。
 御両親はまだ納得されているわけではないのですね。
 しかし頭ごなしに反対しない辺りうに~様のお気持ちも考えていらっしゃるのでしょう。
 特にお父様は優しい方ですね。
 きっといつかは解って下さるのではないでしょうか。
 いつかは誰にでも訪れるその日の為に、今は只前向きに元気に頑張りましょう。

私は男で母は小さいころに無くしているので見当違いかもしれませんが・・・
感情的に察しますと、やはり
「自分のおなかを痛めた子供の臓器を他人に提供する」ということが
どうしても許容しがたいのかもしれませんよ?
ということであれば、アプローチとしては
「私の一部でもこの世に残すために」
という話し方をされてはいかがですか?

とりあえず「もったいないから」ってのはペットボトルじゃないんだから
おっかさんだって馬鹿こくでねぇ!ってなりますよ。

余談はともかく、上記の質問ですが
動機:戦おうという人のチャンスになるなら。同じ理由で骨髄バンクにも登録済みです。

  • 回答者:A/J (質問から9時間後)
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A/J 様、御回答有難うございます。
 ペットボトルですか・・・再利用のやり方は一升瓶の方がより近いですよ・・・と不謹慎な冗談はともかく、「私の一部でもこの世に残すために」に近いことは言った覚えがあります。
 TVで見たのですが、モノにもよりますが臓器自体の寿命は100年から200年もあるそうです。
 それが動かなくなるのは、統括している脳の機能が停止するからである・・・と、だから臓器提供によって、さらに何年間から上手くいけば何十年、たとえ一部でも私が存在できる。
 それでも母にとっては「馬鹿なこと」でした。
 追記:
 A/J様の動機は、なんだかカッコイイですね。

私もドナーカードを持っており、心停止、脳死にかかわらずすべての臓器を提供する

意志表示をしています。臓器提供で助かる人がいるなら

よろこんで提供したいと思ってます。御両親の気持ちを察すれば、

死に関する話など縁起でもないと思われているのでしょうが

死はいつ訪れるかわからないという事からはじめて、ドナー登録により

世の中に救われる人がいるという事、心停止の際の臓器提供、

脳死の際の臓器提供と段階をふんで説得してみてはいかがでしょうか?

あとDDDさんの”勿体ない”という言葉にも抵抗を感じているのではないかと

思われるので”勿体ない”やめたほうがいいように思われます。

私も死に対する考えや、脳死に対する考えを父に話し、

ドナーカードにサインしてもらいました。

  • 回答者:ロバ (質問から8時間後)
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ロバ様御回答有難うございます。
 「勿体無い」はいけませんか・・・。
 しかし、「人のため」とかそういう言葉は言っていて痒くなるのです。
 母を説得する時に言いましたが、痒くて死にそうでしたし、今書いていても痒いです。
 だから、誰のためでもなく自分の為に、ただ自己満足で行う、たとえ偽善者と言われても構わない、リユースできる臓器を燃やすのは勿体無い・・・それだけなんですが・・・痒くなることもまた言わなければいけないんですね・・・。

我が家は、親子ともどもドナー登録には反対(拒否で登録)しています。

理由としては、ひとつは、死んだ後でも自分の体は自分の体としてあり続けたいからです。誰かの体で生き続けるのは嬉しいことではありますが、自分の物として親から授かったものですから、大切に自分の物として最後まであり続けたいです。

ふたつめは、移植されるその対象がどんな人か分かりません。ドナーに対してどのくらい感謝しているのかも現行ルールでは確認のしようがありません。本当に移植が患者やその家族のためになったのかを確認できないのであれば、移植したい意欲が高まりません。

  • 回答者:ばばしげ (質問から8時間後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。
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ばばしげ様ご回答有難うございます。
 ひとつ目の理由はよくわかりました。
 しかしふたつ目の理由は理解しかねます。
 私は献血もドナー登録も自己満足の範囲でしか行っていないので、提供先の何方かが必ずしも感謝しなければいけないとは思いませんし、またして欲しいとも考えたことが無いからです。
 「感謝されなければ誰にも何もしてあげたくない」とお考えの方には、少し向かない制度かもしれませんね。
 あと確かに被提供者の方のためになったか気になる所ではありますが、それについては「信じる」しかないと自分に言い聞かせることにしています。

一番引っかかるのは
なぜドナー登録者だけが脳死判定の対象になるのかという点です
(脳死が死ならドナー登録と尊厳死のための脳死判定は同等のはず)

後はただの感情の問題ですが「遺体を傷つけたくない」です

  • 回答者:MrNH (質問から8時間後)
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MrNH様ご回答有難うございます。
 はい、尊厳死のための脳死判定は同等だと思います。
 脳死判定が出たときに医師から生命維持装置に繋ぐか否かの選択を迫られます。
 その時に尊厳死のため、繋がないと言えばそれまでですが、いったん生命維持装置が作動すると、以降は後戻りができなくなります。
 生命維持装置を止めることは「殺人」だからです。
 心の準備がないと、家族はいざと言う時には「感情」での判断をしがちですから、時に考えてみることも必要なのではないかと思います。
 「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉がありますが、人生においてもおおよそ当てはまると思います。

 MrNH様は御遺体を傷つけたくないということですが、それならばそれでいいと思います。
 私がたとえMrNH様とどういう関係であったとしても、ドナー登録を強制することはありませんよ。
 ただ、友人であったら献血には誘うと思います。

ラビは賛成で、母親も制限年齢まで登録していました。
しかし兄弟は反対していましたね。

賛成理由は、DDDさんが仰る「勿体無い」もあるのですが…
一番は「誰かのためになる、役に立てる」ということです。
脳死の定義は曖昧です。
ドナー登録をしていると、その人の死が認められるようなもので。
個人的に尊厳死賛成のラビとしては、自分に延命治療をしてほしくはありません。
家族の負担も然ることながら、やはり本人の意思を尊重して欲しいと考えるのです。
脳死で横になっているよりも、今その時も苦しんでいる人のためになるほうが意義があると思えるのです。

反対していた兄弟は、ラビや母親の身体の中身がなくなる、そのあたりに抵抗を感じていたようです。
賛成のラビとしてはイマイチ理解ができないところではありましたが…

臓器提供をしたからといってラビが変わるわけではない。
むしろラビの脳死を受け入れて、役立ててもらえるほうが嬉しい。
自分がいなくても、どこかで誰かが生き続けることの手助けをできたことを誇りに思いたい。
偽善でも自己満足でも、最期は自分のためでありたい。
そうした話をして納得してもらいましたね。

  • 回答者:ラビ (質問から7時間後)
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ラビ様が家族から愛され、かつ尊重されていることがよくわかります。
 ご家族に納得していただけてうらやましいです。
 私の母の感情論の砦はなかなか陥落できそうにはありませんが、気長に説得していきたいと思います。

私は、ドナーになる事に抵抗感があります。
なぜなら、現代医療の脳死の定義があいまいで、何を持って脳死とするのか?と言う線引きに非常に疑問を感じているからです。

脳死状態から奇跡的に意識を回復。とか言いますが、本当に奇跡的なのでしょうか?必然だったのではないでしょうか?

私の母の友人は、7年間意識不明で突然意識を回復し、「奇跡です」と主治医に言われたと言う事です。
家族の話だと、意識を回復する4・5年前から、話しかけると聞いてるんじゃないかと思うような事があって、主治医に訴えていたたしいですが、「そう思いたいお気持ちはお察ししますが、多分気のせいです」と言われていたそうです。でも、意識を回復しました。

現代医学で脳の全てを解明できていない現段階で脳死状態で臓器移植するのは、とても怖いことだと思います。

  • 回答者:お母さんの意見に1票 (質問から7時間後)
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お母さんの意見に1票様、ご回答有難うございます。
 脳死状態からの回復は奇跡です。
 お母さんの意見に1票様のお母様のご友人は非常に稀有な幸運に見舞われたのでしょう。 そもそも脳死状態になった時点で医師から延命治療をするか否かの選択を迫られます。
 延命治療を選択し、生命維持装置につながれた時点で「やっぱりナシで」というわけにはいかなくなります。
 生命維持装置をはずすことは「殺人」だからです。
 以降、家族が希望と絶望の狭間で苦しみながら多額の延命治療費を払い続ける事が、私には苦痛でもあります。
 ならば、脳死の線引きがあいまいでもそこで臓器提供に踏み切りたいのです。
 私の形はしていなくとも、どこかで私の心臓が脈打ち私の目がものを見ているのだから、それを救いにして欲しいと思うのですが、無理でしょうか?

あなたはご自身のお体の一部だから私の勝手にしたいという考えなのでしょうが

お母様にしてみれば全身全霊で育ててきた我が子の体を切り刻んで人様にさしあげる

などという行為はとっても耐えられないのでしょうね。

わたしもお母様の立場だったら反対です。

まず我が子が死ぬということを考えたくないと思います。

子供から私は死ぬ私は死ぬといわれた親はたまったもんじゃないですよね。

登録だけしておいてまさかの時はご家族におまかせになったらどうでしょう?

  • 回答者:気がしてスマン (質問から3時間後)
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気がしてスマン様、ご回答有難うございます。
 小学校の入学式直後に父が他界して以来「人間は何時何処でどうやって死ぬかわからない」と心に留めて生きてきました。
 確かに私を育てたのは母ですが、私は母のものではなく独立した一人の人間です。
 母子の同化思想は知っておりますが、子供が成長するにしたがって卒業しなければならない感情のひとつのはずですから、それが「本人の意思を尊重しない理由」にはならないのではないでしょうか?
 勿論夫に対しても息子にに対しても同じく考えるようにしています。
 故に、本人の悔いの無いようするのが一番だと思っています。
 仮に夫や息子がドナーになりたいと言えば快く承諾しますし、逆であってもその通りにしたいと思います。

ぼくはドナーカード持ってますよ。持った上で、カードには「3:私は臓器を提供しません」に○を付けてます。そういう意思表示の仕方もあるんですよね。
「提供拒否」という形で移植ネットワークにも名前を登録してあります。

カードには「家族署名(自筆)」という欄があるんですが、この欄には、家族のうち誰か1名だけが署名してあればいいんですよね。
DDDさんの場合、母親が提供反対とのことですが、では父親はどう思っているんでしょうか。
もし父親が賛成してくれるなら、家族書名欄には父親にサインしてもらえばいいんだと思います。
いざという時、遺族全員が賛成しないと移植できないのか、それとも一人でも賛成すれば移植できるのか・・・そのあたりはぼくも正確には知っていないし、確かに分かりにくいところですね。

(1)登録の動機:「提供」であれ「拒否」であれ、何らかの形で意思表示だけはしておきたかったから。
ぼくは「拒否」を選びましたが、もし「提供」を選ぶとしたら、その動機は「もったいない」というよりも「人の役に立ちたい」という気持ちが強かっただろうと思います。

(2)ドナーに反対というわけではないですが、自分が「拒否」を選んだ理由:やはり、自分をここまで育ててくれた親を悲しませたくなかったです。
親にとっては、ぼくが幼い頃になついてくれていたこととか、全てが思い出なんでしょうね。
単に「臓器」とか「体」とか、目に見えるものだけでなくて、そういう情緒的なものも含めて考えないといけない問題だと思ったので・・・。

(3)親の説得法:ぼくが「拒否」ということは家族全員が知っていることなので、ぼくの場合は説得する必要がありませんです。

  • 回答者:長老 (質問から2時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
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ご回答有難うございます。
 長老様のお考えはよくわかりました。
 私は母子家庭3人姉妹の長女なので父はいませんが、ひとまず夫にサインしてもらっています。
 しかし、直前に母にごねられ全てが台無しになることが怖いのです。
 子供のころから「役に立たないなら家にいなくていい」「世間体を考えなさい」と言われて育ったので(世間の)役に立ち、世間体にもよさそうな事をこんなに大反対されるとは思わず、なんだか納得いかないまま大喧嘩になりました。
 「苦しんでいる人の役に立つ」と言いもしましたが、それでもやはり嫌なようです。
 感情論にはどんな理屈も無力なんでしょうか?

自分はドナーに反対の考えです。
なんというか、人間を部品みたいに考えているようで嫌です。
また、ドナーを待つ方は提供者が出ることを待っていると考えると
誰かが不幸な状態に陥ることを待っているとも取れるので・・・。
身内内の生体移植や、再生可能な骨髄などの移植には賛成できますが、
見ず知らずの他人への心停止、脳死状態での移植には反対です。

  • 回答者:るるぱぱ (質問から46分後)
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やや参考になりました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

ご回答有難うございます。
るるぱぱ様は不愉快に思うかもしれませんが、自分の身体のみに限りますが私は死んだ後の私の身体はパーツだと思っています。
しかし、レシピエント(被提供者)の方が人の不幸を望んでいる・・・という考えには賛同しかねます。
もちろん治療法が確立されるのが一番ですが、そうでない現状においては最後の希望のようなものではないでしょうか?
病気で苦しんでいる人が、健康体とまでは行かないまでも、せめて人並みの生活を送れるきっかけになるかもしれないパーツを捨てるのは「勿体無い」と感じ、家族の同意が得られずに燃やされてしまうかと思うと泣きたくなる程です。
知人に苦しんでいる人がいて、助けになるなら勿論嬉しいですが、見ず知らずの人でも私のパーツを使ってほしいと思います。

いざというときに遺族が拒否したら提供ができないとは知りませんでした。
家族の同意がないとドナー登録しても意味がないのですね。
私も可能であれば臓器提供できればと考えていたので参考になりました。

お母さまを説得するには、もしDDDさんが臓器提供を受けなければ助からない状況にあったら・・・
臓器提供を受ける側になっても臓器提供を拒否しますか?と問いかけてみては・・・

必要としている人がいて、それを提供してもよいという人もいるのに
使われることが出来ないなんてやっぱり勿体無いことだと思います。

  • 回答者:K (質問から41分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。
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ご回答有難うございます。
ドナーカードを持っていて家族にサインをしてもらっていても、いざというときに「やっぱり嫌!」となり、故人の意思にもかかわらず臓器提供が叶わなかった例が割とあるそうです。
Kさまの仰る通り、立場が逆であったら?
という問いかけはいいかもしれませんね。

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